長崎原爆の被爆者でその体験を書き続けてきた作家林京子さん(85)の著作が、、日本に留学して原爆文学を学んだイタリア人マヌエラ・スリアーノさんによってイタリアで初めて翻訳され、「ナガサキ-原爆の物語」のタイトルで出版されました。
「十年来の夢」であった翻訳は、2歳になる息子の出産と育児、仕事の合間に進め、完成したものを出版社に送り続けた結果、ようやく今年2月、「証言の強さに驚いた」と編集者から返事があり出版の話が進みました。
「彼女の言葉を何回も読むべきだ」、「私たちの将来のために学ぶべき問題」など絶賛の書評をはじめ、現地の新聞約30紙に書評が載るなど大きな反響を呼んでいます。
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原爆文学 イタリアに衝撃 林京子さん作品翻訳「ナガサキ」
東京新聞 2015年11月18日
長崎で被爆した体験を書き続けてきた作家林京子さん(85)の著作が原爆投下七十年のこの夏、イタリアで初めて翻訳出版された。新聞約三十紙に書評が載るなど、大きな反響を呼んでいる。翻訳したのは、日本に留学して原爆文学を学んだイタリア人マヌエラ・スリアーノさん。出版社に粘り強く働きかけ「苦しみながらも強く生きてきた彼女の文章を母国に紹介したい」という願いを実らせた。 (樋口薫)
スリアーノさんはフィレンツェ大で日本文学を学び、一九九六年に原爆文学の研究のため大東文化大に留学。「平和や核兵器の問題に関心があり、文学にも興味があったので自然に原爆文学にたどりついた」という。担当した大東大名誉教授の渡辺澄子さんは「当時の学生に『原爆文学をやりなさい』と言っても見向きもされなかったのに、イタリアから学びに来るとは驚いた」と振り返る。
林さんの著作と出会い、「自らが体験した苦しみを描き、核兵器の恐ろしさが伝わる」と衝撃を受けた。日本語を猛勉強して大学院に進み、二〇〇二年に博士号を取得。現在はロンドンに住み、日伊のビジネス翻訳の仕事をしている。
林作品のイタリア語訳は「十年来の夢」。出版のあてはなかったが、二歳になる息子の出産と育児、仕事の合間に訳し、出版社に送り続けた。ようやく今年二月、「証言の強さに驚いた」と編集者から返事があり、出版の話が進んだ。
収録作のうち、芥川賞を受賞した「祭りの場」は、原爆投下直後の爆心地近くの悲惨極まりない状況を、感傷を排した文体で記録した作品。他の四作も、林さんの被爆体験を基にした小説や講演録を選んだ。タイトルはシンプルに「ナガサキ」とし、副題に「原爆の物語」と付けた。林さんも序文を寄せた。
七月、中堅のガッルッチ社から刊行されると、八十五歳の「新人作家」の登場に現地メディアは沸き立った。「彼女の言葉を何回も読むべきだ」「私たちの将来のために学ぶべき問題」など絶賛の書評が並んだ。
スリアーノさんは十月末から休暇で来日し、恩師の渡辺さんに出版を報告。渡辺さんは「あきらめずトライし続けたのは立派」とたたえた。林さんからは愛用のイヤリングがお礼に贈られた。スリアーノさんは「イタリアでは遠い国の昔の出来事でなく、自分たちの現在の問題としてとらえられた。日本の読者もぜひ再読を」と語った。
イタリアでの反響に林さんは「私は常々、原爆や放射能の問題は人間全体の問題であり、一人一人の命の問題であると考えて書いてきた。自分たちの問題として考えてもらったことはありがたい」と話している。
◆「祭りの場」で芥川賞
<はやし・きょうこ> 1930年、長崎県生まれ。45年、長崎市の爆心地から約1.3キロの兵器工場で学徒動員中に被爆したが、一命を取り留めた。75年、当時の体験を克明に描いた「祭りの場」で芥川賞を受賞。その後も原爆症に苦しむ被爆者の姿などを執筆。東京電力福島第一原発の事故直後には、ドイツで「長い時間をかけた人間の経験」が緊急出版された。神奈川県逗子市在住。
林京子さんの翻訳本を手に、渡辺澄子さん(左)に出版を報告するマヌエラ・スリアーノさん。手前は出版を報じるイタリアの新聞=東京都練馬区で
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