2022年5月13日金曜日

13- EUの恐るべき歴史修正とロシア挑発 ~(世に倦む日々)

 私たちはこれまで第二次世界大戦を、「ファシズムの暴虐と侵略に対して、自由主義と社会主義が反ファシズムの連合を組んで戦い、正義がファシズムを打倒し戦争だったと評価してきました。ところがEU議会2019年に「ヨーロッパの未来のためのヨーロッパの記憶の重要性」と題された決議を採択し、それによって第二次世界大戦を「ファシズムと共産主義の二つの全体主義が覇権争いして衝突し、自由で民主主義的なヨーロッパの国々と人々が難儀を蒙った不幸な戦争定義し直したということです。
 しかしソ連も中国も当時反ファシズムの陣営=連合国にいたわけで、後に国連が出来た時には枢要なメンバーとして国連の常任理事国に選ばれました。それが歴史的事実であってそこには別に誤解をするほどの複雑な事情などはありません。
 それを70数年が経過した後に、全く別の性格付けをするというのは、まさに歴史の改竄であり、歴史の修正です。

 世に倦む日々氏は、その決議によって「悪であるヒトラー・ファシズムは相対化され唯一の絶対悪ではなくなり、二つの全体主義悪の片割れという存在になった。~ 変わって、ソ連共産主義が極悪人として措定され、スターリンとヒトラーが悪の両横綱として構図化され」たとするとともに、これは19年に唐突に出された見解ではなく、EUは2005年辺りから「あらゆる全体主義体制」と闘争する宣言を断続して出してきたと述べ、同時にロシア社会も、「過去の克服に取り組んでいないどころか,ほかの多くの国よりもはるかに真摯に問題に取り組み続けている」という、小森宏美氏(早大)の記述を紹介しています。
 不勉強な身にとっては一つひとつが驚く事柄の連続です。
 ブログ「世に倦む日々」の記事を紹介します。
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EUの恐るべき歴史修正とロシア挑発  立石洋子の話をテレビで聴きたい
                          世に倦む日々 2022-05-12
4月に放送されたプライムニュースの中で、東野篤子が、EU議会が2019年に採択した第二次世界大戦の新しい歴史認識について触れていた。今回のウクライナ戦争ときわめて密接に関係するイデオロギー的問題であり、まさに核心をなす重大な思想的契機である。「ヨーロッパの未来のためのヨーロッパの記憶の重要性」と題された決議だ。日本では広く知られておらず、紹介も議論もほとんどされていない。したがってネットの中に知見となる十分な資料もない。手探りで調べ始めたところだが、正直、恐ろしい思想的事実の前に衝撃を受けている。

簡単に言えば、EUは第二次世界大戦の歴史認識を変え、「ファシズムvs反ファシズムの戦い」として総括していた歴史を、「二つの全体主義の戦い」として新しく定義し直した。従来は、ファシズムの暴虐と侵略に対して、自由主義と社会主義が反ファシズムの連合を組んで戦い、ファシズムを打倒して正義を実現した戦争だった。それが変わり、ファシズムと共産主義の二つの全体主義が覇権争いして衝突し、自由で民主主義的なヨーロッパの国々と人々が難儀を蒙った不幸な戦争、という物語に転換した。正義が勝った戦争ではなくなった。恐るべき歴史修正の前に呆然とする。

フランスのレジスタンスはどうなるのだろう、スペインの人民戦線は、イタリアのパルチザンは、チトーとユーゴのパルチザンの意義はどうなるのか、全てスポイルか、何でEUはこのような反動的な歴史決議を上げたのだろうと、憔悴して目眩を覚える。欧州の左翼は反対しなかったのか。EU議会にも議席を持つはずの欧州の左翼にとって、決議は存在意義の否定そのものではないか。単に欧州左翼の自己否定だけに止まらない。欧州の戦後史の書き換えであり、反ファシズムの勝利を礎に現代EUへの歩を進めたという、欧州全体の自画像・自己認識の否定と改竄である。

はたと気づくのは、東アジア(日本)で25年前から進行して遂に全体を覆った猛毒の歴史修正が、タイムラグを置いて欧州でも発生し、全体化・常識化してしまったという痛恨の現実である。25年前、靖国は闇の中の異端だった。25年後、南京大虐殺は幻で、従軍慰安婦はビジネスだったという歴史認識になった。第二次世界大戦はコミンテルン(⇒国際共産主義運動の指導組織の陰謀による戦争で、日本と米国は操られて戦わされたのだという話になり、中国大陸の共産主義者を駆逐・撲滅するために戦った日本は正義であるという結論になった。極右の歴史解釈が正統の認識として半ば定置した倒錯の状況にある。

EU議会と聞いて浮かぶイメージは、フォンデアライエンとか、マリンとか、モゲリーニとか、品のある宮中才女の群像が華麗に活躍するリベラル色の世界であり、毒々しい極右の表象とは似ても似つかぬものだ。小林よしのりとか石原慎太郎のイメージとは整合しない。だが、そのリベラルの宮殿たるEU議会で、このような反共極右の歴史認識が決議されていた。欧州政治の世界で極右と言う場合の概念定義は、第二次世界大戦を反ファシズムの正義の戦いとして認める立場かどうかに関わる。ナチス・ファシズムを絶対悪とし、戦後世界の国連体制と秩序を肯定するかどうかがリトマス試験紙だ。

決議された新しい歴史認識では、悪であるヒトラー・ファシズムは相対化されている。唯一の絶対悪ではなくなり、二つの全体主義悪の片割れという存在になった。位置づけが変わり、悪の程度が稀釈された。変わって、ソ連共産主義が極悪人として措定され、スターリンとヒトラーが悪の両横綱として構図化されるのである。この決議では、特にロシアの現実政治が標的とされ、狙い撃ちされた内容になっていて、小森宏美(早大教)の文章から拾うと、EUは現在のロシアが過去の共産主義体制をなお称揚しているとし、誤った歴史認識がロシアの民主主義的発展を阻んでいると糾弾している。

小森宏美によると、それはEU側の一方的で根拠のない難癖であると指摘していて、「ロシア社会が過去の克服に取り組んでいないどころか,ほかの多くの国よりもはるかに真摯に問題に取り組み続けていることは明白である」と弁護している。この小森宏美の主張は、立石洋子(同志社)の『スターリン時代の記憶』(2020年)を書評した記事中で見つけた。EU議会の2019年の決議に対する反論である。その立石洋子は実際にどう言っているのか、ネットの中にテキストがあった。『現代ロシアの歴史教育と第二次世界大戦の記憶』(2015年)。ロシアが第二次世界大戦の歴史をどのように教育しているかの研究報告である。

非常に意味深い内容で、東野篤子ら西側御用学者の所論を覆すものだ。この実証研究を読めば、現代ロシアがどれほど真面目にスターリンの負の歴史と向き合い、脂汗をかきつつ、正しく認識し教育しようと努めてきたかが分かる。小森宏美の言うとおりだ。この論文中で特に注目されたのは、EUの歴史認識の改造が前史を持っていた事実であり、プロセスが明らかにされている点である。発見だった。EUは、現実政治でのロシア攻撃と合わせて、時間をかけ、着々と第二次世界大戦の歴史歪曲を進めていた。東アジア(日本)と同じく、欧州の歴史認識の改変もずいぶん前から着手されていたのだ。

EUの東方拡大後、ヨーロッパでは東中欧諸国の公的歴史認識をヨーロッパ全体が共有することが新たな課題となり、欧州議会は(2005年)5月22日に採択した「ヨーロッパの未来  第二次世界大戦60周年」のなかで、ソ連が東欧諸国にもたらした専制を含む「あらゆる全体主義体制」と闘争することを宣言した。

さらに翌年には同議会が「全体主義的共産主義体制の犯罪への国際的非難の必要性」を採択した。またブッシュ大統領とアメリカ議会も、ソ連の支配をナチスの占領と同一視するバルト三国の公的歴史観に賛同する意向を表明した。(略)こうした国際社会の動向に対して多くのロシアの政治家が不快感を表した。(P.36)

しかしこれ以降も第二次大戦やスターリン体制の評価をめぐる国際社会、特に欧州議会の動向はロシアを刺激しつづけた。2008年9月に欧州議会は独ソ不可侵条約が締結された8月23日を「スターリニズムとナチズムの犠牲者を追悼する欧州の日」とする決定を採択し、続いて10月には、1930年代初頭にウクライナで起こった飢餓を人災により引き起こされたものとして追悼する決定を採択した。

さらに翌年には、ヨーロッパにおけるナチズムや共産主義体制、権威主義体制の犠牲者を追悼する「ヨーロッパの良心と全体主義」に関する決定が採択された。こうした国際情勢のなかで2009年5月には、ロシア大統領府に「ロシアの利益を害する歴史の歪曲に対抗する大統領委員会(大統領委員会)」が設置された。(P.38)


アメリカのイラク戦争とネオコンの台頭跳梁、東欧・中東でのカラー革命の連続と併行して、EUは歴史修正を進めていた。日本が中国に仕掛けてきた「歴史戦」と類似の策動をロシアに仕向け、挑発と攻略を進めていたのだ。EUがこのような奸計を弄しているとは知らなかった。EUは日本と違って極右に流れずリベラルのままで羨ましいなあ、さすがに知性が健全だなあと、そう呑気に楽観して眺めていた。実際は、アーレントからフクヤマ⇒フランシス・フクヤマ 徹底した反共主義者の方向に旋回し、反共反ロの毒性生物へと不穏に変身していた。2019年の面妖な歴史決議は、一夜にして起きた政治ではなかったのだ。

反ファシズムの歴史的意義の否定。この欧州の変身 - 私の目からは転向変節 - を、ジョージ・ケナンはどう見るだろう。EUがこの方向に変わったのは、アーレント&フクヤマ的な大きな思想の流れもあり、世界の常識と座標軸が変わった影響もあるが、それ以上に、EUにポーランドやバルト3国など東欧諸小国を取り込んだ副作用が大きい。彼らにとって大国ロシアは天敵であり、協調困難な地政学的条件とルサンチマン⇒怨念の関係史があるのである。東欧諸小国がEUに包摂されることよって、EUは彼らの論理と生理を自らの一部にしてしまった。ロシアへの嫌悪と敵対をEUに身体化してしまった。

EU内での東欧諸小国の発言力は、米国ネオコン勢力をバックにして浸透し、EUを徐々に反共反ロへ変えて行ったのだろう。ポーランドやバルト3国にとって、「反ファシズム」の歴史的意義など不要で邪魔なのだ。彼らは、欧州政治を脱「反ファシズム」化、すなわち脱20世紀化したい動機を持つのであり、戦後欧州に定礎されていた標準の歴史認識を変えたいのだ。ファシズムよりもソ連・ロシアへの憎悪が強いのだ。フィンランドも同様である。「反ファシズム」を正統にされると、戦時中ナチスドイツに与したフィンランドは異端になってしまう。立場がなく、長らく日陰者の身だった

それにしても、時間は人の意識を変え、政治を変えるものだと思う。ほんの少し前、欧州で極右といえばルペンの父親の過激なネオナチだった。今や、社会民主党という名の党に所属する華麗な宮廷才女たちが、リベラルのドレスを纏いながら、中身はどす黒い反動の歴史認識に染まっている。米国崇拝のリベラル・デモクラシー教(ネオリベラリズム)の信徒となっている。社会主義者が命がけでナチスに抵抗して弾圧されたことや、パルチザンの庶民が赤軍に呼応してドイツ軍と激闘したことなど、無視し忘却し改竄してよい古臭い物語になってしまったらしい。欧州よ、おまえもかと、落胆せざるを得ない。