2019年12月10日火曜日

中村哲さん 知られざる“無垢な”素顔(NHK)

 アフガニスタンで銃撃され亡くなった医師の中村哲さんは、妻の尚子さんと長女の秋子さんとともに8日夕方、成田空港に帰国しました。そして9日、羽田空港発の旅客機でふるさとの福岡に向かい、午前10時すぎ福岡空港に到着しました。
 福岡空港の展望デッキには九州各地で暮らすアフガニスタン人、数十人が集まりました。

「ペシャワール会」の村上優会長は、空港で記者会見を行い現地から中村さんに付き添ってきたアフガニスタン人の関係者にどんなことばをかけたかと問われると「連れて帰ってきていただいてありがとうございますと伝えた。お互い泣いて抱き合っただけです」とことばを詰まらせました。

 衆議院は9日の本会議で出席した議員全員が黙とうをささげました。

 NHKのニュースとWEB特集を紹介します。
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医師の中村哲さん 福岡空港に到着 多くの人が出迎え 死を悼む 
NHK NEWS WEB 2019年12月9日
アフガニスタンで銃撃され、亡くなった医師の中村哲さんが、午前10時すぎ、福岡空港に到着しました。空港ではアフガニスタンの人など多くの人が出迎えに訪れ、中村さんの死を悼みました。
福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表として、アフガニスタンで長年、人道支援と復興に携わってきた医師の中村哲さん(73)は今月4日、東部ナンガルハル州ジャララバードを車で移動中に、何者かに銃撃され死亡しました。

中村さんは事件を受けて首都カブールに入った妻の尚子さんと長女の秋子さんとともに8日夕方、成田空港に帰国しました。
そして9日、羽田空港発の旅客機でふるさとの福岡に向かい、午前10時すぎ、福岡空港に到着しました。白い布にくるまれ花束が置かれたひつぎが旅客機から降ろされると、航空会社の関係者などが深々と頭を下げていました。
中村さんを乗せた白いワゴン車は午前10時半ごろ、福岡空港を出発し、午前11時50分ごろ、福岡県大牟田市の警察署に入りました。
警察は刑法の「国外犯」の規定を適用して、殺人の疑いで捜査する方針で、今後、死因などを調べることにしています。

ペシャワール会によりますと、中村さんの告別式は11日午後、福岡市中央区の斎場で営まれるということです。

アフガ二スタン人が出迎え「英雄のような存在」  
中村さんを出迎えようと、福岡空港の展望デッキには九州各地で暮らすアフガニスタン人、数十人が集まりました。
このうち、福岡県飯塚市の中古車輸出業、リアーズ・カハンさん(54)は「中村さんは30年以上もアフガニスタンのために尽くしてくれて、私たちにとってとても重要で、英雄のような存在だ。彼のような人が現れることを期待している。天国でゆっくりしてほしいと声をかけたい」と話していました。
また、愛知県知立市の中古車輸出業、イズマリア・アサドラさん(40)は「中村さんは私たちにとって家族のような存在だ。亡くなってとても悲しく、何をしたらいいかわからず、ここに来た。本当にいい人で、アフガニスタンでは子どもからお年寄りまでみんな悲しんでいる」と話していました。

ペシャワール会「彼が望んだ希望 すべて引き継ぐ」 
中村さんがふるさとの福岡に帰ってきたことを受け、中村さんが現地代表を務めてきた福岡市のNGO「ペシャワール会」の会長が会見を開き、「今回のことは『崇高』と表現したくなる犠牲だと受け止めています」と述べました。
「ペシャワール会」の村上優会長は、午前11時から空港で記者会見を行いました。この中で村上会長は中村さんがふるさとの福岡に帰ってきたことについて「ある意味で安どしました。やっと帰ってこられたという思いです」と述べました。
アフガニスタンで人道支援と復興に力を尽くした中村さんが亡くなったことについては「亡くなられたという事実、喪失感だけが圧倒的です。今回のことは『崇高』と表現したくなる犠牲だと受け止めています」と述べました。

さらに現地から中村さんに付き添ってきたアフガニスタン人の関係者にどんなことばをかけたかと問われると「連れて帰ってきていただいてありがとうございますと伝えた。お互い泣いて抱き合っただけです」とことばを詰まらせました。
また、ペシャワール会の今後の活動については、3年前から中村さんの指示を受けて、20年継続することを目指して態勢を整えてきたことを明かし「心の準備はゼロではない。中村先生が実践してきた事業はすべて継続し、彼が望んだ希望はすべて引き継いでいきたいと思っております」と述べました。


NHK  WEB特集 
中村哲さん 知られざる“無垢な” 素顔
NHK NEWS WEB 2019年12月6日
アフガニスタンで人道支援と復興に携わってきた医師の中村哲さんが銃撃されて死亡しました。中村さんと長年の親交があった歌手の加藤登紀子さんは、ある時、中村さんが嗚咽して泣いたことが忘れられないと話しました。加藤さんの話からは、つらい思いや迷いを乗り越えながら支援活動に当たってきた中村さんの素顔が見えてきました。(週刊まるわかりニュース 井上二郎 近藤伸郎 

(井上キャスター)中村哲さん死去の一報を聞いた時、どう思われましたか。
(加藤登紀子さん)本当に心臓が止まりそうでした。ショックで。

中村哲さんとの出会い  
(加藤登紀子さん)2001年に9・11のテロがあったでしょ。ニュースで哲さんが、アフガニスタンからのメッセージということで「砂漠の上に爆弾を落とすのはやめてもらいたい、そこには人々が生きているんだ」と言っていました。9・11のテロで、みんなすごくショックを受けているときに、たまたま日本に帰国していた哲さんがニュース番組にお出になって「テロリストを爆撃で殺せばいいんだっていう、この答えの出し方は最悪です」とおっしゃいました。このメッセージは、たくさんの人に伝わったと思います。ただ、肝心の爆撃する人たちの耳には届かなかったので悔しいですね。私、毎年末にコンサートで募金活動をしているんですけど、その年の年末に、アフガニスタンで緑を増やし、水をなんとかしようとしている中村哲さんにお会いしようと、声をかけたのがはじまりです。その翌年に日本に帰られていた哲さんとお会いして、それから毎年、年末ごとに応援してきました。日本に来られて講演会をなさるときには駆けつけて、歌ったりしてきました

“無垢な感じ” ひきつけられる中村さんの人柄  
(井上キャスター)「哲さん」「トキさん」と呼び合う間柄だったんですか。
(加藤登紀子さん)そうですね。ちょっと私の方が年上なので。子どものようなところがあるんですよね。もちろん、地球上に業績をのこした偉大な人物として、未来に語り継がれるべき人だと思うんですけれど、実際には、うれしかったり、寂しかったり、辛かったり、迷ったりっていう人なんですよね。その無垢な感じが伝わってくる人で。優しい目を見ていると、抱きしめたくなるような可愛い人だと感じていましたね。
(井上キャスター)具体的にそう思った瞬間など、エピソードはありますか。
(加藤登紀子さん)一度、写真を撮ろうとしたときに、哲さんとは「やっぱり地面の上にべたっと座らないとだめね」と話したんです。両方ともきれいな格好をしていたときだったんですけど、地面に座って。そのときに、すごくうれしそうな顔になって。やっぱり背広なんか似合わないんです。私は残念ながらアフガニスタンまで応援に行けなかったんですけど、アフガニスタンの土の上に座って、砂漠でふたりで語り合いたかったなと思っています。

「メリークリスマス」で見せた心の内側 
(加藤登紀子さん)とても印象に残っているのは、2009年のクリスマスイブに「じゃあ哲さんに電話してみようか」ということになったんですよ。ペシャワール会の人たちと皆で「哲さんに電話しちゃおう」って。電話して「もしもし、メリークリスマス」って私が言ったんですね。そうしたら、しばらく応答がないんです。遠いから、どうしたのかと思っていたら、しばらくたって「トキさん、僕ね、クリスチャンだよ、実は」とおっしゃったんですね。泣いていたなと、受話器の向こうでね。とっさに軽い気持ちで「メリークリスマス」と言ったんですけど、哲さんは泣いているなと思いました。その時に、クリスチャンだったけれどイスラム圏の人たちの中で大きな信頼を得て、彼らのために命を賭けている、その哲さんの心の中のいろんなことが伝わってきた気がしたんです。その時の一瞬の嗚咽している瞬間が忘れられないですね。
(井上キャスターそれは「つらさ」なんでしょうか。それとも、何か別のものがあったのでしょうか。
(加藤登紀子さん現地では「メリークリスマス」はないわけだから、虚を突かれたというか。いろんなことを根本から乗り越えて、そして人の命を助けなければならない。哲さんの根底にある決意のすごさが、一瞬にして伝わってきた気がしましたね。
(井上キャスターいろんな緊張状態とか、自分が何かしないといけないという思いとか、そういうものが一気に出てきた嗚咽と涙だったのかなと、聞いていて思いました。
(加藤登紀子さんそういうことについては一切語らない方でしたので、その瞬間というのは私の中では大きな、大切な思い出となっています。若い人がたくさんボランティアに行くようになって、たいへん喜んでいらしたんですけれども、アフガニスタンでともに活動していた伊藤和也さんが、2008年に銃撃されて亡くなったときに「これからは一切、日本の人は僕以外現地に入れない」「もう一切危険なところに若者を行かせるわけにいかない」と、自分ひとりで体を張っていく決意を示された。彼のなかで、もう一段階深い決意に突入したときだったでしょうね。

伊藤和也さんを地元住民と悼む中村さん(2008年武器を持つよりも大切なこと
(井上キャスターどうして中村さんは、あれだけ危険な地域に行っていたとお考えになりますか。
(加藤登紀子さん現地で直面した人たちのあまりの生活の過酷さですね。何度も何度も足を運んでいるうちに、命を賭けることになったということなので。何かすごく大げさな、大上段に振りかざした何かではなくて、目の前にいる人を助けたいという思いが、ずっと繋がってきたと思いますね。
(井上キャスター私を含めてアフガニスタンは遠い国と思いがちですが、中村さんの遺志を継ぐために、私たちには何が必要でしょうか。
(加藤登紀子さん2001年9・11テロのあとに爆撃という方法をとって、生活が危機に瀕していたアフガニスタンという国で、武器を持って戦う人たちを育ててきてしまった。だからもう一度、世界中の人たちが「これは解決にならないね」「このままじゃ大変なことになる」と思わなければなりません。事態は深刻だと思います。空に鉄砲が飛ぼうと、人々は毎日ごはんを食べて生きなくちゃならない、家がなくちゃならない、村がなくちゃならないでしょ。「淡々と続けることが大事なんです」と、哲さんはおっしゃっていました。そういう意味では世界を変えないといけないし、これから武器を持って戦おうとする人たちにどう伝えていくのかが、大きな課題だと思います。村に戻ってきた人たち、農業を営んでいる人たち、一生懸命毎日生きている人たちが安心して、それを続けていけるように、応援していかないといけないのではないでしょうか。
(井上キャスター中村さんの生き方からどういうメッセージを受け取ればいいと思いますか。
(加藤登紀子さんやっぱり武器を持つよりも人々と信頼関係が生まれることの方が何より大事で、それが自分の身を守ってくれる。どんなに時代が混乱しても、絶対に光に向かっていく。命を守っていく、それが大事な道だと見つけてね。のびのびと明るい気持ちで前に向かわないといけない。それを哲さんは、周りの人に伝えてきたと思うんですよ。そのことが、こんな形で答えが出てしまったのが本当に悔しいし、残念です。
(井上キャスター中村さんの夢は何だったと、加藤さんは考えますか。
(加藤登紀子さんそれは「毎日、毎日」だったと思います。皆がちゃんと耕して、ごはんが食べられて、戦争をしなくてよくて。根本的にはみんな同じようには思っているはずなんですけど、「毎日、毎日」が目の前で起こっていくわけだから。ああよかったな、きょうは無事でよかったね、きょうここでこの花が咲いたね、緑がなかったところに緑が戻ってきたね。そういう小さな答えを1つずつ、彼は夢として見ていたと思います