2016年7月20日水曜日

20- 激戦の新潟で当選 森ゆうこ氏が語る「野党共闘」の成果

 先の参院選で新潟選挙区は、野党統一候補の森ゆうこ氏が見事勝利を飾りました。
 2,000票余の差という辛勝でしたが、当選するか落選するかは決定的な違いです。民進党が入る野党選挙協定では脱原発が謳えないために、それを封印して選挙を闘うというような制約もあり、そのことを批判する議論もありましたが、当選を勝ち取るための苦渋の選択でした。
 
 選挙では自民党の最重要選挙区ということで、首相が3度も来たのをはじめ、続々と自民党の大物?連中が来県し、菅官房長官もあのバングラデッシュの悲劇の日にも来県していて、官邸不在が問題となりました。
 森ゆうこ氏はそんな自民党の猛攻撃に耐えて勝利をつかみました。
 
 日刊ゲンダイが「注目の人 直撃インタビュー」として、森ゆうこ氏のインタビュー記事を載せました。
 かつて “武闘派” として名を馳せた森氏ですが、その闘志は健在と見受けられます。
 選挙戦の最後の3日間は、「脱原発」への強い決意をキチンと訴えたということですそれには渋面を作った人たちもいたことでしょうが、やむにやまれなかったのでしょう。女性闘士の面目躍如というところです。
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激戦の新潟で当選 森ゆうこ氏が語る「野党共闘」の成果
注目の人 直撃インタビュー
日刊ゲンダイ 2016年7月18日
元自民議員の応援が穏健保守層を引きつけた
 
 参院選の1人区は野党が共闘で候補者を一本化し、2ケタ勝利を挙げた。どこも僅差の大激戦となったが、新潟選挙区を制したのが “武闘派” と評される森ゆうこ氏(60)だ。インタビュー当日は白いスーツに薄ピンクのストールと、小奇麗ないでたちだったが、目の奥には「闘志」をたたえていた。豪快にして大胆な舌鋒で、18日間の選挙戦を振り返るとともに、安倍暴政への対抗策を語った。
 
――公示直後から大接戦と予想されていましたが、最終的に約2000票差で勝利をもぎとった。勝因は何だったとみていますか。
 意外に思われるかもしれませんけど、セオリー通り戦った結果だと思っています。奇をてらうようなことはしていませんよ。今回は歴史的な野党の大同団結が実現しました。さらに連合新潟や市民連合@新潟、初めて政治に関わることになった市民の皆さんも協力してくれた。推薦をいただいた政党や団体の方に、「必ず選挙に行っていただくこと」と「投票用紙に『森ゆうこ』と書いていただく」という2点を徹底的に訴えてきました。おかげで、推薦をいただいた各党の8割、9割を固めることができました。また、最終盤は1日約40カ所での街宣が功を奏しました。私は、1日で最高74カ所で街宣をやったこともある。「ゲリラ街宣」が私のスタイルです。
 
――公明党支持層の3~4割が、野党に流れたとの調査結果もありました。
 相手陣営の票が流れるというのは、こちらにとって「プラス1」となるだけでなく、相手にとっては「マイナス1」となるわけですから、効果は非常に大きかった。街宣では、元自民党議員で自治大臣を務めた白川勝彦先生が飛び入りで駆けつけてくれました。白川先生は、「今の安倍政権は本物の自民党じゃない」「今の安倍政権は保守ではない。あれは、反動右翼だ」と舌鋒鋭く批判していた。私が同じことを言っても、ただ攻撃しているようにしか聞こえないでしょ?白川先生が言ってくれたおかげで、かつての自民党を支持していた穏健な保守層の方たちも耳を傾けてくれました。
 
――野党共闘は大きな効果がありました。
 野党各党の支持層の大半が私に票を投じてくれたことも大きかったのですが、「結集」の力が無党派層にも響きました。「自民党はイヤだけど、野党はバラバラで力がない」と考える有権者は多い。ところが、共闘態勢が整ったことで、「もう一度(野党に)期待してみよう」と思ってくれたのではないでしょうか。無党派層の約7割が私に投票した結果を見ても、「結集」の力は大きかった。
 
――生活の党の小沢一郎代表が計3回、新潟に入りました。ラストサンデーの3日は、都市部を避け、JR浦佐駅近くの田中角栄像の前で街宣に立ちました。
 田中角栄像の前で小沢先生が街宣するのは象徴的でした。今の自民党はかつての田中政治とは違う。国民の生活なんて何も考えていませんから。それに、浦佐駅付近の地域は農協や建設業者が多く、古くからの自民支持層がメーンです。今の安倍政治にはどこか違和感を持っている方も多いようで、小沢先生の言葉は重く響いたと思います。また、大都市に集まるだけでなく、小さな地域にこちらから出向くことで、私たちの考えをより鮮明に伝えることができるのです。 
 
――バングラデシュで日本人が巻き込まれたテロが起きた2日、菅官房長官は官邸を不在にし、選挙応援に入った。あれは新潟でしたよね。安倍首相も計3回新潟に入りました。自民にとっては最重点区でした。そうした空気は強く感じられましたか。
 一言で言えば「やり過ぎ」です。小泉進次郎さんや橋本聖子さんも新潟に入ったそうで、誰が自民党候補なのか分からないような状況でした。菅官房長官については、人命がかかっている時に一体何をやっているのか、理解に苦しみます。官房長官は国家安全保障会議(NSC)の要です。実際、私が街頭でその話をした際、「自民党は何やってんだ!」という声がかなり飛んでいたようです。
 
■「原発反対」を叫ぶだけではダメ
――ただ、野党共闘を優先した結果、持論である「原発政策」では、民進党の議員や支持基盤である「連合」と意見の食い違いがあったとされていますが。
「脱原発」に慎重な姿勢の民進党議員とは、2週間くらい話し込み、調整してきました。原発がなくてもよければ、それに越したことはないんだけど、やっぱり立地自治体の経済に絶大な恩恵があるわけです。(民進党議員や連合は)「いきなり『脱原発』なんて無責任じゃないか」と、そう思っているわけでしょ。その人たちが納得するような物の言い方、物事の進め方が必要。「原発反対」「再稼働反対」とただ叫んだって、彼らの心を閉ざしてしまうだけです。
 
――では、街頭でも「脱原発」を訴えることができたのでしょうか。
 私が野党統一候補になりたいがために、「脱原発を封印した」と書いた新聞社もありましたけど、もう、全く違う。確かに立地自治体の経済が原発で成り立っているのは事実です。さらに、原発が日本の経済成長に実際に貢献してきたわけですよ。そういう部分にリスペクトを払い、貢献に感謝する。その上で、新しいエネルギー産業で地域を活性化しようということを、本当に実感してもらえるような、政策の提案、あるいは議員立法そのものを皆さんに提示しないといけません。子供たちに放射能の恐怖を二度と味わわせたくはないので、選挙戦の最後の3日間は、「脱原発」への強い決意をキチンと訴えました
 
――年内の解散・総選挙が囁かれていますが、参院選での野党共闘が参考になりますよね。
 大同団結しないと与党にはとても勝てないでしょう。参院選の1人区は衆院選の小選挙区と同じです。野党がバラバラのままでは(相手が)巨大すぎます。それに、国民はもう「お試し」で野党に投票することはありません。野党が本気で大同団結し「安倍政権じゃダメなんだ」と示さないと、国民の信用は戻りません。
 
■今の野党議員は“上品”すぎる
――野党は1人区で善戦したとはいえ、自公をはじめとした「改憲勢力」に、憲法改正発議が可能な3分の2の議席獲得を許しました。
 確かに厳しい状況にあります。しかし、中身を冷静に見てみれば、“攻めどころ”が浮かび上がってくる。「平和の党」とうたう公明党の支持者の中には、今の安倍政治に疑問を抱いている方も多くいます。でなければ、公明票が私に流れてくることもなかったはずです。
 
――国会では安倍政権とどう対峙していきますか。
 憲法改正問題もそうですが、対立軸はハッキリしています。例えば、年金積立金で巨額の損失が出た問題では、「国民の年金を返せ!」と、これくらいハッキリ言っていいんですよ。今の野党議員の発言は、どこか “上品” で、カッコつけているようにも見える。「安倍政権は皆さんの年金でバクチを打って失敗した。冗談じゃない!」と、私ならこれくらいガーンと言っちゃいます。安倍総理は私と対決したくないから、新潟に3回も入って「森ゆうこ」の復活を阻止したかったのかもしれませんね(笑い)。
 
――明確な言葉で訴えかければ、多くの国民が安倍政治のおかしさに、徐々に気付いていく。
 安倍政権はたった1%の富裕層や大企業を優遇している。私たちは99%の普通の生活を送る人を豊かにするための政策を提案していきたい。また、昨年9月19日、安保法案が強行採決されたことで、日本の民主主義は死にました。しかし、主権者としての義務を果たそうと立ち上がった市民の力で、新潟から「新しい民主主義」が生まれました。「市民の力が政治を変える」を合言葉に、市民の立場にたって国会に臨みたいと思います。 (聞き手=本紙・小幡元太)
 
 ▽もり・ゆうこ 1956年生まれ。新潟県新津市(現新潟市)出身。01年参院選で自由党から出馬し初当選、07年参院選では民主党から出馬し再選。13年は生活の党から出馬するも落選した。11~12年、野田内閣で文科副大臣を務めた。