吉村・大阪府知事は相変わらずTVに出まくっているようです。
ニュースで紹介されるところを見ると実に多弁ですが、大阪がコロナ禍で惨状を呈したことについて決して自分の非を認めようとはしません。
昨年来の吉村氏の行動を追っても、現状の「災害クラス」の状況を引き起こした責任は間違いなく知事自身にありますが、当人はそれを認めず、最近では逆に「現行の制度では十分に対応できない、個人に義務を課す法令が必要」などと「私権制限」を持ち出す有様です。
それだけではありません。大阪では2月25日にコロナの変異株での国内初の死者が出ましたが、それを20日近くも公表しませんでした。そして、それを公表した際に記者から知事にいつ報告があったのかと聞かれると、「今日あった」と答え たった1人なので大した問題ではなという態度だったようです。
しかし国内初の変異株の死者が出たことを知事に20日近くも報告しないことなどあり得ません。多分影響が小さくなった頃を見計らって発表したというのが事実でしょう。
LITERAが吉村・大阪府知事を手厳しく批判する記事を出しました。
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吉村知事が今度は「変異株に対応」を強調して私権制限主張も…国内初の変異株死者を宣言解除のために20日近く隠蔽した重大疑惑が
水井多賀子 LITERA 2021.05.02
4月29日発表の死亡者が44人と過去最多の数字となったことにつづき、5月1日の死亡者も41人となり、医療崩壊の深刻さが浮き彫りとなっている大阪府。
だが、呆れたことに、このような「災害クラス」の状況を引き起こした当人である吉村洋文知事は、現行の制度では十分に対応できない、個人に義務を課す法令が必要などと「私権制限」を持ち出し、自身の責任逃れに必死になっている。
この「私権制限」発言には、兵庫県明石市の泉房穂市長が「病床が確保できていないのに、私権制限はやってはいけない。政治家の責任放棄で、失格だ」「吉村知事は有害だ。辞めてほしい」と厳しく批判をおこなった。ところが吉村知事は病床確保という自身の責任問題を無視して「私権制限の議論がタブー視されている」などと反論。つまり、感染拡大によって医療崩壊を招いたことも、全部「日本は私権制限ができないからだ」と責任を転嫁しようとしているのだ。
しかも、吉村知事は41人の死亡者を出した昨日1日にも、ツイッターで「インド滞在した外国人は入国禁止 米、変異株で規制強化」という朝日新聞の記事を引用した上で、こんな投稿をおこなった。
〈現在、N501Y変異株を目の当たりに対応している立場として、私権制限をしてでも、日本人を含めインドからの入国者を強制隔離すべきだ。新たな「二重変異株」は、かなり感染力が強いとされる。抑えきれなくなる。〉
まるで私権制限ができないから変異株感染が拡がるかのような言い草だが、まったく何を言っているのか。まず大前提として、そもそも日本政府はインドを含めたコロナ流行指定国からの入国について、他国で一般的になっている「14日間」の待機期間を短縮し、ホテルなどの指定場所での3日間待機しか実施していない。強制隔離うんぬんより前に、この隔離期間こそ見直すよう求めるのが筋だ。
さらに、吉村知事は「N501Y変異株を目の当たりに対応している立場」などと言うが、大阪府の変異株スクリーニング検査の実施率は、直近のデータでもわずか27%(4月12日〜18日)。しかも、このスクリーニング検査ではインドの変異株は確認できないためゲノム解析をおこなう必要がある。ところが、神戸市などは独自にゲノム解析に取り組んでいる一方、大阪ではスクリーニング検査の実施さえ遅々として進んでいないのだ。
ようするに、吉村知事はまたも、自分がやれることもやらずに、「私権制限できないから感染は拡大する!」とだけ叫んでいるのである。
しかも、この吉村知事の投稿が許しがたいのは、変異株の猛威には私権制限なくして立ち向かえないなどと主張するなかで、あたかも自分は変異株に注意を払い、最善を尽くしてきたかのような立場を装っていることだ。
だが、実態はまるで違う。いや、それどころか、吉村知事はイギリス型変異株の危険性を知る立場にありながら、その事実を隠蔽していた疑いさえあるのだ。
20日近くも隠した理由を問われて吉村知事は「変異株死亡例は1人だから他意はない」
そもそも、3月16日に神奈川県が新型コロナ死亡者2人の変異株への感染を公表し、これが国内初の変異株死亡者の確認だと大々的に報じられた。そして、翌日の17日には吉村知事も新型コロナで亡くなった府内の80代女性の検体から変異株が確認されたと公表した。
ところが、じつはこの女性が亡くなったのは2月4日で、変異株に感染していたことが判明したのは2月25日だった。つまり、大阪は変異株感染者の死亡を約20日近くも黙っていたのである。
この大阪府内の変異株による死亡者が確認されていたことをはじめて明かした3月17日の会見では、吉村知事は「国には2月末の段階では報告している」と言い張り、「国において公表の仕方も含めて判断するのが重要」「きょう(厚労省の)アドバイザリーボードで公表されるので、それにあわせて大阪府としてもどんどん公表していきたい」と発言。「知事に報告があったのはいつで、そのタイミングで公表しようと思わなかった理由は?」と訊かれると、こう語った。
「僕自身に報告があったのはきょうです。うん。で、これについては、単独で公表することにたしかにどこまで意義があるのかということはあると思いますが、ただ、府民のみなさんも変異株で亡くなられた方が何人ぐらいいるんだろうかというのはやっぱり知りたい情報だと思うので、それについては公表していこうと。国の公表にあわせて大阪府としても公表していこうと判断した」
「国に対しては当然報告はして、国は統計は必要ですからHER-SYSにもきちんと載せた上で、大阪府としての公表どうするのかということの相談がありましたから、それはどんどん公表していきましょうと判断したということで、とくに他意はないと思います。それがものすごい数になったら別だと思いますけど、おひとりということなんで、公表の仕方の話であって、とくに担当部に他意はないんじゃないかというふうに思います」
「変異株死亡例は1人だから他意はない」って、そんなことあるわけないだろう。現に、前述したように神奈川県が発表した変異株死亡者は2人だったが、「国内初」として大きなインパクトを与えたからだ。
その上、吉村知事は「僕自身に報告があったのはきょう」と強調したが、「国内初の死亡例」という大きな問題について、20日近くも報告が吉村知事まであがってこなかったとは到底考えられない。吉村知事といえば“国任せではない独自の情報公開”を謳ってきたというのに、こんなときだけ「国の公表にあわせた」というのは明らかにおかしいだろう。
ようするに、「国内初の変異株死亡者が府内で確認された」と発表することのイメージ悪化を恐れて情報を公表せず、神奈川県の死亡例発表やアドバイザリーボードでの変異株の死亡者公表を受けてようやく公表した、ということではないのか。
変異株死亡者情報の隠蔽は、緊急事態宣言の解除の妨げになるからではなかったのか
しかも、この変異株死亡者情報の隠蔽の背景には、極めて政治的な理由があった可能性が高い。それは、緊急事態宣言の解除に影響を与えるのを避けたかったという理由だ。
実際、大阪府が死亡者の変異株感染を確認したのは2月25日だというが、吉村知事は2月1日の段階から緊急事態宣言の解除に向けて独自の緩い基準を定めることを表明するなど宣言解除に前のめりで、23日には兵庫・京都とともに28日の解除を国に要請。菅義偉首相は26日に2月末での解除を表明した。もし25日に国内初となる変異株の死亡例を大阪府が公表したならば、関西圏の宣言解除に不安が高まり、批判の声があがったことだろう。
そして、「国内初の変異株感染者の死亡例」という事実を隠蔽し、宣言の前倒し解除に持ち込んだ吉村知事は、宣言解除にともない3月1日には重症病床の確保数を215床から150床まで減らすことを各病院に通知。そうして医療崩壊を招くという現在の事態にいたってしまったのだ。
このように、事実の隠蔽までおこなって変異株に対応するための体制づくりはおろか重症病床まで削減していた人物が、自身の責任には言及することもなく、逆にいまごろ変異株の猛威をスケープゴートにして「私権制限」を叫び、責任を法律や国民に転嫁しているのだ。無茶苦茶にもほどがあるだろう。
ところが、ネット上では吉村知事の口車に乗せられ、責任追及もおこなわれないまま「私権制限は必要だ」という意見が広がっている。もちろん、これに菅政権が乗っかるのも時間の問題だろう。
しかし、明石市の泉市長が指摘したように、病床確保というやるべき仕事もできない首長や総理が私権を制限するなどということは「政治家の責任放棄」にほかならないのだ。これ以上、吉村知事の論点ずらしや責任逃れに手を貸してはいけない。
(水井多賀子)