2020年11月9日月曜日

首相、苦し紛れの「事前調整」論は露骨な政治介入宣言

 菅首相は6人の任命拒否問題を追及されるたびに新たな口実を口にして来ましたが、その都度ことごとくが破綻して来ました。
 5日の参院予算委で菅首相は、自民党の二之湯智議員に促されて恰好の口実が出来たとばかりに、以前は推薦名簿の提出前に学術会議会長との間で調整が行われていたとし、「今回の任命にあたっては推薦前の調整が働かず、結果として任命に至らなかった者が生じた」と述べました。
 しかしそれこそは政府が介入の意図をもっていることを明言したものなので問題は振り出しに戻ります。小池書記局長が議論をやり直す必要があると述べたのは当然です。

 11~17年に学術会議会長を務めた大西隆・東大名誉教授は、「首相の言う『調整』が推薦名簿の変更を意味するのであれば、調整したという事実はない」と明確に否定しました。
  そして、首相会議を批判し会議の現状を「懸念してきた」と語っていることについても、官房長官時代の菅氏に推薦候補の説明のため何度か会ってきたものの、そうした懸念を聞かされたことはないし、会議のあり方についても03年の「日本学術会議の在り方について」や、15年の「日本学術会議の今後の展望について」に沿って実現してきたとして、菅首相の言い分を全面的に否定しました
 こんな風に首相の国会での発言に真実性がないのは絶対に許されません。

 しんぶん赤旗の二つの記事を紹介します。
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首相、苦し紛れの「事前調整」論 学術会議任命拒否 根拠 総崩れ
                       しんぶん赤旗 2020年11月8日
 「総合的・俯瞰(ふかん)的」「多様性確保」―。日本学術会議会員の任命拒否問題をめぐる「正当化」論がことごとく破綻した菅義偉首相。苦し紛れに持ち出したのが、「今回は(事前)調整がなかったから任命に至らなかった」(5日参院予算委)という発言です。しかし、学術会議側に責任をなすりつけようという新手のすり替え論も、裏を返せば選考・推薦の段階で介入するという「露骨な政治介入宣言」(日本共産党の小池晃書記局長、6日参院予算委)にほかなりません。矛盾は深まるばかりです。

口実くるくる
 これまで首相は、任命拒否について「総合的・俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」と言い張っていました。しかし、日本共産党の志位和夫委員長が「6人を任命すると『総合的・俯瞰的活動』に支障をきたすのか」と追及すると、首相は「人事に関することでお答えは差し控えたい」と述べるだけで、その理由を答えられませんでした。
 「必ず推薦のとおりに任命しなければならないわけではないとの点は、内閣法制局の了解を得た政府の一貫した考え」という言い訳も、「政府が行うのは形式的任命」「推薦していただいた者は拒否しない」という、公選制から推薦にもとづく任命制に変わった1983年当時の一連の政府答弁を覆すもので、解釈の改ざんだと明確になりました。
 しかも「内閣法制局の了解」も「平成30年11月15日」(井上信治科学技術担当相)とわずか2年前であることも明らかになりました。
 「多様性が大事だ」などという理屈も破綻しています。大事ならなぜ、私立大学からの3人を拒否したのか、女性研究者を拒否したのか、その大学から唯一の研究者を拒否したのか―いずれも説明できず、支離滅裂ぶりをあらわにしました。
 こうして「正当化」論をくるくる変え、いずれも破綻したなかで持ち出してきたのが「事前調整」論です。

元会長が反論
 首相は委員会答弁で、「以前は」推薦名簿提出前に、内閣府と学術会議との間で「一定の調整が行われていた」と発言。「以前」とは、2017年のことと明言しました。
 しかし当時の会長・大西隆氏は「首相のいう『調整』が『推薦名簿』の変更を意味するのであれば、調整した事実はない」ときっぱり反論しており、首相のウソは明白です。
 重大なのは、首相が「推薦前の調整が働かず…任命に至らなかった」と告白したこと。「任命」以前の「選考・推薦」の段階で政府が介入することを公然と宣言したのです。小池氏が指摘するように、学術会議法17条は、会員の選考・推薦は学術会議の権限としており、選考・推薦への政府の介入が違法であることは明白です。まさに「露骨な政治介入」です。


会員選考 政府と「調整」していない  元学術会議会長・大西隆さん
「あら探し」ばかり 情けない
                       しんぶん赤旗 2020年11月8日
 菅義偉首相が日本学術会議の会員6人を任命拒否した問題で、首相は国会で学術会議を「閉鎖的」「既得権益」と非難し、「多様性が大事」などと述べて拒否を正当化しようとしています。2011~17年に学術会議会長を務めた大西隆・東京大学名誉教授に、問題点を聞きました。(安川崇)
 首相は任命拒否について、「以前は学術会議の推薦名簿が出る前に、政府と会議側で一定の調整が行われていた」「(今回は)推薦前の調整が働かず、任命に至らなかった者が生じた」と答弁しました。
 17年の会員の半数改選で、官邸側の求めに応じて選考の途中、しかし選考委員会で候補者を絞り込んだ段階で経過の説明を行いました。しかし首相の言う「調整」が「推薦名簿の変更」を意味するのであれば、調整したという事実はありません
 補欠に相当する人を含んだ資料も示しましたが、選考に関する協議ではないことを双方が承知していたと思います。選考はあくまで学術会議の役割だからです。

懸念聞かず
 首相は会議を批判し、現状を「懸念してきた」と語っています。私は官房長官時代の菅氏に、推薦候補の説明のため何度か会ってきましたが、こうした懸念を聞かされたことがありません
 会員の選考基準は「優れた研究又は業績がある科学者」(日本学術会議法17条)です。これに加えて女性の増加のほか、所属先や地域のバランスをとることを選考方針としてきました。
 その結果、現在の会議が、過去で最も多様性のある構成になっています。私が会長になった11年と現在の学術会議を比較すると▽女性が23・3%から37・7%▽私立・公立大所属者は18・6%から27%―に増えました。旧帝大所属者は53・8%から44・6%に減りました。
 こうした改革は、03年の「日本学術会議の在り方について」(総合科学技術会議の専門調査会)や、15年の「日本学術会議の今後の展望について」(内閣府担当相下の有識者会議)に沿って実現してきました。
 いずれも政府がつくった会議体による報告であり、「展望」はこの間の学術会議の活動をおおむね肯定的にとらえています。政府は「展望」を参議院に提出したので、これが政府の立場であるはずです。

法に誠実に
 学術会議は独立して活動するとされていますが、その運営については、会員人事も含む全てが学術会議法で決まっています。国会で制定された法の執行は、内閣の責任です。首相には法を誠実に執行する責任があるはずです。
 つまり、学術会議の改革は政府主導で進められ、その活動は法律で枠が決まっている。その結果である現在の会議の姿を「閉鎖的」などと非難することは、政府がしてきたことの自己否定であり、天に唾(つば)するものにしかならないと思います。学術会議の「あら探し」発言ばかりで、情けなくなります。
法解釈変更は明らか
科学は「国のかたち」の一部
 政府は現在、2018年11月作成とされる「内閣総理大臣に…(日本学術会議による)推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」とする文書を根拠に任命拒否を正当化しています。
 しかもこれが「法解釈の変更ではなく、一貫した政府の立場だ」と主張します。
 しかし学術会議の諸規則には、任命拒否に対応するものがありません。欠員の補充についての規則は「会員が定年、死亡、辞職又は免職により退任する場合」となっており、「など」がついていないので任命拒否に適用されるとは解釈できません。学術会議が任命拒否を想定していないことは明らかです。

通知が必要
 政府は18年の文書について「内閣法制局の了解を得た」としています。しかし、内閣府の日本学術会議事務局が、本当に公式にこの見解を法制局に相談したのかどうかは疑問です。当時の山極寿一会長も、この文書を「知らなかった」と発言しています。
 私は、首相に推薦候補を「機械的にすべて任命する義務がある」とは思いません。学術会議は「研究・業績」で判断しますが、私たちが知りえない事情―例えば外国籍で公務員になれない場合など―もあり得るからです。しかし、その場合は学術会議に理由を通知する必要があるでしょう。
 それが今回のように「理由も示さず恣意(しい)的に任命拒否できる」ということになると、従来の法解釈が実質的に大きく変わったのは明らかだと思います。
 法が任命拒否を想定していない以上、6人が任命されず、法が定める210人の定員を満たしていない現状をどう解決するのかは、実は難しい。解決するルールがないのです。
 結局、首相が任命拒否の間違いを認め、学術会議の要望どおりに6人を任命するほかに解決策はないように思います。
 任命を拒否した理由を政府が説明しないので、「過去の政府方針を批判したことを理由に任命されなかった」との臆測を呼んでいます。
 私たちは科学の力を信じる者として、科学に基づいて独立した立場から政府に「ものを申す」ことはあります。学術会議の設立目的は、科学の成果を政治、社会に生かすことです。

信頼に影響
 これは「国のかたち」の一部でもあり、その国の国際的信頼にもかかわることです。新型コロナウイルスへの対応を考えてみても、政策がそれぞれの国の科学者の知見に基づいて決定されることが信頼につながります。
 「科学者の言うことが政府に届かない」「科学者の組織の人事が政治的に決められる」ということになると、信頼に悪影響が出るでしょう。こうした「科学と政治」の関係の象徴的存在が、学術会議だと思っています。