元大原社会問題研究所長の五十嵐仁法政大名誉教授が、「戦争法案反対で高揚する国民運動をどう見るか」と題して、一連の戦争法案反対で盛り上がった国民運動をどう見るか、そして今後どう発展していくかの見通しについて、丁寧に解説する文書を発表しました。
「五十嵐仁の転成仁語」には3日と4日の2日間にわたって掲載されましたので、それをまとめて紹介します。
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「民主主義の目覚まし時計」が鳴っている
戦争法案反対で高揚する国民運動をどう見るか
〔以下の論攷は、『学習の友』11月号、No.747に掲載されたものです〕
五十嵐仁の転成仁語 2015年11月3,4日
はじめに
「我々は、試合に負けたかもしれませんが、勝負には勝った」。民主党の福山哲郎幹事長代理は、こう述べました。戦争法案採択前の参院本会議での反対討論です。その「勝負」の決着は次の参院選、解散・総選挙でつけなければなりません。その時には「試合にも勝てる」ように、今から準備する必要があります。
戦争法案反対闘争における最大の特徴は国民の民主主義的覚醒でした。戦争法案をゴリ押しすることで、安倍首相は心ならずも「民主主義の目覚まし時計」を鳴らしてしまったようです。若者をはじめ、このたたかいに加わった人々は政治変革の必要性を痛感し、それに向けての決意を固めたことでしょう。このような価値観の変化を呼び起こし、変革に向けての主体を形成できたところに、戦争法反対闘争の最大の成果があります。
度重なる安倍政権の暴走によって、この世のあらゆる災いが飛び出してきたような日本です。しかし、「パンドラの箱」にはまだ残っているものがありました。最後に残された希望は「民の声」です。国会前をはじめ全国津々浦々に響き渡ったこの「民の声」を、戦争法廃止の国民連合政府(詳しくは後述)実現の力とするのが、これからの私たちの課題にほかなりません。
立憲主義・平和主義・民主主義の破壊
国会での戦争法案の審議と採決を通じて明らかになったのは、立憲主義・平和主義・民主主義の破壊という問題でした(経過は年表参照―省略)。
立憲主義について言えば、集団的自衛権の行使容認という内容と、59年砂川判決や72年閣議決定を根拠に憲法の解釈を変更するという手法という二重の憲法違反を犯しています。
また、審議を通じて明らかになったのは、法律の根拠となる「立法事実」が存在しないということでした。当初、安倍首相は具体的な例として、ホルムズ海峡での機雷掃海、日本人の母子を輸送する米軍艦の防護、北朝鮮のミサイル発射を警戒監視中の米艦防護などを挙げていましたが、いずれも根拠のないことが明らかになったからです。
さらに、民主主義の破壊という点では、民意の無視が際立ちました。最終盤での参院特別委員会での採決は与党の「だまし討ち」によって大混乱に陥り、速記録には「議場騒然、聴取不能」と書かれているだけです。回りを取り囲まれたために議長の声は聞こえず、起立した委員の姿も議長からは見えなかったでしょう。議事運営上の瑕疵があったことは明らかで、採決不存在と審議続行を求める要望書が出されたのも当然です。
9月19日未明、参院本会儀で戦争法案は成立しました。しかし、各新聞の世論調査では5割が法案に反対で成立を評価せず、6割が憲法に違反しているとし、審議が尽くされていないという意見も7割から8割近くに上っています。説明不十分という意見に至っては8割を超える調査もありました(図参照―省略)。8割といえば国民の大部分じゃありませんか。
実証された「反響の法則」
戦争法案に対しては、質量ともにかつてない反対運動が起きました。強く打てば強く響く「反響の法則」が実証されたことになります。攻撃が強いほど反発や抵抗も大きくなり、訴えれば応える世論の変化も顕著で、国会内外の連携も目立ちました。
元最高裁長官や判事、元内閣法制局長官、官僚や自民党幹部のOB、9割の憲法学者、弁護士、大学人、創価学会員、宗教者、医療・介護・福祉関係者、大学生や高校生、国際NGOやNPO、元自衛官、演劇人、映画関係者、文学者、音楽家、タレント、地方自治体議会と議員、普通の市民などが立ち上がりました。
全国2000カ所以上で数千回の抗議行動が取り組まれ、130万人以上が参加したと、SEALDsの奥田愛基さんは国会の参考人質疑で述べています。
デモと集会は、ホップ(原発ゼロ実現・再稼働反対)、ステップ(秘密保護法制定阻止)という2段階を経て復権し再生してきました。今回の戦争法案反対のたたかいはこれを引き継ぎ、大きくジャンプして全国に拡大したのです。
集会の開き方も様変わりし、官邸前や国会周辺で定期的に取り組まれ、有名無名の人々が横並びで自由に発言しました。「わたし」が主語となり自分の言葉で発せられたスピーチは聞く人々の胸を打ち、非暴力のパレードやサウンドデモ、ラップ調のコール、ふらりと参加できる気安さ、感覚的なカッコよさなども、これまでにない特徴です。
自主的自発的な個人の参加者が目立ったことが注目されていますが、同時に指摘する必要があるのは、大学生のSEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)や「ママの会」をはじめ、高校生のT-nsSOWL(ティーンズソウル)、SADL(民主主義と生活を守る有志)、MIDDLEs、OLDs、各大学・各分野の有志の会などの新しい組織の結成が相次いだことです。
そして、これらの新たに登場した組織と労働組合などの既存の組織が連携し協力したことも大きな特徴でした。労働組合の姿が見えにくかったのは、動員型での集会参加が少なかっただけでなく会場整理などの裏方として運動を支えていたからで、動員されなくとも個人として集会に参加した組合員も多かったのではないでしょうか。
獲得された新たな運動の質
今回のたたかいを中心になって担ったのは「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」(総がかり行動実行委員会)です。これは「戦争をさせない1000人委員会」(1000人委員会)、「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」(壊すな!実行委員会)、「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」(憲法共同センター)という3つの団体の合流によって結成された共闘組織でした。
それは、市民運動団体「壊すな!実行委員会」を仲立ちとした連合系団体「1000人委員会」と全労連系団体「憲法共同センター」との連携という内実を持っていました。このことは強調しておく必要があります。このような形での大衆運動における共同が、すでに実現していたからです。
また、60年安保闘争や70年安保闘争との違いでは、青年や学生の参加の背景に自らの貧困と不安があるという点が大きいように思われます。かつては使命感に基づく「他者」のための運動であり、そのために潮が引くように沈静化しました。しかし、今は自らの未来を守り切り開くための「自己」のための運動なのです。中途で投げ出すわけにはいかず、これからも沈静化することはないでしょう。
このたたかいは、高齢者と若者、組織と個人、国会周辺と地方・地域、町内、村内での運動が呼応するような形で展開されました。前者が「敷布団」で後者が「掛け布団」のような関係(上智大学の中野晃一教授)だと言われますが、両者が連動して運動の幅を広げ質を高めることになったように思われます。
また、運動への参加の仕方では組織的な働きかけと個人的な情報の入手という特徴もありました。このような情報の発信や受信という点で大きな意味を持ったのが、インターネットやSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)などのIT(情報技術)手段です。(インター)ネットによるネット(ワーク)の形成と活用もこれまでにない特徴で、それが社会運動の武器として活用され、大きな威力を発揮した最初の事例だったのではないでしょうか。
戦争法廃止をめざす連合政府の樹立に向けて
戦争法が成立した日の午後、日本共産党は中央委員会総会を開いて戦争法廃止の国民連合政府の実現を目指す方針を決め、参院選などでの選挙協力を呼びかけました。素早い対応であり、的確な方針提起であったと思います。
戦争法成立の直後から、「民主主義は止まらない」「この悔しさは忘れない」という声が上がり、コールも「戦争法案今すぐ廃案」から「安倍内閣は今すぐ退陣」へと変わりました。倒閣運動への発展・転化が生じたのです。
今後も戦争法廃止の運動を継続させ、世論を変え、裁判にも訴えていくことが必要です。とりわけ重要なのが賛成した議員を選挙で落とす落選運動であり、戦争法の廃止を可能にするような政府の樹立です。
参院選での与野党逆転を実現するうえでは1人区対策が重要になります。現在の参院の与野党差は28ですから15議席入れ替われば逆転しますが、野党の選挙協力が実現すれば8つの1人区で与野党が入れ替わると東京新聞は試算しています。
今回改選される議員が当選した2010年参院選では、直前に菅首相が消費税10%発言を行って民主党が大敗し、自民党が圧勝しました。この時の共産党は3議席当選にとどまりましたが、前回の2013年参院選では5議席増の8議席になっています。これらの事情を勘案すれば、与野党逆転の可能性は十分にあると言えるでしょう。
これからの対決の焦点
これからは憲法9条の空文化かそれとも戦争法制の空文化か、という対決が本格化することになります。その集約点が来年の参院選であり、そこでの勝利には民主党と共産党の連携・協力が不可欠です。
そのカギを握っているのは民主党です。民主党は「右のドア」を閉めて「左のドア」を開けるべきです。力を合わせなければ政権交代は無理であり、「反共主義」や「共産党アレルギー」では国民の期待には応えられません。未だに「裏切り」の印象が強く国民の信頼を十分に回復しているとは言えない民主党は、このことをよく考えるべきでしょう。
この間の運動によって、政治を動かす土台とも言うべき社会が変わり始めました。政権交代の準備はもう始まっているのです。一時的なブームという上からの「風」頼みの政権交代ではなく、人々の考え方や価値観の変化をともなった下からの「草の根」の力による政権交代という条件が形成されつつあります。
好きか嫌いかを優先するようでは政治家の資格はありません。嫌いでも国民のためになるのであれば手を組むべきです。せっかく盛り上がってきた倒閣運動です。「民主主義の目覚まし時計」を鳴らして、その高揚をもたらした安倍首相の「政治的プレゼント」を無にしてはなりません。政権交代によって、この「プレゼント」を最大限有効に活用しようではありませんか。