シリーズ「イチからわかる憲法9条」の第3部は前報で終りました。
本報から 第4部「強まる改憲策動」に進みます。その(1)~(3)を紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
イチからわかる憲法9条 第4部 強まる改憲策動(1)90年代、米国発の攻撃 安保・自衛隊の矛盾 極限
しんぶん赤旗 2026年7月19日
1990年代に入り、憲法9条に対する米国発の攻撃が再び強まります。90年8月、イラクによるクウェート侵攻で湾岸危機が発生し、当時のブッシュ米政権は日本政府に、自衛隊の多国籍軍参加を要求しました。しかし、海部俊樹首相は「憲法の制約」を理由にこれを拒否。結果的に日本は、湾岸戦争終結後の91年、ペルシャ湾に掃海艦を派遣し、戦後初の海外派兵を実行しました。
ところが、米側は多国籍軍に参加した同盟国を高く評価する一方、日本の“貢献度”はさして評価しませんでした。この経験は、日米同盟を絶対視する勢力に「米国から見捨てられる」という恐怖感を芽生えさせました。
こうした中、保守二大政党制を志向した政界再編が進行したことも相まって、改憲論が急速に台頭しました。94年11月には読売新聞が初の改憲試案を公表し、「9条は時代遅れ」というイデオロギー攻撃も強まります。この流れは、国会の9割以上を改憲派が覆い尽くすという現在の政治状況の直接的な源流と言えます。
さらに、90年代後半には、日米安保共同宣言(96年4月)、日米軍事協力の指針(ガイドライン)改定(97年9月)、周辺事態法(99年8月施行)と、日米同盟のグローバル化と自衛隊海外派兵への流れが一気に進みます。
最たるものは、2000年10月、アーミテージ米国務副長官ら「知日派」が公表した報告書です。集団的自衛権を行使しない日本の憲法解釈は日米同盟の「障害」だとして公然と攻撃しました。
そして、01年9月の米同時多発テロを受け、日本は自衛隊をインド洋に派兵。03年12月には米国のイラク先制攻撃を受け、戦後初の「戦地」派兵となるイラク派兵を強行しました。いずれも米国の強い圧力のもとで進められたものです。
こうして、憲法9条と安保政策・自衛隊の実態との矛盾は、いよいよ極限に達しました。
イチからわかる憲法9条 第4部 強まる改憲策動(2)海外派兵とともに
「九条の会」広がり対抗
しんぶん赤旗 2026年7月20日
米国からの圧力を背景に、2003年のイラク派兵など米国の戦争に加担する形で自衛隊の海外派兵が進む一方、防衛省の発足など自衛隊の権限も拡大されるなど、「海外で戦争ができる」国づくりが急速に進みました。
こうした動きに抗して、2004年6月、井上ひさしさんや大江健三郎さんら日本を代表する作家や評論家9人が「九条の会」を旗揚げしました。「九条の会」は、「9条を世界に輝かせたい」「日本と世界の平和な未来のために日本国憲法を守る」ことを掲げ、立場を超えて「憲法を守る」一点での共闘を呼び掛けました。「九条の会」は発足から10年で全国7500超の組織ができるなど、さまざまな市民の共感と支持を集め、平和憲法を守る大きな力となりました。
「九条の会」が発足した04年当時、衆参で改憲勢力が3分の2を超えていたにもかかわらず、「九条の会」と市民が草の根の運動で世論を動かし、改憲のもくろみを阻止。防衛庁の防衛省への改組や改憲手続き法制定などを強行した第1次安倍晋三政権は国民の批判を浴び1年たらずで退陣するなど、平和を願う市民の運動は、改憲・軍拡を狙う自民党政権のもくろみを何度もくじいてきました。
司法も政府のもくろみを憲法違反と断じています。名古屋高裁は08年4月、イラクにおける航空自衛隊による多国籍軍兵の戦闘地域への空輸活動を「他国の武力行使と一体化しており憲法9条違反」として初めて違憲判決を出しました。「海外で戦争ができる」国づくりが明確に憲法に反すると断じた画期的な判決でした。
政府の「改憲圧力」が強まるたび、「憲法守れ」「9条守れ」の声を上げ、それをはね返してきたのが「九条の会」をはじめとする市民のたたかいです。市民の「不断の努力」が平和憲法と憲法9条を守ってきたのです。
イチからわかる憲法9条 第4部 強まる改憲策動(3)安倍政権の登場
最悪の立憲主義破壊
しんぶん赤旗 2026年7月22日
1990年代以降、憲法9条への攻撃が強まる中で台頭してきたのが、自民党きっての改憲・タカ派だった安倍晋三元首相です。歴代自民党政権は、9条と安保・自衛隊との矛盾をあくまで憲法解釈の枠内で取り繕い、「ぎりぎりの均衡」を保つことでしのいできました。ところが、安倍氏は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、この枠組みそのものの転換に踏み込み、最悪の立憲主義破壊を実行します。
その象徴が、2014年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定です。翌15年9月には、国民多数の反対の声を踏みにじり、安保法制=戦争法を与党の数の力で強行成立させました。「憲法9条のもとでは集団的自衛権の行使はできない」という戦後60年余にわたり一貫して維持してきた政府の憲法解釈を、一片の閣議決定で百八十度覆し、「憲法解釈の変更」という口実で憲法の中身を掘り崩す法的なクーデターを強行したのです。
同時に安倍氏は、明文改憲にも執念を燃やしました。第2次安倍政権発足直後の13年通常国会以降、国会でも改憲への意欲を繰り返し表明。16年7月の参院選で、改憲勢力が衆参両院で発議に必要な3分の2以上の議席を初めて占めると、17年5月3日の憲法記念日に、9条に自衛隊を明記する改憲案を発表しました。歴代政権で初めて「2020年施行」という期限まで示し、改憲への動きを新たな段階に引き上げました。
それでも、明文改憲は一歩も進みませんでした。その背景には、市民の粘り強い反対の声があります。安保法制の強行に際しては、10万人を超える人々が国会を包囲し、「市民と野党の共闘」が生まれました。集団的自衛権の「全面的な行使」は依然として違憲であり、憲法9条は、その歯止めとして今も生き続けています。