2020年11月7日土曜日

「権力=快感」を自ら口にしていた菅首相 恐怖支配の実例

  菅義偉首相の著書『政治家の覚悟』の改訂版(文春新書)が出されそこでは公文書管理の重要性を説いた箇所削除されていて話題になりました。しかしそれよりも もっとゾッとする菅氏の素顔が顕れていると、政治に対する独自の着眼点や鋭いツッコミでおなじみのお笑い芸人・プチ鹿島氏が書評で指摘しました。

 それは菅氏自身が著書の中で、「思うように政策を進める快感を力に変えられるかどうか」が、重圧に潰されないようにするための要件だと語っているという点です。
 史上、権力を行使することに快感を持ったらしい暴君たちは確かに存在しましたが、まさかそれと同じ思いを持っている人間が、いま政治の頂点にいたということには驚きを禁じ得ません。

 LITERAが、プチ鹿島氏の書評を紹介方々、菅氏の権力=快感という性向について取り上げました。
 菅氏はこれまで自分の持っている権力を自己中心的に使って来ました。その陰には現実に多くの人たちが人生を狂わされました。実に陰湿・陰険・陰惨な話です。
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プチ鹿島命名 菅首相は本当に「権力快感おじさん」だった! 自ら口にしていた「権力=快感」発言と恐怖支配の実例総まくり
                          LITERA 2020.11.04 09:12
 公文書管理の重要性を説いた箇所を削除・改訂した菅義偉首相の著書『政治家の覚悟』(文春新書)が、またも話題を集めている。というのも、都合の悪い部分は外されたはずの改訂版なのに、菅首相のゾッとするような素顔が垣間見えると評判なのだ。
 なかでも話題を呼んだのが、政治に対する独自の着眼点や鋭いツッコミでおなじみのお笑い芸人・プチ鹿島による書評だ。
 プチ鹿島は、『政治家の覚悟』の版元である文藝春秋の「文春オンライン」に掲載された書評で、〈実はヤバい部分はたくさん掲載されていた〉と同書を紹介。〈総務相時代に同省のNHK担当課長を更迭したことを誇らしげに書いている〉ことや、この担当課長を更迭したときのことを菅首相自身が〈《「いいから、代えるんだ」と押し切りました。》と自慢げに書いている〉ことなど、気に食わない官僚や意見を排除していくさまを〈「強い口調」のオンパレード〉で自ら開陳していると指摘。その上で、毎日新聞に掲載された、菅首相の官房長官時代の番記者だった秋山信一記者の記事を引用している。
 その記事とは、こういうものだった。
〈19年11月に安倍晋三首相(当時)の通算在任日数が歴代最長になった時だった。議員宿舎に帰宅した菅氏は「長く続けることがおめでたいわけではない」と言った上で、「権力」について「重みと思うか、快感と思えるか」とボソッと語った。重圧に潰されないようにするためには、思うように政策を進める快感を力に変えられるかどうかだということだ。〉(毎日新聞10月2日付「記者の目」)
 そして、プチ鹿島は〈権力を行使するのは重みではなく「快感」。ギョッとする。権力者はその力を抑制的に使うはずだが、快感らしいのだ〉とその「ヤバさ」をあきらかにし、最後には菅首相を〈権力快感おじさん〉と命名したのだ。
 このプチ鹿島による書評が公開されると、Twitter上ではこの秀逸な〈権力快感おじさん〉というワードが話題に。〈権力快感おじさんとは言い得て妙〉〈権力快感おじさんの語感やばいなww笑えんけど〉〈「権力快感おじさん」絶対上司にしたくないし、首相なんてもってのほか〉〈「権力快感おじさん」はパンケーキおじさん、令和おじさんを遥かに超えるパワーワードなので、マスコミ各社積極的に使ってもらいたいですね〉などと感想が溢れた。
 官僚の意見に耳を傾けることもなく「いっさい口出しするな!」などとシャットアウトし、人事権を行使して意に沿わない官僚は排除してゆく……。だが、もっとも恐ろしいのは、こんな強権的な側面を得意気に披露し総理大臣になったいまも著書から削除しなかったことのほう。“権力を振るうのは快感”という発言からもわかるように、つまり、菅首相はこのことをまったく異常だと思っていないのだ。

「ふるさと納税」に異を唱えた総務省官僚を「昇格は許さない」と左遷した菅首相
 だが、たしかに菅首相のこれまでのおこないを振り返れば、それもうなずくほかない。
 その最たる例が、2014年に「ふるさと納税」をめぐって菅官房長官に異を唱えた総務省官僚だった平嶋彰英氏の人事だ。
ふるさと納税は総務相時代の菅氏の肝いり政策だが、2014年に官房長官だった菅氏は寄付控除の上限額の倍増などを指示。これに対し、当時、総務相の自治税務局長だった平嶋氏は「消費増税をお願いするなか、高所得者の節税対策になっているのはおかしい」と、菅官房長官に直接、問題点を説明したという。しかし、菅官房長官の態度は冷淡なものだった。
「『俺はふるさとに純粋に寄付している人をいっぱい知っている』と言われ、資料も渡したが、すぐ返されました。俺に文句言うな、という感じでした」(9月12日放送TBS『報道特集』より平嶋氏の証言)
 だが、菅官房長官はただたんに訴えを無視しただけではなかった。平嶋氏が説明に行ったあとには、「総務省の上層部からも電話がかかってきて、これ以上は何も言わないように忠告されました」(「週刊朝日」オンライン版9月10日付、平嶋氏インタビューより)といい、さらに翌年の2015年の人事で、事務次官候補とも呼ばれた平嶋氏が、そのコースから外れる自治大学校長に異動となったのだ。この人事の背景に何があったのか。じつは毎日新聞2017年6月3日付記事には、こうある。
〈2015年夏の総務省人事で、高市早苗総務相がある幹部の昇格を提案したが、菅義偉官房長官が「それだけは許さない」と拒否。高市氏は麻生太郎副総理から「内閣人事局はそういう所だ。閣僚に人事権はなくなったんだ」と諭され、断念に追い込まれた。この幹部は菅氏が主導したふるさと納税創設を巡る規制緩和に反対していた。〉
 この「幹部」とは明らかに平嶋氏のことだが、つまり、菅官房長官は「楯突く者はこうなる」と見せしめに左遷したのである。平嶋氏自身も「自分のことをきっかけに『官邸に何を言ってもダメだ』という雰囲気ができた」(前出『報道特集』)と語っているが、自分の肝いり政策の問題を指摘されただけで権力にものを言わせて人事で干しあげたこの一件は、他の官僚たちを萎縮させたことは間違いない。

前川元文科次官や森本元韓国総領事への監視も菅首相が杉田副長官を動かしていた
 さらに恐ろしいのは、菅首相が“地獄耳”の監視体制を築き上げている点だ。
 菅首相は『政治家の覚悟』のなかで、くだんのNHK担当課長が否定的なことを口にしていると〈知人の論説委員〉から耳にしていたことを自ら明かしており、プチ鹿島も書評で〈菅氏は新聞社のエライ人まで味方につけ、「情報網」を張って自分への批判を耳に入れていたことになる。怖い〉と書いているのだが、そうしてキャッチした情報を盾にした更迭劇はほかにもある。
 それは2017年6月におこなわれた、韓国・釜山の森本康敬総領事に対する任期途中の電撃更迭だ。2016年12月に慰安婦問題を象徴する少女像が釜山日本総領事館前に設置されたことに対し、安倍政権は報復措置として森本氏と長嶺安政・駐韓大使を2017年1月から約3カ月間帰国させた。電撃更迭は、森本氏がこの政権の対応について不満を持ち、官邸を批判したことが原因だったのだが、恐ろしいのはこの森本氏の批判が公の場でなされたのではなく、知人との会食というプライベートの席で出たものにすぎなかったことのだ。
 つまり、官邸は森本氏の「私的な会食」での発言をなんらかの方法で掴んでいたというわけだが、このとき官邸は森本氏の発言を密告させたか、あるいは監視・盗聴の類をおこなっていたことは間違いない。そして、こうした「官僚の監視」は、官房長官だった菅氏が、側近である警察官僚出身の杉田和博官房副長官を使い、指揮させてきたと見られているのだ。
 実際、それを裏付けるような事実もある。前川喜平・元文科事務次官に対する監視・謀略攻撃がそれだ。2017年5月、加計問題を告発しようとしていた前川氏は、読売新聞に“出会い系バー通い”という謀略記事を書かれたが、これは官邸からのリークによるものだった。この報道の前年秋に事務次官在職中の前川氏はこの件で厳重注意を受けていたが、当時、前川氏を呼び出し注意したのは杉田官房副長官だった。
 本サイトでは何度も指摘してきたが、安倍・菅官邸では公安出身の杉田官房副長官と北村滋・国家安全保障局長(2019年9月まで内閣情報官)という公安出身の警察官僚が重用され、安倍政権批判へのカウンター情報や、政権と敵対する野党や官僚、メディア関係者のスキャンダルを集取して流してきた。
 なかでも、官僚やマスコミの監視は北村氏が率いる内閣情報調査室ではなく、杉田官房副長官のラインが公安警察を使って行ってきたのだが、その杉田官房副長官を動かしていたのが、菅首相だった。
「杉田氏は警察庁警備局長を務めた元エリート警察官僚で、“公安のドン”ともいわれています。退官後は、世界政経調査会というGHQ占領下の特務機関を前身とする調査団体の会長を務めていたが、第二次安倍内閣で官房副長官に抜てきされました。ただ、パートナーも棲み分けされていて、情報官だった北村NSC局長が安倍前首相に直接、報告をあげていることが多かったのに対して、杉田氏はもっぱら菅官房長官の命を受けて動き、その内容を逐一、菅官房長官にあげていた。森本元総領事や前川元文科次官の調査も当然、菅首相の意向にもとづいたものだと考えられる」(官邸担当記者)

NHK『クローズアップ現代』テレ朝『報道ステーション』などマスコミへの圧力も
 しかも、菅首相のターゲットは官僚だけではなく、政権に批判的なメディアやジャーナリストにもその攻撃の刃は向けられている。
 代表的なのが、NHK『クローズアップ現代』の国谷裕子キャスター降板事件だ。国谷キャスターは2014年7月の『クロ現』生放送で菅官房長官にインタビューしたのだが、当時、閣議決定されたばかりの集団的自衛権容認について厳しい質問を繰り出したことから、菅官房長官と官邸が激怒。その後、政権側は『クロ現』のやらせ問題を隠れ蓑にして圧力を強め、最終的に国谷氏のキャスター降板まで追い詰めた。
『変容するNHK 「忖度」とモラル崩壊の現場』(川本裕司/花伝社)では、NHK報道局幹部が「国谷キャスターの降板を決めたのは板野放送総局長だ」と証言。板野放送総局長というのは現在NHKの専務理事を務める板野裕爾氏のことだが、さらに、別の関係者は板野氏についてこう語っている。
「クロ現で国民の間で賛否が割れていた安保法案について取り上げようとしたところ、板野放送総局長の意向として『衆議院を通過するまでは放送するな』という指示が出された。まだ議論が続いているから、という理由だった。放送されたのは議論が山場を越えて、参議院に法案が移ってからだった。クロ現の放送内容に放送総局長が介入するのは前例がない事態だった」
 じつは、こうした板野氏の官邸の意向を受けた現場介入については、他にも証言がある。たとえば、2016年に刊行された『安倍政治と言論統制』(金曜日)では、板野氏の背後に官邸のある人物の存在があると指摘。NHK幹部職員の証言として、以下のように伝えていた。
板野のカウンターパートは杉田和博官房副長官
〈ダイレクトに官邸からの指示が板野を通じて伝えられるようになっていった〉
 引き金となった『クロ現』に対する菅首相の怒りは相当なものだったといわれ、「FRIDAY」(講談社)は「安倍官邸がNHKを“土下座”させた一部始終」などと伝えたほどだったが、やはり国谷キャスター降板と『クロ現』解体の背後にも、菅首相―杉田官房副長官の存在があったのだ。
 さらに、また、官房長官会見で菅首相に厳しい質問を繰り返していた東京新聞の望月衣塑子記者の身辺を公安が探っていたというのも有名な話だ。また、本サイトで何度も言及してきたように、菅首相といえば古舘伊知郎キャスター時代の『報道ステーション』(テレビ朝日)への圧力問題も有名。2015年に『報ステ』で古賀茂明氏が「I am not ABE」発言をおこなった際、番組放送中に抗議の電話とメールを送ったのは、当時、菅官房長官の秘書官で、菅官房長官と一緒に放送を観ていたという中村格・現警察庁次長だと古賀氏が著書で明かしている。

日本学術会議任命拒否や文化功労者への介入も「権力快感おじさん」の心性が影響
 官僚だけにとどまらず、政治家による介入など許されないメディアの報道にまでその権力をちらつかせて圧力をかける。しかし、ついにその手は学者にまで伸びていたことが、今回の日本学術会議任命拒否問題によって判明したのだ。だがこれも、実際には以前から学者の言論監視・排除はおこなわれてきていたものだ。
 たとえば日本学術会議に対しては、2014年の交代人事の際から杉田官房副長官による介入がはじまっていたことがわかっている。また、前述の前川喜平氏は、文科事務次官時代の2016年、文化功労者や文化勲章受章者を選ぶ審議会の人選において、大臣の了解が出ている委員の候補案を杉田官房副長官に持っていったところ、「好ましからざる人物」「この候補は任命するな」と言われ、候補者2人の差し替えを要求されたことを証言(TBS『news23』10月9日放送)。本サイトで2017年に掲載した作家・室井佑月との対談でも、「安保法制に反対する学者の会議に入っているから外せ」と指示されたと語っている(既報参照→https://lite-ra.com/2017/09/post-3473.html)。

 しかし、今回、菅首相は「推薦された者を総理はそのまま任命する」という政府見解・法的解釈を無視し、ついに違法行為によって平然と気に食わない学者を排除してみせた。しかも、菅首相はいま国会で後付けかつ支離滅裂な説明を繰り返し、任命拒否の理由を国民にいまだに語っていないが、その答弁はまったく悪びれる様子はない。だがそれも、プチ鹿島による〈権力快感おじさん〉という指摘を踏まえれば、腑に落ちる。権力を行使することに躊躇がなく、むしろそれが快感になっているのだから。
 もちろん、笑えるような話ではけっしてない。官僚、メディア、学者と手をつけてきた〈権力快感おじさん〉は、この先、市民の表現や言論活動などにも介入し、弾圧することは目に見えている。そしてこの「パンケーキおじさん」の恐ろしい本質を多くの国民が知るとき、それはもう手遅れになっているかもしれない。(編集部)