2022年5月16日月曜日

玉城デニー知事インタビュー 基地返還進まぬ現状 

 沖縄が復帰を成し遂げてから15日50年になりました。それを機に、玉城デニー知事は「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」(9600字)を発表しました。

 復帰前夜の1971年には、当時の屋良朝苗琉球政府主席後に県知事)が沖縄返還協定の関連法案を審議中だった政府と国会に対して県民の切なる思いを届ける5万5000字に及ぶ「復帰措置に関する建議書」を出しました。
 しかし米軍基地の全面撤去などの要求50年経って実現するどころか逆に後退し沖縄県の基地負担率はむしろ増えています。
 玉城デニー知事はそれを印象付けるために「新たな建議書」という標題にしたのでした(以上 高野猛氏 日刊ゲンダイ)

 報道各社のインタビューに応えて玉城デニー知事が、復帰と振興、基地や経済問題、沖縄の未来像などについて語りました。
 しんぶん赤旗の記事を紹介します。併せて同紙の「主張」を紹介します。
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沖縄復帰50年
玉城デニー知事インタビュー 基地返還進まぬ現状 「本土並み」に程遠い
                       しんぶん赤旗 2022年5月14日
 1972年5月15日に沖縄が本土に復帰してから15日で50年の節目を迎えます。玉城デニー知事が報道各社のインタビューに応え、復帰と振興、基地や経済問題、沖縄の未来像、国際情勢などについて語りました。(小林司、柳沢哲哉)

 ―復帰前の印象に残る出来事は。
 1965年にアメリカが本格的にベトナムに軍事介入を始めてからの10年間が、沖縄が最も米軍の影響を強く受けていた時代だっただろうと思います。そのころ私は小学生で、さまざまな事件・事故の報道に触れるにつけ、基地がある沖縄は怖いなと子ども心に感じていました。

 ―復帰時に先人たちが描いた沖縄になっていますか。
 復帰50年を迎える現在でも、1人当たり県民所得は全国の約7割の水準にとどまり、県民が求めてきた自立型経済の構築はまだ道半ばと受け止めています。米軍基地の縮小、返還についても、国土面積の0・6%の沖縄に在日米軍専用施設面積の70・3%が集中することは、復帰当時に県民が期待した「本土並み」には程遠いと言わざるを得ません。
 米軍基地が県民生活に大きな負担になっていることは紛れもない事実ですし、沖縄県民が持っていた不満や、たまっている怒りのマグマというものはずっとあったろうと思います。米軍基地あるがゆえに、ジェット機やヘリの墜落、事件・事故などが頻発していることに、多くの県民が怒りをためている状況ではないでしょうか。

 ―これからの沖縄がめざすべき道は。
 復帰当時の新生沖縄像との比較検証を踏まえ、いまだ実現されていない自立型経済の構築や基地のない平和の島の実現など、改めて「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」をまとめました。
 新たな建議書は、五つの章立てで、まず琉球政府が「復帰措置に関する建議書」作成に至った沖縄の社会的状況を、二つ目に、本土復帰後の沖縄振興計画の取り組みの成果、米軍基地の状況などを振り返っています。三つ目にはいまだ残る課題として、過剰な基地負担の問題、辺野古新基地建設、日米地位協定の課題などを確認しました。そして、沖縄の未来に向かって県民が望む姿とその実現に向けてどのような未来を描いていくかを示し、平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議を国に求めていく形にしています。
 いまの沖縄があるのは、戦後長きにわたって先人たちが自治権の獲得や祖国復帰運動などを通して、将来を担う子や孫たちのためウチナーンチュ(⇒沖縄人)の誇りを貫いたものの延長にあります。先人たちの労苦と知恵を若い世代にも学んでいただき、これからの時代を担うみなさんにとって「誇りある豊かさ」は何であるかをしっかり考えてもらう取り組みも進めたいと思います。

基地問題解決と振興は国の責任 平和の重さは変わらぬ重要な基盤
 ―基地問題について。
 辺野古の米軍新基地建設について政府は「辺野古が唯一の解決策」とのキーワードのみ説明しますが、なぜそうなったのか具体的に示しません。向こう100年、200年使われる新たな基地建設は到底認められず、基地の整理縮小に向かうべきだとの方針は県民の思いと共に堅持しています。
 基地の整理縮小が県民の思うとおり進んでいないのは、外交安全保障は国の専権事項だとして、基地所在自治体の意見を取り入れることなく、政府間だけで物事を決めて進めようとする構図に問題があります。日米両政府に沖縄県を加えた協議の場を設けることを要請しています。
 住民の生活安定と暮らしの向上の障害に米軍基地の問題があるならば、政府は対等な立場である地方自治体の意見を真摯(しんし)に聞く責任があり、改善義務も伴うと思います。
 基地に賛成するか反対するかで沖縄の振興という国の重要政策における予算に増減があるということは考えられません。基地か経済かに置かれてしまうと、問題の根本的な解決を見つけることができません。「基地か経済か。もうそんなことはやめよう」と言ったのが翁長さん(翁長雄志前知事)です。政府は、基地問題の解決も沖縄振興もリンクさせずに両方しっかりと進める責任があります。

 ―ロシアのウクライナ侵攻や「台湾有事」などをめぐる国際情勢をどうみますか。
 平和だからこそ観光産業が維持され、平和だからこそ多国間における経済関係が構築され、平和だからこそ人と人との交流が行われる。平和を基軸とした環境をつくることが重要です。
 台湾をめぐる問題がエスカレートして有事に進んでいくことや、沖縄が攻撃目標となるような不測の事態が生じることは絶対にあってはなりませんし、その方向性を高める動きを認めることはできません。復帰50年たった今でも50年先を見通しても、平和であることの重さは変わらない重要な基盤として継続されるべきです。
 抑止力を高めるのではなく、平和的な外交や対話による相互的な発展をもたらしていくための協議こそが相手との信頼関係の醸成につながります
 自衛隊の南西シフトについても、配備ありきではなく、十分な説明と理解がなければ地域住民の反発は免れません。また、米側のミサイルを運用するための基地整備であることが説明されずに、後になって表面化するようなことは絶対にあってはなりません。
 77年前、ありったけの地獄を集めて行われた沖縄戦を経験した県民からすれば戦争を繰り返してはいけないし、ウクライナの惨劇を広げてはいけません。一日も早く停戦を実現し、ウクライナ国民に平穏と安寧を構築する協議を進めるべきだと、改めてロシアにも求めたいと思います。
 いま力の持ち方を変更しようしている国々にも、そのような方向性ではなく平和構築のために、国連を通じてどのような対応が必要かを改めて議論してほしい
 憲法改定、防衛費増額、抑止力の強化と、力の変更に対して力を持つべきだとの議論は危険な方向に行き、偶発的な衝突を誘発しないか非常に危惧しています。広島選出の岸田文雄首相は、絶対に敵基地を攻撃しないと踏み込んだ発言をするべき立場にいます。日本は冷静な外交に徹するべきであり、互恵的な関係構築に努力することをアジアの国々にも発信していただきたい。


主張) 沖縄本土復帰50年 不屈のたたかいが歴史動かす
                       しんぶん赤旗 2022年5月15日
 沖縄が1972年5月15日に本土に復帰してから50年です。日本は太平洋戦争の敗北後、52年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約で形の上では独立しました。一方、戦争末期に日本国内で唯一、住民を巻き込んだ熾烈(しれつ)な地上戦が行われ、数多くの犠牲者を生んだ沖縄は、講和条約により本土から切り離され、米軍の占領支配の下に置かれ続けました。沖縄の本土復帰とは、米国の軍事占領を終わらせ、「沖縄を取り戻す」ことでした。それを成し遂げた力は沖縄と本土の連帯したたたかいでした。

米解禁文書が記した力
 講和条約第3条は、▽日本は、米国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下に南西諸島(琉球諸島、大東諸島を含む)などを置くという米国のいかなる提案にも同意する ▽そうした提案が行われ、国連で可決されるまで、米国はこれら諸島の領域と住民に対し、行政・立法・司法上の権力を行使する権利を持つ  と定めました。米国は信託統治の提案を実際にはしないで、沖縄の軍事占領を無期限に継続することが狙いでした。
 講和条約発効8周年の60年4月、「沖縄県祖国復帰協議会」が結成され、復帰のたたかいは全県民規模に広がります。本土でも、沖縄返還のたたかいが高まります。68年11月には、沖縄で復帰運動の先頭に立ってきた革新共闘統一候補の屋良朝苗氏が初めて実施された琉球政府主席公選で当選します。
 その直後に沖縄と日本を訪れた米国務省のリチャード・スナイダー日本課長は「われわれは返還問題で引き返し不能の地点(ポイント・オブ・ノーリターン)まで来てしまった」「日本でも沖縄でも(復帰の)圧力が高じ…返還をいつにするかを来年以後にのらりくらり引き延ばすことは、現実に期待できなくなった」と報告します(米政府解禁文書、68年12月24日付出張報告)。沖縄の本土復帰という歴史を動かす原動力となったのが、沖縄での島ぐるみのたたかいとそれと結んだ本土でのたたかいだったことは明らかです。

 沖縄県民は本土復帰にどんな思いを込めていたのか。
 復帰直前の71年11月、屋良主席がまとめた「復帰措置に関する建議書」は、沖縄の米軍基地は「民主主義の原理に違反して、県民の意思を抑圧ないし無視して構築、形成され」、「その基地の存在が県民の人権を侵害し、生活を圧迫し、平和を脅かし、経済の発展を阻害している」と告発しました。そのため県民は、「平和憲法の下で基本的人権の保障を願望」し、「基地のない平和の島としての復帰を強く望んでいる」と訴えました。
 しかし、復帰後、沖縄には日米安保条約・地位協定が適用され、米軍基地は存続しました。今なお全国の米軍専用基地面積の7割が沖縄に集中し、県民はさまざまな基地被害に苦しめられています。

基地のない平和の島へ
 沖縄の本土復帰50年に当たり玉城デニー知事は今月10日、「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を岸田文雄首相に手渡しました。同建議書は、「基地のない平和の島」に向けた取り組み、辺野古新基地建設の断念、米軍特権を認めた日米地位協定の抜本的な見直しなどを求めています
 その実現のためには、県民と国民の決して諦めない不屈のたたかいが何より必要です。