※ 10月31日 南シナ米中衝突の危機に官邸周辺は大ハシャギ
中国が尖閣諸島に武力をもって進撃してくることもあり得ないことですが、仮にあった場合、沖縄の米軍基地やオスプレイが守ってくれると単純に極めつけるのも間違いです。
アメリカは日本が尖閣諸島の施政権を持っていることは認めていますが、尖閣諸島の領有権についてはコミットしない(関わらない)というのが、戦後70年間のアメリカの一貫した姿勢です。
アメリカは、問われれば「日米安保条約5条の責任(日本攻撃への共同対処)は果たす」とは言うものの、元々同条約では「島嶼の防衛は対象外」とされています。無人の島嶼や岩礁を守るために米軍が危険を冒すことはあり得ません。
安倍政権は、駐留米軍のために毎年6500億円前後も負担しているのだから・・・というような安易な思いに浸るのではなく、中国を賢く制御して決定的衝突にならないようにしていくのが日本の努めであることを認識すべきです。そして薄っぺらな世界潮流の認識を示して自衛隊の海外派遣を策すのではなく、アジアの大国として、アジアの平和と繁栄をどう築くのかという視点を持つべきです。
そもそも戦後70年たっても外国の軍隊が「占領軍」の状況のままで存続しているのは独立国として実に異常です。戦後米軍が駐留した他の国を見ても、ドイツは米軍基地を格段に縮小しました(NATOとの関係で米軍基地はまだありますが)。フィリピンは一旦米軍を撤退させました(その後中国との領海問題が生じたために再び駐留するようになりました)。韓国も、いずれ米軍が完全撤退する取り決めをしています。
ところが日本はといえば、いまだに日米地位協定の改定さえ言い出せないような弱腰でいます。先の安保法制も、ひたすらアメリカの意のままに振舞いたいという観点で進められたものでした。
ブログ「日々雑感」が、「政治家とは何だ」と題する辛口で歯切れの良い記事を載せましたので紹介します。
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政治家とは何だ
日々雑感 2015年11月3日
本日の読売新聞第4面に仲井真前沖縄県知事が寄稿している。それを一読して仰天した。仲井真氏曰く「翁長氏の埋め立て承認取り消しは遺憾だ」「代替案出さぬ翁長氏は無責任」だというのだ。
辺野古沖移設反対を公約として沖縄県知事に選出されておきながら、任期切れ寸前に「辺野古沖移設容認」に転じた仲井真氏こそ無責任の誹りを免れない。そして普天間基地の県外移設を求める翁長氏が代替案を示す必要が何処にあるというのだろうか。
国防は国の専権事項だ、と安倍氏以下防衛大臣や官房長官がバカの一つ覚えのように息巻くのなら、専権事項の一環として米軍には帰ってもらってはどうだろうか。日本にいなければ日本の防衛にならない、というのでもないだろう。
中国の東シナ海での脅威が高まったのも、北朝鮮が核開発をしたのも、米軍が日本の基地にいなかったからではない。居ながらにして米軍は傍観し続け、日本に対して近隣諸国の脅威が増大するのを「心待ちにしていた」フシがある。日本に対して中国や北朝鮮の脅威が増せば米軍は帰れ、と日本国民の思わないだろう、との読みが米国政府になかっただろうか。
これまでの経過を冷静に判断すれば、米軍は役立たずの用心棒だ。無駄飯ばかり喰らって、大きな顔をして日本に居座る碌でもないヨタボウだ。
そのヨタボウが日本の基地から南シナ海に軍艦を派遣して、動かない中国の岩礁埋立基地がさも重大な脅威であるかのように騒ぎ立てる。潜水艦や空母のように作戦で海上を秘かにあるいは大々的に移動する艦船の方が軍事的脅威は大きい。動かない岩礁埋立基地は宇宙からでもステルス戦闘機からでも、何時でも攻撃して破壊できる前近代的な代物に過ぎない。
米軍が沖縄の基地に拘っているのは日本の「思いやり予算」が魅力だからに他ならない。米国内に軍隊を駐留させておくよりも、日本の基地に置いている方が米国の軍事費削減になるという。
日米地位協定の改定さえしようとしない、不良米軍兵士たちを日本の基地に置いておく必要が何処にあるというのだろうか。既に日本政府は御丁寧にもグアムの基地に日本国内の米軍にお引き取り願うために予算を投じて豪華宿舎や兵営などを建設している。やって来るときは勝手に占領軍面して来たくせに、帰る時には帰る先の宿舎や設備をちゃんとしろ、と日本政府に命じるとは、何処まで厚かましい役立たずの用心棒なのだろうか。
仲井間氏は公約破りの変節漢だ。どの面下げて全国紙に寄稿したのだろうか。人として最低のモラルすらない人物が、政治家だったという事実に驚く。この国の政治家とは一体なんだろうか。