嶋矢志郎氏(ジャーナリスト・学者)が、「アベノミクスの矢がいつまでも的外れな『本当の理由』」と題する記事で、安倍首相が1990年以降の日本の経済状態について根本的な認識を欠いているために、アベノミクスは的外れなものであり続けていると痛烈に批判しました。
10月に内閣改造を行ったときに、首相は国民に向けて「アベノミクスが第2ステージに移った」旨の演説をしましたが、それは言葉だけが踊ったもので空しいというしかなく、「GDP600兆円」とか「希望出生率1・8」とか、「介護離職ゼロ」など、一つひとつがあまりにも現実離れしていて、一体急に何を言い出したのか!?というのが率直な受け止めでした。そういえば「1億総活動社会」という理解不能な言葉も出ていました。
翌日の社説は当然、「第2ステージの新3本の矢は第1ステージの失政を覆い隠すための目くらまし政策」という趣旨のもので占められ、今では話題に上がることもなくなりました。
それは兎も角として、嶋矢氏はズバリ、「1990年代初頭におけるバブル崩壊を大きな節目として、日本経済は現在に至る約20年間、総じて低い経済成長に甘んじてきた」とするいわゆる「失われた20年」という大雑把で的を外した認識では何も解決することが出来ない、と述べています。
「事実は1990年から1997年までは一貫して右肩上がりで年2・2%の成長を続けていて、それが右肩下がりの低迷期に陥るのは98年からである。
このことを先ず認識して、そのとき(から)何が起こったのかを把握しなければ、長期低迷から脱するための的を射た政策や対策を打ち出すことができるはずもない」というわけです。
(記事は約6000字でやや長文ですが、敢えて全文を紹介します)
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アベノミクスの矢がいつまでも的外れな「本当の理由」
嶋矢志郎 ダイアモンド オンライン 2015年11月4日
(ジャーナリスト/学者/著述業)
現実離れした新・三本の矢は
旧・三本の矢の失政隠しか?
アベノミクスが第2ステージへ移った。安倍首相は「強い経済」を最優先に、新たな3本の矢を提唱した。これまでの「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間投資を喚起する成長戦略」という3本の矢に加えて、「希望を生み出す強い経済」「夢を紡ぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」という新たな3本の矢を掲げて、「誰もが家庭で職場で地域で、もっと活躍できる1億総活躍社会」を目指す、と宣言した。
強い経済では、2014年度に約490兆円であったGDP(国内総生産)を2020年には同600兆円に増やすことを目標に掲げている。子育て支援では、欲しい子どもの数をもとに算出する希望出生率1.8の実現を提案している。社会保障では、介護離職ゼロをはじめ、生涯現役社会の構築、待機児童ゼロや幼児教育無償化、3世代同居拡大などの支援策を掲げ、50年後も人口1億人を維持するという国家としての意思を明確にする、と明言した。2017年4月に予定している消費税率の10%への引き上げについても、「リーマンショックのようなことが起きない限り、予定通り実施する」と強気である。
来年夏に参院選を控えているとはいえ、安倍首相は先の第3次内閣の発足に際し、国民へ向けて発したメッセージとしてはいかにも軽く、言葉だけが踊り過ぎていて、空しさを禁じ得ない。とりわけ「GDP600兆円」とか「希望出生率1.8」とか、揚句には「介護離職ゼロ」に至っては、いずれも現実離れした無責任な夢物語で、いかにも客寄せのセールストークに近い。
国民が切望しているのは、地道で実現可能な政策目標であり、より具体的な施策の着実な有言実行である。そのためにも、第1ステージの総括が必要不可欠であるが、安倍政権には今のところ総括する気配はない。むしろ、第2ステージの「新・3本の矢」は第1ステージの失政を覆い隠すための目くらまし政策であり、プロパガンダ(喧伝、吹聴)ではないのか、との厳しい批判も広がっている。
アベノミクスの第1ステージがスタートしたのは、2012年12月のこと。間もなく3年になるが、結論を先に言えば、3本の矢はいずれも初めから的が外れており、焼き石に水ではなかったのか、と言わざるを得ない失政である。
第1ステージでは当初、円安や株高が進み、企業業績は回復、改善し、好転した。しかしデフレ脱却を決意して掲げた、物価を2年以内に2%へ上昇させるというインフレ目標はいまだ叶わず、GDPも今なお伸び悩んでいる。待望の景気回復や経済成長の押し上げ効果も芳しくない。打ち出してから2年半に及ぶ異次元緩和の第1の矢は、年80兆円の国債購入など、かつてない大胆な施策を繰り出したが、笛吹けど踊らずで、物価にも景気にも響かず、期待外れに終わっている。最近は、追加緩和への待望論まで取り沙汰されている。
機動的な財政運営の第2の矢は、計19兆円規模の3度にわたる財政出動などで、いわゆる有効需要政策を繰り出したが、これも眼に見えるほどの需要効果を発揮しているとは聞いていない。
民間投資を喚起する成長戦略の第3の矢に至っては、規制改革をはじめ、女性が輝く社会の実現など、多くの施策を次々と公表したが、そのほとんどが手つかずのままで、期待を裏切っている。
円安効果は、確かに外国人観光客の増大で「爆買い」が低迷する内需を下支えしているが、その一方で輸入価格の上昇が個人消費を冷やしている。異次元緩和による国債の大量購入も、課題解決の負担を先送りしているだけで、決して賢い善政ではない。日銀が大量に買い入れた国債はいずれ売却しなければならず、それまで国債価格を下落させずにいかに保全するか。いわば出口で軟着陸するための出口戦略が至難である。出口戦略は米国でも10年、20年の先行き見通しを要しており、日本ではさらなる歳月を要することは必至である。
アベノミクスの放つ矢は
なぜ的が外れているのか?
それにしても、アベノミクスはなぜ、的が外れているのか。その要因には3つある。1つには、政策立案の大前提となる現状認識に決定的な事実誤認があること。2つには、日本経済の長期低迷の要因分析をあえて怠り、そのすべてを非科学的な「バブルの崩壊」で片づけ、それ以上の真摯な追求を蔑ろにしていること。そして3つには、視点と問題意識が総じて、企業などの供給や生産サイドへの配慮を優先し、消費者や生活者などの需要や消費サイドへの配慮を無意識のうちに後回しにしていることである。
安倍政権にとっては、いずれもその背後に「不都合な真実」が隠されているため、故意に覆い隠したかったがための手抜き策ではなかったか、と勘繰っている。
さて、前述の第1の要因は、アベノミクスの原点から検証していく必要がある。2013年1月の国会において、安倍首相は所信表明演説の中で、次のように述べている。
「我が国にとっての最大かつ喫緊の課題は、経済の再生です。(略)これまでの延長線上にある対応では、デフレや円高から抜け出すことはできません。だからこそ、私はこれまでとは次元の違う大胆な政策パッケージを提示します。断固たる決意を以って、強い経済を取り戻していこうではありませんか」
これがアベノミクスの趣旨と狙いであるが、そのアベノミクスを必要としている日本経済の現状認識については、閣議決定した「基本方針」の中で次のように記述している。
「1990年代初頭におけるバブル崩壊を大きな節目として、日本経済は現在に至る約20年間、総じて低い経済成長に甘んじてきた。(略)我が国が取り組むべき課題は、先ず第1に長期にわたるデフレと景気低迷から脱出することである。(略)安倍内閣は相互に補強し合う(略)3本の矢、いわゆるアベノミクスを一体として、これまでと次元の異なるレベルで強力に推進していく」
「失われた20年」は事実誤認?
日本経済は1997年まで成長を維持した
この現状認識には極めて基本的な事実誤認があり、看過できない。真実は1つなので、いかなる統計を見ても同じであるが、事実は1990年から1997年までは一貫して右肩上がりで成長を続けているということだ。90年を100とすると、97年は112で、この間の年平均成長率は2・2%であった。それが右肩下がりの低迷期に陥るのは98年からである。97年を100とすると、2013年は91で、この間の年平均成長率は0・6%のマイナス成長である。
したがって、日本経済が長期停滞に陥り始めたのは、98年以降のことなのである。「失われた20年」と言われてからすでに久しいが、その起点は決して90年ではなく、実は98年からのことであったわけである。今、改めて「失われた20年」を正確に言い換えれば、今年は「失われてから18年」目を迎えている。
日本経済の長期低迷を脱して、再生させる狙いはアベノミクスの本命中の本命の狙いで、3本の矢はいずれもこの的を射抜くために集中させていたと言っても過言ではない。それにもかかわらず、肝心な長期低迷の実態把握を「90年代の初頭におけるバルブ崩壊を大きな節目として、日本経済は現在に至る約20年間、総じて低い経済成長に甘んじてきた」とは一体、どういうことか。あまりにも大雑把で、事実を大きく誤認、逸脱している。
これでは、長期低迷から脱して、再生させるために欠かすことができない要因の分析、究明も正確にできなければ、把握もできず、ましてや的を射た政策や対策を打ち出すことができるはずもない。
1998年から始まった長期低迷で
雇用者報酬と国内民間需要が下落
では、日本経済はなぜ1997年をピークに、98年から右肩下がりのマイナス成長に陥ったまま、浮上できずにきてしまったのか。国民所得統計によると、長期低迷の背後には98年を起点に低迷傾向を辿り出したGDP(国内総生産)の増減傾向とほぼ軌を一つにして、雇用者報酬の下落傾向と国内の民間需要の減少傾向を見て取ることができる。
雇用者報酬とは、国内で雇用されて働く人々が1年間に受け取る給料や賞与、手当などの総額である。これが97年までは一貫して右肩上がりで、それも急カーブで増え続けるが、98年からは右肩下がりに転じて、下降線を辿っている。
国内の民間需要とは、家計の消費支出と住宅建設で、全体の8割を占めている。これも97年までは右肩上がりで増化傾向を辿るが、98年からは若干の増減を繰り返しながらも、減少傾向を辿っている。
雇用者報酬と国内の民間需要とGDPの相関関係は、極めて高い。雇用者報酬が下がれば、国内の民間需要は減るし、国内の民間需要が減れば、日本経済の総需要が減る。総需要が減ればGDPを減らし、押し下げることになる。逆も真なりで、雇用者報酬が上がれば、最終的にGDPを増やし、押し上げることになる。
総需要は、国内の民間需要と政府需要と輸出の合計で、国内の民間需要が全体のおよそ65%、ほぼ3分の2を占めているため、国内の民間需要の増減がGDPのそれに与える影響力は大きい。
日本経済が97年をピークに、98年以降は長期低迷に陥り、「失われてから18年」を余儀なくされているのは、よく世界経済のグローバル化や新興国の台頭など、その主因を外圧に求める向きもある。しかし、国際比較統計からはそれを認めることはできない。なぜならば、97年を100として98年以降のGDPと平均賃金の推移を国際比較すると、欧米の主要各国はいずれも右肩上がりの上昇傾向を辿っている中で、日本だけが取り残され、GDPも平均賃金も共に緩い下降線を辿っているからである。
98年からの日本経済の長期低迷の要因は、紛れもなく国内要因によることは明白である。だからと言って、これをも非論理的な「バブルの崩壊」でフタをして、終わりにしては真相の究明にならない。
「賃金の上がらない」構造が体質化
これこそが日本経済の長期低迷の主因
実は第2の要因はこの真相の中に隠されていたのである。つまり、総需要やGDPを押し下げてきた先行要因の雇用者報酬が97年までは順調に増加傾向を辿ってきたのに、98年からは急に下降線を辿り出したのはなぜか。この背景にこそ、真相の核心が隠されている。
結論から先に言えば、その時々の政権が96年以降に繰り出してきた日本経済の構造改革政策が、日本経済の秩序をいわば「賃金の上がらない」構造へ改革し、体質化させてすでに久しく、その構造と体質が今や骨肉化して、今日に及んでいる事実と現実こそが日本経済の長期低迷の主因である、と確信している。
それはどんな事実で、現実なのか。ひとことで言えば、戦後の高度成長以来、日本経済の成長、発展の歯車を底辺から支え、推進してきた企業戦士といった、いわゆるエンジン役を果たしてきた「雇われ軍団」が、取り返しのつかないモラールダウン(やる気の委縮)に陥っていることである。
歴代の政権が歳月を費やして労働者派遣法の相次ぐ執拗な改正で同軍団を正規、非正規に分断し、差別と格差で疎外し、労働分配率の低下で蔑ろにしてきたため、雇われ軍団のやる気をはじめ、生産性の向上力や購買力、さらには生活力から生きる力まで萎えさせてきた事実と現実は、日本経済の足腰を弱め、再生への復元力を失わせている。「失われた20年」で言うところの失ったものとは何か、と問われれば、残念ながら「雇われ軍団」のモラールダウンと言わざるを得ない。
当時の構造改革政策は、橋本政権の96年からの同政策をはじめ、2001年から09年にわたる小泉、安倍(第1次)、福田、麻生の各政権がそれぞれに同名の政策を次々と繰り出して、日本経済を「賃金の上がらない」構造と体質へ、いわば上塗りしてきた経緯がある。このことは、07年版の『経済財政白書』や12年版の『労働経済白書』も認めている。両白書とも、企業業績や景気が回復、改善して、企業の収益構造には賃上げの余地が十分に出てきているにもかからず、雇用者の賃金が上がらなくなっている実態を分析している。
ただ、白書はこの実態分析の結果を客観的に認めているだけで、これがその時々の各政権が繰り出してきた構造改革政策によってもたらされたものとは、触れていない。しかし、日本経済を「賃金の上がらない」構造と体質へ十数年にわたって改革し、その構造と体質が日本経済を長期低迷へ追い込んだ悪循環の因果関係は疑う余地もなく、この事実と現実に対する現状認識への欠如が的外れの元凶である、と筆者は確信している。
政府の繰り出す規制緩和策が労働者派遣法の相次ぐ改正などで、企業の雇用形態を大幅に緩和、多様化した結果、非正規雇用労働者がこの十数年にわたって緩やかに増え続け、14年には全雇用者の37.4%、1920万人に及んでいる。非正規雇用とは、臨時、契約、派遣、パートタイマー、アルバイトなど、いわゆる正規雇用以外の有期雇用のことである。最近の雇用形態は正規雇用を減らして、相対的に賃金の低い非正規雇用を増やす傾向へ傾いているため、雇用者数は増えても、賃金水準を下げて、購買力を弱め、内需やGDPを押し下げるだけで、押し上げることはない。
労働者派遣法改正が象徴する
強きを扶け、弱きを挫く政策
これが、的外れの第3の要因である。安倍首相は「アベノミクスで雇用は100万人以上増えた」と自画自賛する。安倍政権が発足する前の12年春からの3年間で、非正規雇用者は確かに約178万人増えたが、正規雇用者は逆に約56万人も減っている。企業は正規雇用者が退任しても、新規採用は非正規雇用者で補充し、なかには企業側の都合だけで正規社員を非正規へ、勝手に切り下げる傾向も広がっている。
先の国会で成立した労働者派遣法の改正では、企業は働く人材さえ代えれば、派遣社員を雇い続けることができるようになるため、労組側は「正規を非正規へ置き換える動き」に拍車がかかるのは必至、と恐れている。
労働者派遣法は、価値観やライフスタイルが一段と多様化していく中で、働き方や社会参加への選択肢を豊かにしてくれる点で、ごく一部の人たちにとっては確かにプラス面も無視できない。しかし、同法の思想をはじめ、趣旨や狙い、理念や目的が非正規の雇用形態を法的に正当化する点で、雇う側には圧倒的に利するが、雇われる側には絶対的に不利となる悪平等な法律である。
アベノミクスは、意図的か否かは別として、結果として紛れもなく「強きを扶(たす)け、弱きを挫(くじ)いて」いるのが最大の欠点であり、労働者派遣法の規制緩和はその象徴である。
アベノミクスは、日本経済の「賃金の上がらない」構造と体質からの脱皮策を最優先課題として、出直しを急ぐべきである。
著者:嶋矢志郎
ジャーナリスト/学者/著述業。東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。日本経済新聞社(記者職)入社。論説委員兼論説副主幹を最後に、1994(平成6)年から大学教授に転じ、芝浦工業大学大学院工学マネジメント研究科教授などを歴任。この間に、学校法人桐朋学園理事兼評議員をはじめ、テレビのニュースキャスターやラジオのパーソナリティなどでも活躍。専門は、地球社会論、現代文明論、環境共生論、経営戦略論など。著書・論文多数。