2019年12月16日月曜日

16- 地球の温度変化が生じる理由とは何か(植草一秀氏)

(これは「原発をなくす湯沢の会」のブログに掲載される記事ですが、「地球温暖化」という課題に関するものなので、本ブログでも掲載させていただきます)


 グレタさんの訴えもありCO2が地球温暖化の元凶であるという認識は今や世界共通のものになった感があります。事実「パリ協定」はその認識のもとにCO2の削減を具体化するための協定です。

 しかしCO2が原因であるとは断定できないというのが公平な見方のようです。
 事実、マントルの対流運動に関する新理論紫綬褒章を受賞した丸山茂徳・元東工大教授(米地質学会名誉フェロー)は、「科学者の9割は『地球温暖化』CO2犯人説はウソだと知っている」という本を出していますし、IPCC (国連気候変動に関する政府間パネル)が2001年に公表した第3次報告書には、膨大なデータの改ざんがあったことが指摘され問題となりました。

 工業化が進む以前の地球も、これまで数万年~10数万年の周期で温暖化と寒冷化(氷河期)を繰り返しています。
 確かにこの間の地球の温度変化とCO2濃度の変化は、巨視的にはほぼ傾向を等しくしているのですが、直近の温度上昇のピークは13万3千年前に起きたのに対して、CO2のピークはそれから3千年経過した後に起きています。単にCO2が地球温暖化の原因とは言い切れない所以です。

 植草一秀氏が「地球の温度変化が生じる理由とは何か」とする記事を出しました。その中で「地球の表面温度の上昇が化石燃料消費増加に伴うCO2発生量増加によるものであるとは実は断定できない」点を強調し、それが自明の理であるかの如く振る舞うべきではないと警告しました
 そして「問題はCO2削減が原発稼働に結びつけられることだ」として、そういう策動に対して強く批判しました。
 原発稼働と環境問題を結びつけることの非は、樋口英明・元副地裁裁判長が大飯原発の再稼働阻止訴訟の一審判決で、「原発の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨の主張は、原発でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであることに照らしても、環境問題を原発の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである(要旨)」と述べている通りです。

 近年の巨大台風や豪雨の直接的な原因は海水温度の上昇ですが、原発の発電効率は火力の大体6割前後なので、kw当たり海水温度上昇量は火力の1・5~1・8倍になります。正に原発こそが海水温度を直接的に上昇させる装置に他ならないのです。

 以下に紹介します。
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地球の温度変化が生じる理由とは何か
植草一秀の「知られざる真実」 2019年12月15日
地球の表面温度が上昇傾向を示しているのは特定の制約条件を置けば事実であろう。
気温の上昇が続けば、さまざまな影響が生じるのも事実である。プラス面もあるがマイナス面もある。
しかし、地球の歴史上、表面温度の変化は大規模に繰り返されてきた。
もっとも深刻な影響が広がったのは、表面温度が低下した局面である。「地球寒冷化」の方が全体としては深刻な影響をもたらしてきたと言える。

「パリ協定」は、近年に観察されている表面温度上昇の原因が化石燃料消費に伴うCO2発生量増加によるものと断定して、CO2の発生量削減を取り決めたものである。
しかし、表面温度の上昇が化石燃料消費増加に伴うCO2発生量増加によるものであるとは、実は断定できない。
「気候の複雑なシステムは根本的に予測が困難である」「人間活動が温暖化の支配的な原因かは明らかでない」とする、科学的な見解が広く表明されている。
いわゆる「地球温暖化仮説への懐疑論」は、科学的根拠をもって広く保持されているものだ。
しかし、マスメディアは、「人間活動による地球温暖化仮説」に対する懐疑論に対して、説得力のある根拠を示さずに、頭ごなしにこれを批判する。このようなヒステリックな対応に疑念を持つことが重要だ。

地球の環境破壊を望む者は少ない。自然災害の増加を望む者も少ない。
地球環境の悪化が進行している主因がCO2発生であることが疑いのない真実であればCO2発生を抑制することが重要ということになるだろう。
しかし、地球の表面温度の上昇がCO2を主因とするものなのかどうかは断定しきれない。

地球の表面温度は長期で捉えると大きな変動を示している。
第2次大戦後というようなミクロの時間軸ではなく、1000年単位、1万年単位、1億年単位で大きな変動が示されてきた
はるかに温暖な時代もあった。はるかに寒冷な時代もあった。生物はそれぞれの環境のなかで多様性の形状を変化させてきた。
したがって、現在観察されている表面温度の上昇について、その背景を根拠不十分に断定することは控えるべきだ。この問題と離れて、人類として、どのようなライフスタイルを追求するのかを考えるべきだ。

化石燃料の大量消費がさまざまな弊害をもたらしているのは事実である。
エネルギー源として、再生可能エネルギーにシフトさせること、自然エネルギーにシフトさせることに反対する人々は少ないと思う。
問題はCO2削減が原発稼働に結びつけられることだ。火力発電と原子力発電を比較すれば、圧倒的に弊害が大きいのは原子力発電である。
この議論を行うべきである。この議論を抜きにCO2削減の主張を拡大すれば、必ず原子力発電活用に議論が導かれる。
ここを避けているから地球温暖化論議に対する疑惑が払拭できないのだ。

スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマで事故が発生した。
フクシマの事故はまったく収束していない。フクシマではいま、汚染水の管理が限界に到達しつつある。この放射能汚染水を海洋に放出することが検討されている。
元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏の新著 『フクシマ事故と東京オリンピック【7ヵ国語対応】』“The disaster in Fukushima and the 2020 Tokyo Olympics” (径書房)https://amzn.to/2OAIdzO から引用させていただく。

「広島原発168発分のセシウム137が大気中に放出された。
広島原爆1発分の放射能でさえも猛烈に恐ろしいものだが、なんとその168倍もの放射能が大気中にばらまかれたと日本政府が言っているのである。
セシウム137はウランが核分裂して生成される核分裂生成物の一種であり、フクシマ事故で人間に最大の脅威を与える放射性物質である。」
東京オリンピックどころではない。地球温暖化の論議の前に原発の是非を論じることが先決だ。
(以下は有料ブログのため非公開)