2022年5月30日月曜日

30- 参院選は改憲による戦争か平和かの岐路 日本列島を戦場にするな(長周新聞)

 7月10日投開票の参院選まで1カ月余りとなりました。選挙後は、審判のない(=国政選挙ない「黄金の3年間」に入るので、改憲、消費税増税、社会保険料の値上げ好戦的外交・軍事力の増強などの悪政の強行が予想されます。

 それなのに 「改憲(⇒軍事国家への道)」を争点にしたくない自民党の作戦が奏功して、国民の間にその問題意識があまり見られないのは不思議なことです。
 長周新聞が、参院選の争点は何か、とりわけ軍事国家を目指す改憲の動きやその影響について記者座談会を行いその内容を記事にしました。
 その「中見出し」はつぎのとおりで、座談会の内容を良く要約しています。
  ・米中対立の最前線に立たされ
  ・改憲で戦争できる国に 争点化避ける自民党
  ・戦争などできない現実 原発54基も抱え
  ・77年前の惨状繰返すな 近隣諸国とは友好を
 米国は、急成長を遂げている中国を27年までに叩きたいのですが、中国と戦っても勝てないので、代わりに日本に戦わせるという構想をもっています。勿論日本も中国には勝てず、そもそも54基も作られた原発は恰好の攻撃目標になって日本はほぼ壊滅します。
 GDP2位の中国と現在3位の日本が共に深手を負えば、米国はダントツ1位の地位を維持できるという狙いです。米国の口車に乗って中国との決定的な対立に向かうのは自滅の道で、どんなに軍備を拡張したところで日中戦争を起こせば日本は滅亡します。
 日本が存続するためには諸外国との、とりわけ近隣諸国との友好関係を深めることしかありません。それこそが憲法9条の精神であり憲法前文の精神です。
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改憲による戦争か平和かの岐路
 6月参議院選の重要な争点 日本列島を戦場にするな
                          長周新聞 2022年5月24日
 6月22日公示、7月10日投開票の参院選までおよそ1カ月余りとなった。その後は3年間国政選挙がないことから、為政者がやりたい放題できる「黄金の3年間」などといわれ、改憲、消費税増税(財界は19%を求めている)、社会保険料の値上げ、諸々の新自由主義政策、対中包囲網を意識した好戦的外交・軍事力の増強など、さらに歯止めが効かずにのめり込んでいくことが予想されており、日本社会の針路を巡って極めて重要な選択となる。この選挙の争点は何か、とりわけ国際情勢がめまぐるしく展開しているなかで目玉となっている改憲の動きと合わせて、記者座談会で論議してみた。

米中対立の最前線に立たされ
  公示まで残すところ1カ月なのに、巷では選挙の空気がまるでない。自民党もおとなしいが立憲民主をはじめとした野党側も驚くほど静かで、唯一れいわ新選組が連日全国で街宣をくり広げているくらいだ。総じて無風状態の選挙にして寝た子を起こさず、これまで同様に自民党&公明党で国会のイスを総なめしようという算段なのだろう。低投票率狙いなのは毎度おなじみだ。国民の政治離れをもっけの幸いにした自公(支持率25%)体制なのだ。
 台頭する維新といっても自民党の別働隊というか、むしろより剥き出しの新自由主義政策の推進勢力であって、本質的には野党と呼べるものではない。そして民主党から枝分かれした国民民主も自民党にすり寄り、旧民主党の基盤であった連合も自民党になびき、一部例外を除いて政治的に対抗していく政治勢力が乏しいのも特徴だ。現状では突出した結集軸がない。そうして国会という小さなコップのなかで、一部例外を除いて与野党ともにみんなして仲良くまとまっている印象だ。一部例外という表現をするとれいわ新選組の支持者に怒られるかもしれないが、空気を読まずに暴れているのは所属国会議員5人のれいわ新選組くらいで、それは国会のなかではまだ一部といわれても仕方がないものがある。
 与野党が「対立」しているといっても茶番ではあったが、この10年来の国政選挙で幾度となく顕在化してきた野党解体が実に効いているし、この存在感がかつてなく弱まっているのに特徴がある。自公が強くて国民から支持されているというよりも、民主党解体からこの方の野党弱体化が進行して今日に至っている。連合が隠すことなく自民党ににじり寄っているのもなんだか象徴的だ。そんな光景に有権者はなおさら幻滅し、興ざめしている。
  国会の翼賛化が著しいのも特徴ではないか。ゼレンスキーの演説に自民党から共産党までがスタンディングオベーションしていたのが象徴的だったが、「ちょっと待て」「なぜ中立の立場で関われないのか」「どちらにも与せず停戦を求めて動くべき」という冷静な声がかき消され、欧米vs.ロシアの矛盾に対して問答無用でアメリカ側に与していく。そこにはなんの引っかかりもなかった。
 極めて好戦的なプロパガンダに乗せられた空気のなかで、客観的かつ冷静に日本独自の関わり方を唱える政党がなく、一緒になって国際紛争のなかで拳を振り上げていく鳥肌が立つような政治状況なのだ。それでは日本社会は平和から遠ざかってしまう。戦争の当事者として引きずり込まれる方向だ。日頃から平和を叫んでいる者までみな熱狂の虜になっていく光景は異様だった。
 対ロにおける対応を見る限り、今後ますます米中対立が激しくなるなかで、対中の矛盾が激化した日には、共産党まで含めて欧米「民主主義」の側から排外的に「やっちまえ!」になることが十分に予想され、そうなると暴支膺懲(ぼうしようちょう・横暴な支那を懲らしめろ)を叫んで突っ込んだかつての戦争と何も変わらないではないかと思う。
 この間のウクライナ対応で明らかになったのは、国会の挙国一致体制は先んじて進んでいるという事実だろう。用意された台本通りに自民党から共産党までがスタンディングオベーションしているのだ。そしてNATOの会合にも日本が呼ばれて、下手すると欧米vs.ロシアの矛盾のなかに引きずり込まれる危険性すらある。いや、既に引きずり込まれているし、後戻りできないたいへん危険な方向に向かっている。

改憲で戦争できる国に 争点化避ける自民党
  参院選後の「黄金の3年間」で現実的に想定されるのはまず改憲だろう。憲法審査会を既に何度も開いているが、ウクライナ危機と関わってここぞとばかりに改憲勢力の鼻息は荒いものになっている。敵基地攻撃とか敵国中枢への武力攻撃、あるいは核共有などを安倍晋三が叫び始め、防衛費をGDPの2%すなわち10兆円以上にも増やすべきだとかの声が自民党から公然と上がり始めている。
 防衛費の増大とは、とどのつまり米軍産複合体への貢ぎ物にほかならないが、「もっとカネを寄こせ」という力が海の向こうから加わり、米中戦争の鉄砲玉にされるのとセットで巻き上げられる関係だ。米本土防衛の盾として命を差し出してカネまでむしられるというひどい話なのだ。
 日本社会の平和のためには軍事的な緊張ではなく、いかなる国とも平等互恵の関係を切り結び、国際社会のなかで平和的に共存していく以外にないのに、軍事的緊張を煽って「国防」強化なのだといって戦争に前のめりになっている。あえて脅威にさらしてどうするのかと思うが、アジア近隣諸国に対する喧嘩腰外交をやって、アメリカの競争相手である中国との関係に亀裂を作り、実は経済的繁栄を犠牲にしているのだ。
  今やろうとしている改憲とは一言であらわすと戦争体制作りであり、九条をはじめ戦争放棄の国是を投げ捨てて、戦争できる国にするという単純な話だ。現憲法すらまともに遵守していない者が改憲を叫んでいて話にならないのだが、軍事力の行使を可能にするために憲法を書き換え、緊急事態条項をはじめ、いざとなったら権力者にとって好き放題ができる体制にするというものだ。自民党の改憲草案がそれを正直に反映している。
 現憲法が絶対的で聖域であるとも思わないが、自民党が参院選後にやろうとしているのはそういうことだ。参院選後に改憲をするというのであれば、自民党は今回の選挙で改憲を前面に押し出して争点にしなければならないのに、低投票率の無風選挙で乗り切ろうとしている。極めて姑息だ。「新しい資本主義」とかの抽象的な言葉遊びで煙に巻いて「黄金の3年間」でリーチしようとしている。
  改憲にせよ、軍事力強化にせよ、結局のところ米中の覇権争いが激化しているもとでアメリカから要求されていることを忠実にやっているに過ぎない。あーせい、こーせいとアーミテージ・レポート等々で事細かに指示され、米軍再編や自衛隊の指揮系統の整備、自衛隊の米軍の二軍化などもやってきたわけだ。第二次大戦後のパクス・アメリカーナ(米国一極支配)が陰りを見せ、イラク、アフガンもあの様で、アメリカが相対的に力を失っている。そのなかで軍事的にも日本を駆り出し、米軍産複合体が武器を売りつけながら対中包囲網のなかに組み込んでいる。その戦力としての必要性から改憲なり軍事力強化が動いている。
  南西諸島へのミサイル部隊配置など露骨だが、近距離から中国にミサイルを向けるというのだから、それ自体かなり挑発的だ。ウクライナを見ても、ロシアはNATO加盟によってミサイル配備などの軍事的脅威にさらされることを懸念して軍事侵攻に踏み切ったが、ミサイルを向けられる相手からするとそのように重大な脅威になる。同時に、南西諸島の住民にとっては、郷土の島々が逆に狙われることを意味し、まさに「捨て石」にされる関係だ。沖縄の本土復帰50年などとメディアが特集を組んだりして、本当に白々しい限りなのだが、さらに基地を拡大して標的として晒しているのだ。何も変わってはいない。平和な島々が軍隊がいることでたちまち的にされる
  米軍再編と連動して、九州地方や西日本の米軍基地、自衛隊基地は相当に強化されてきた。極東最大の出撃基地となった山口県の米軍岩国基地が最たるものだが、戦後77年もたってさらに最新鋭化した基地に生まれ変わり、いったいこの先何十年居座るつもりなのかと思うものがある。基地の建設費はみな日本政府の負担で、防衛省発注の仕事にゼネコンがまぶりつき、基地内の仕事にありついた孫請けやひ孫請けの企業にいわせると、「基地建設のカネは打ち出の小槌みたく大盤振る舞いだ」とバブル状態だった。ゲートの外の世知辛い仕事と違って利益率もすこぶる良く、感覚がおかしくなるほどだったと――。
 山口県民からすると、基地問題については辺野古に全国の視線を釘付けにしながら、実はもっとも力を注いできたのが岩国基地だったという実感がある。基地内だけでなく、愛宕山も米軍住宅すなわち基地の飛び地として接収され、郵便物の住所としてもカリフォルニア州・岩国なのだ。道路からなにから都市改造もすさまじいくらいに進んだのがこの20年来で、すべての巨大道路群が基地へとつながっている。“基地の街”ではなく“街が基地”みたいになった。
 そして沖縄と同じように岩国も低所得地域で住民の暮らしはちっとも良くならない。広大な一等地を米軍基地として占有されて産業の発展が阻まれ、周辺では帝人の工場の煙突も戦闘機の飛行の邪魔になるといって切られたり、歴史的にもそんな調子なのだ。
  岩国に限らず、九州地方の自衛隊基地なども軒並み軍事的機能を強化してきた。佐世保しかり、佐賀空港のオスプレイ配備も決着がついたわけではなく、築城や新田原なども滑走路延長で米軍がいつでも利用できるし、前述の通り南西諸島はレーダー基地やミサイル部隊配備。馬毛島は戦闘機の着艦訓練基地として接収。それらすべては対中国を意識した配置だ。
 基地問題とは沖縄に限ったものではなく、いまや日本列島そのものが不沈空母化している。米軍の司令部はグアムに引っ込み、最前線の不沈空母の司令部は横田幕府。その米軍の指揮系統に自衛隊が組み込まれて、手となり足となって鉄砲玉として利用される。
 客観的に見てみると、やっていることは「日本を守る」ではなく、日本を盾、ミサイルの標的にして米本土を守っているのだ。盾になるとは最前線の戦場になることであって、日本列島が焼け野原になろうが海の向こうのアングロサクソンには関係のない話なのだ。日本を盾にして中国との軍事的緊張のクッションにしているのがアメリカだ。それは緩衝国家だったウクライナと同じ境遇であることを教えている。

戦争などできない現実 原発54基も抱え
  ただ、現実的に考えて日本列島は戦争ができる国土ではない。原発を54基も抱えながら敵基地攻撃などといっているのを見ると、なにをイキっておるのかと思う。やったらやられるわけで、現実が見えているのか? と。原発がミサイル攻撃の標的に晒されただけでお終いだ。陸続きのウクライナと違って国民は逃げ場がない。ウクライナでの戦況を見ても、国際的な視線もあるなかで実際に原発へのミサイル攻撃が現実と化すかはわからないが、イスラエルがイランの原発にミサイルを撃ち込んだ例もあるわけで、軍事的には存在そのものが脅威だ。
 あるいはライフラインを見ても、鉄道、道路、物流などがやられたらひとたまりもない。電気、ガス、水道がやられるだけでもたちまち暮らしは麻痺してしまう。戦場になったらどうなるか? 具体的に考えれば考えるほどバカげているし、とてもではないが77年前よりもむしろ脆弱なのが現代社会だろう。食料だってないのだ。
  なんだか中国と「やんのか! おらっ!」みたいな人たちもいるわけだが、「戦争なんてするもんじゃない」が当たり前な世の中でない方がおかしいのだ。対中包囲網というけれど、そもそもなぜ日本が中国なりロシアと敵対しなければならないのか。アメリカが世界覇権の座を巡って中国と対立しているからといって、なぜ日本がアメリカの側に与して、ミサイルを向けあうような物騒なことになっているのか、頭を冷やして考えなければならない。台湾有事なども問題になっているが、それは中国国内の問題であって、日本は部外者以外のなにものでもない。国際的に見てもしゃしゃり出ることの方が異常なのだ。
  米中対立は今後ますます激化するだろうが、それは資本主義の不均衡発展にともなって必然的にもたらされている。その争いのなかで軍事的な緊張も高まっている。先行して資本主義体制を謳歌していた側が廃れ、資本主義の次男坊ともいえる旧社会主義国が台頭し、市場争奪をかけて熾烈な争いをくり広げている。
 体制としては共産党一党独裁でありながら経済は資本主義というのだから、マルクスとかレーニンが生きていたらどう感じるのだろうかとも思うが、世界は1917年のロシア革命から一周まわって、そのような状態に至った。アメリカは国内もボロボロで貧困大国となり、世界を股にかけて軍事力を展開するといってもその力を失いつつある。一方で資本主義のフロンティアはアジアに移り、中国が一帯一路を動かし始めたり、「アジアの世紀」といわれる時代が到来している。遅ればせながらというか、むしろ遅れてきた分、市場として伸びしろのある地域になっているのだ。この市場争奪の激化が米中対立の本質で、覇権を巡る暗闘でもある。
 D 日本としては、こうした世界の矛盾のなかでどう立ち振る舞うことが国益にかなうのかだが、拳を振り上げてオラオラするのは最も愚策だろう。なんでもかんでもアメリカに与すれば良いというものではない。おかげで米中対立に巻き込まれて武力衝突するなど最悪の事態で、もっとも回避しなければならないものだ。
 こうしたことをいうと、すぐに右側とか親米派から「親中派」のレッテルを張りに来るのがいるが、そんな二元論に落とし込めるほど単純な話ではない。平和な日本社会であるために、もっとも現実的な選択肢は何かを考えなければならないのだ。緩衝国家だったウクライナがあのようになっているのも他人事ではないし、安倍晋三あたりがオラついて武力衝突に発展するなど悲劇以外のなにものでもない
  リアルに想像してみて、経済安保をいうなら「アジアの世紀」の一員として加わることの方がはるかに経済的にも有益であろうし、米中の軍事的緊張の片側の一員になるのではなく、東アジアに存在する国として中国とも関係を切り結び、ロシアとも独自外交を展開しなければどうにもならない。今になってサハリンの権益を手放そうとしているが、まるでイランのアザデガン油田から撤退したのとそっくりで、いつもアメリカに与して貧乏くじばかり引かされている。実際には国益を放棄しているではないか。それこそ散々投資して開発までやり、権益は丸ごと中国企業に持って行かれるというなら、対中でムキになっているくせに願望と行動がとっちらかっていて、何がしたいのかさっぱりわからない。
  だいたい米中対立の先兵になるといっても、日本の最大の貿易相手国はダントツで中国なわけで、その規模はアメリカをはるかに凌いでいる。既に経済的な依存度も半端ないものになっており、対立よりも友好関係を優先する方がはるかに有益だ。韓国との関係もようやく雪解けに向かうかに見えるが、アジアの近隣諸国と健全な関係を切り結ぶ努力をして、アジアのなかで生きていくことが日本にとってもっともベストな道なはずだ。
 ミサイルを向けあうような物騒な緊張関係ではなく、互いに信頼関係を築けるよう平和外交に努めることが大切だ。アメリカから「オイ、オマエ少し噛みついてこい!」と命令されてワンワン吠える犬ではなく、独自外交をしなければアジアの孤児にもなりかねない。

77年前の惨状繰返すな 近隣諸国とは友好を
  軍備強化や軍事的な面においてのマッチョな安保論議のみに傾斜しているが、真面目に考えて、経済安保の面から見ると多国籍金融資本の食い物にされてきたのがアベノミクスで、何が安保だよ! とも思う。おかげで急激な円安に見舞われ、輸入依存がすごいために物価も跳ね上がり、いまや暮らしはたいへんなことになっている。安保について本気で心配するなら食料自給率のひどさも自覚しなければならないし、そのための施策もうたなければならない。
 しかし、それらはほったらかしにして、軍事力強化こそが安保なのだといわんばかりだ。そして対中、対ロ、あるいは北朝鮮の脅威を押し出しつつ、米軍産複合体に10兆円以上もむしりとられる道を進もうとしている。余りにもバカげている。
 D やはり睨み合いではなく友好関係を築け!の主張を強いものにしていかなければならない。平和で豊かな日本社会を築いていくうえでもそれが最善の道だろう。武力による血なまぐさい争いを回避し、何事も平和的に問題解決にあたる。そんな世界であり、国にしていくことが最大の国防であろうし、そういう意味で参院選後の3年間は重大な岐路に立たされる。
  選挙そのものは今のところ盛り上がる気配すら見えないが、争点を鮮明にしていくことが必要だ。無風で自民党が安泰を貪るような選挙にしてはならない。今回は参院選後の改憲についてテーマを絞って論議してみたが、日本社会の現実について様々な分野やテーマから掘り下げ、どうしていくことが求められているのか今後も機会をもうけて考えてみたい。
  いわゆる改憲テーマというと、プロ市民の専売特許的な問題として見られがちだが、そうではなく日本社会がどっちに向かって進むのかを巡って、抜き差しならない重大問題として無視できないものだ。参院選後にいよいよ改憲プログラムが動き出すというなら、国民的な議論が求められるところで、自民党が争点を隠すならむしろ引きずり出さなければならない。
 戦争体験者が高齢化して亡くなり、かつての大戦を知らない世代が増えているなかで事は動いている。あの大戦がなんだったのか、誰がなんのために引き起こして誰が犠牲になったのか、戦争のリアルを知り、次世代に引き継いでいくとりくみも重要性を増しているように思う。
 非戦の誓いには、親兄弟を奪われ、塗炭の苦しみを強いられた国民として、もう二度とくり返させてはならないという痛切な思いが込められている。権力の側がその呪縛から解き放たれて暴れようとするとき、やはり全力で縛りに行く力が必要だ。
 77年前の大戦で死んだ命がとり戻せないなら、現代を生きるわたしたちは死なないためのたたかいを全力でやらなければならないのだ。「あの時抗っていれば…」と後悔しても後の祭りなのだ。