2019年12月10日火曜日

憲法9条の殉教者 気高い理想と篤実な精神ゆえの偉業と受難(世に倦む日々)

「世に倦む日々」氏はアフガニスタンで暗殺された中村哲氏を、「9条が内面化された求道的な平和主義者だったからこそ、あそこまで実践と挑戦をやり抜いたのであり、「9条の理想を純粋に体現したからこそ、こうした受難に遭遇したのである」と述べています。
 さらに「アフガン人は中村哲を外国人だと見ておらず、アフガン人の同胞だと認めており、アフガン国内に中村哲の命を奪う動機を持った者はなく、むしろ中村の暗殺は、日本人以上にアフガン人にとって予想外で衝撃的な事件だったろう」としています。

 そして「私は、アフガン政府は容疑者を掴んでいると思うし、タリバンも犯人像を割り出しているに違いないと確信する。こんな大それた冒涜をしでかすことができ、主犯が捕縛も手配もされず、永久に裁かれることなく逃げられる組織勢力は、世界中にたった一つしか思い当たらない。~ それはアメリカだ」と述べています

 彼は、中村氏は米軍のアフガン侵攻に反対意見の持ち主で、彼の「武力では問題解決にならないいう発言が、国際社会と現地情勢の中で一定の影響力を持っていたため、アフガンの米軍にとっては目障りで邪魔な存在であり、できれば抹殺したい政治的存在だったのだろう」としています

 9日付のブログ「世に倦む日々」を紹介します。
 なお同氏は6日にも同趣旨の下記のブログを発表しています。

お知らせ(再掲)
都合により11日は記事の更新ができません。
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憲法9条の殉教者 – 気高い理想と篤実な精神ゆえの偉業と受難 
世に倦む日々 2019-12-09
8日のサンデーモーニングの「風をよむ」で、暗殺された中村哲の特集が放送された。その中で、中村哲が9条擁護論者であり、講演の機会に9条の意義を熱心に説き訴えていた映像が紹介された。「何百万もの犠牲の上に築かれた金字塔であり、民族の理想であり、同時に世界の人々の理想である」。こう語っている。事件後のテレビ報道で、初めて9条平和主義者としての中村哲の姿が正面から伝えられ、この点、番組のジャーナリズムの姿勢を評価したい。9条の理想を純粋に体現したからこそ、こうした受難に遭遇したのであり、理想を追求することがどれほど厳しく難しいことかを思わされたと、事件の本質的意味に触れるコメントを述べた青木理も佳としたい。9条が内面化された求道的な平和主義者だったからこそ、あそこまで実践と挑戦をやり抜いたのであり、偉業を成し遂げることができたのだ。世界中から尊敬されるリーダーとなり、崇拝される聖人となったのだ。 

9条への強いコミットがあり、9条の理想を実現する主体たろうとする意思が貫徹されていたところに、中村哲の人格があり、人の心を打つ精神の情熱と行動の気高さがある。戦後民主主義の日本が育んだ人間の理想像がある。9条を語る中村哲の言葉は、忘れていたものをわれわれに思い出させる。中村哲が堂々と論じるとおり、それは歴史的な金字塔であり、民族の理想であり、日本人にとって至上の価値を持つ財産だった。われわれは、今、なぜこれほどに9条を直截に尊ぶ姿勢から逃げているのだろう。9条を前向きに語ることを嫌忌しているのだろう。なぜこれほど、国家の基本理念として定礎されている普遍的真理に対して、躊躇し、臆病になり、背を向けないといけないのだろう。9条を相対化しなくてはいけないのだろう。中村哲と9条との関係を、無関係なものだと無理に言いたがるのだろう。中村哲の直言を聞くとき、あらためて現在の思想環境の倒錯と欺瞞と不具合と不毛に溜息が出る。

9条こそが、9条平和主義の理念こそが中村哲を媒介しているのである。思想が人格を作っているのだ。なぜ、その基本的な事実を認めることができないのだろう。日本の戦後民主主義の教育は、まさしく、中村哲のような信念の人を、弱者に奉仕する人格を、平和主義の人道実践で世界から尊敬される日本人を、何百人も何千人も生み出そうとする営みだった。『君たちはどう生きるか』は、そうした少年教育に適材とされた倫理読本である。憲法9条が「お花畑」であるなら、中村哲の人生も業績も否定されなくてはならず、無価値なものになってしまう。今の日本人は、理想を棄て、思想信条にコミットする態度を卑しめ、「『大きな物語』は終わった」などと軽薄に嘯き、姜尚中的な脱構築主義に堕している。出世と利殖と消費の享楽に満足する人生を第一義としている。リベラルと称する左翼が率先してそうなっている。だから、今のリベラルには9条へのコミットがないのだ。中村哲への賛辞も口先だけなのだ。

中村哲の暗殺事件について、憲法9条とは無関係だなどと安直に決め込んでいる左翼こそが、平和ボケの「お花畑」の思考であり、国際政治のハードボイルドな実態と内奥に無知で鈍感な素人なのだろう。繰り返すが、アフガン国内に中村哲の命を奪う動機を持った者はない。アフガン政府はこの事件をテロと断定したが、テロとは政治暴力であり、政治的な目的を持たない、単なる民事のトラブルの延長の暴力はテロとは呼ばない。水利権だの土地高騰だの、論外で荒唐無稽な風説の流布だ。タリバンもイスラム国も、中村哲を殺す動機を全く持たない。そんなことをしたらアフガン国民全体を敵に回してしまう。仮にそれが民事紛争に起因する怨恨動機の事件だったとして、捕まった犯人やその係累親族と子孫はどうなるのか。前の記事でも書いたが、アフガン人は中村哲を外国人だと見ておらず、アフガン人の同胞だと認めているのである。ここが重要だ。中村哲は名誉国民であり、単なる外国機関のボランティアではない

アフガン人が国連に向ける目と中村哲に向ける目とは違う。真犯人を割り出すには、流布されている風聞に頼るのではなく、動機から科学的に推理しなくてはいけない。アフガン当局が言っているところの、「事前に危険だと伝えていた」とか、「襲撃情報を伝えていた」とかも、怪しくアリバイ的に響くし、日本外務省の言っている「『危ないです』と直接伝えていた」などという話も、日本国内向けのエクスキューズに聞こえる。本当に襲撃の危険が迫っていたなら、アフガンの英雄であり生ける救世主である中村哲の護衛に当たって、なぜ当局は車両の前後に護衛車を配置しなかったのだろう。中村哲が乗車する車の前に護衛車を付けなかったのだろう。時間も経路も犯人側に筒抜けになっていて、簡単に待ち伏せで仕留められたのは、明らかに内部にスパイが潜入していたからだ。テロは計画的組織的に実行されている。もし、アフガン政府が、察知した真犯人の名を中村哲に告げていたら、中村哲も警戒して警備を厳重にしたか、安易な移動は控えただろう。

私は、アフガン政府は容疑者を掴んでいると思うし、タリバンも犯人像を割り出しているに違いないと確信する。だが、アフガン政府は無論のこと、タリバンも現在は「真犯人」に忖度し遠慮せざるを得ない微妙な立場にある。政治的に和平の重要な局面にあるため、容疑者たる「第三国」を刺激することができない。まさに政治権力の立体関係が真空になった一瞬に行われた龍馬暗殺に似ている。目撃情報があり、逃亡車両の証拠映像があり、ジャララバードは周辺含めて人口20万人の小さな町であり、刑事捜査して犯人特定に時間を要する社会空間ではない。中村哲の暗殺は、日本人以上にアフガン人にとって予想外で衝撃的な事件だろうし、犯人が誰か見当のつかない不自然なテロ事件だろう。と同時に、そこから認識と判断を研ぎ澄まして、末端のアフガン民衆は、犯人像と背景について薄々目星をつけているだろう。こんな大それた冒涜をしでかすことができ、主犯が捕縛も手配もされず、永久に裁かれることなく逃げられる組織勢力は、世界中にたった一つしか思い当たらない

7日夜に放送されたETV特集の一場面で、クナール川に井堰を建設工事中の中村哲に対して、上空を飛行していた米軍ヘリが旋回して接近、銃撃を浴びせてきたという証言があった。2003年から2005年のことだ。重要な事実であり、今回の事件の状況証拠となり得る問題だろう。なぜ米軍ヘリは中村哲に威嚇射撃を行ったのか。普通に考えれば、中村哲が米軍のアフガン侵攻に反対意見の持ち主であり、日本の国会でも自衛隊の現地派遣に反対の主張をし、武力では問題解決にならないと強く発言していたからだ。その声は、国際社会と現地情勢の中で一定の影響力を持っていた。アフガンの米軍にとっては目障りで邪魔な存在であり、できれば抹殺したい政治的存在だったのだろう。米国というのは、国際政治において自らの政策遂行に邪魔な指導者を容赦なく暗殺する。しばき隊の手口と同じく暴力で排除する。暴力の手段で「正義」を実現し、そのことを正当化する。殺害した敵指導者を悪玉にして貶める。

アラファトの「病死」は実は暗殺だった。アラファトはアラブの英雄で、キャンプデービッド合意の頃までは国際社会の中で正当な地位にあったが、米国の政策が変わり、イラク戦争の前後からテロリストの親玉にされ、抹殺が許容されるパブリックエネミーにされた。「病死」したのは2004年11月。ハマスの創設者でガザ地区ムスリム同胞団の最高指導者だったヤシンが暗殺されたのは、2004年3月。そのほんの少し前まで、TBS報道特集やテレ朝報ステで、ヤシンは何度も日本のテレビ報道で取材され、ハマスによる福祉事業の成功と活躍が肯定的に伝えらていた。ヤシンは善玉であり、尊敬すべきイスラム教の導師としてマスコミで報道されていた。米国は、排除のフラグを立てた敵指導者を、暗殺するまで時間をかける。急がない。カダフィ暗殺には25年かけている。ビンラディンには10年。チャベスが暗殺だったとすれば、やはり10年以上かけている。虎視眈々と狙い、機が熟した時点を待ち、効果的なタイミングで処理している

平和ボケで間抜けな日本の左翼は、テロというものは、イスラム過激派のような貧しい国の集団が、非対称な強力な敵に対して行う政治暴力の形態だと決めつけている。そうした誤ったテロの概念と表象を持っている。世界一のテロ組織がどこか、世界中で最も広範に、狡猾に、間断なく、戦略的に、大量の資金と高度な技術を使ってテロを行っている機関がどこか、その基本的事実を忘れてしまっている