PCR検査の規模は、北京市(だけ)で1日当たり100万件以上、米国でも間もなく1日当たり500万件になるということです。
それに対して日本は最大2万8千件とされていますが、これまでで1万件を超えたのは7月9日の1回だけで、多くは4千件以下、4千件を超えるようになったのは6月18日以降です。
新型コロナ感染症については、検査を徹底して感染拡大を防止するしか方法がないことは世界の共通した認識であっていわば「定理」です。日本の検査数が桁外れに少ないことは第1波の最中にWHOなどから指摘されていましたが、第2波の到来かと言われ始めた現在においても一向に改善されていません。実に不思議なことです。
上 昌広・医療ガバナンス研究所理事長が、その原因が厚労省(「感染研」の上部組織)の医系技官たちのPCR検査拡大は不要とする考え方にあることを明らかにしました。
それでは、世界の「定理」を否定するからには一体どんな根拠(反証)があるのかという話ですが、何一つ説得力のあるものはないことが説明されています。
「厚労省の大罪」とされる所以です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
政府無視し「PCR検査をしない真っ当な理由」騙る厚労省の大罪
上 昌広 幻冬舎オンライン 2020.7.11
内科医/医療ガバナンス研究所理事長
10日、東京都の新型コロナウイルス感染者数が243人と過去最多の数値であることが判明した。第2波への不安広まるなか、小池百合子都知事は「さらなる警戒が必要な段階」と懸念の色を示している。感染者の実数周知のため、肝となるのはもちろんPCR検査だが、日本の検査数は各国と比べ異常なほど少ないままだ。医療ガバナンス研究所の上昌広氏が指摘する、日本の大いなる欺瞞とは。
感染者急増でもPCR検査数が各国に劣る日本の異常
東京都で新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。このまま第2波へと発展するか、あるいは第1波収束過程における一過性な増加で終わるのかは予断を許さない。
この状況は日本に限った話ではない。社会活動を再開すれば感染者の増加は必至であるため、各国は対策に余念がない。その中心は検査体制の拡充だ。新型コロナウイルスに限らず、感染症対策の基本は早期診断・治療・隔離(自宅も含む)だ。検査しなければ、実態がつかめない。
流行が再燃している北京市では、市内の食品卸売市場「新発地市場」で感染者が確認された6月11日以降、検査の規模を拡大し、1日あたり100万を超えるサンプルを処理している。6月28日正午現在、829万9,000人の検体を採取し、768万7,000人の検査を終了したと発表している。
北京市の人口は約2,000万人だから、約4割が検査を終えたことになる。7月1日現在、累計感染者数は328人。感染拡大の抑制に成功している。
感染拡大が続く米国でも対応は変わらない。4月下旬、トランプ大統領は「まもなく1日で500万件の検査ができるようになる」と発言しているし、ニューヨーク州は7月1日に配信したメールマガジンで、「すべてのニューヨーク州民は州内に存在する750ヵ所程度の検査センターで、無料で検査を受けることができる」とアナウンスしている。ニューヨーク州の人口は約1,950万人。人口2.6万人につきPCR検査センターが1つ存在することになる。
日本の状況は違う。検査能力は最大で1日あたり2万8000件だ。自民党新型コロナウイルス関連肺炎対策本部の田村憲久本部長(元厚生労働相)は、PCR検査や抗原検査について、「1日10万件の検査能力を持つべきだ」と数値目標案を示しているが、米中とは比べものにならない。
ところが、このことは日本国内ではほとんど報じられない。PCR検査の必要性を否定する報道まである。
PCR検査の必要性を否定する裏には「特殊」な関係が
『サンデー毎日』7月12日号に掲載された岡部信彦・川崎市健康安全研究所所長のインタビュー記事で、岡部氏は「第2波、ワクチンは不明でもPCR検査信仰は消える」とコメントしている。
私は、この記事を読んで驚いた。なぜなら、岡部氏は「普通の学者」ではないからだ。2013年まで国立感染症研究所(感染研)感染症情報センターでセンター長を務めた幹部であり、同年、川崎市健康安全研究所所長に就任している。政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の委員でもある。
感染研は厚労省の内部組織で、感染症情報センターは、保健所と並び、感染症法に規定された厚労省の感染症対策の中核だ[図表1]。新型コロナウイルス対策でも中心的な役割を果たす。つまり、政府の新型コロナウイルス対策の中心人物が、PCR検査の必要性を公に否定していることになる。
[図表1]感染症サーベイランス(患者情報・病原体)体制
出所:国立感染症研究所-厚生労働省
ちなみに、川崎市健康安全研究所とは、自治体が運営する地方衛生研究所だ。感染症だけでなく、環境や食品衛生の分野まで広く検査業務を担当する。新型コロナウイルス対策でも、保健所と並び、検査業務を担当する。地衛研は、歴史的に感染研とのつながりが強く、幹部には感染研OBが少なくない。岡部氏も、その1人だ。
新型コロナウイルス対策の検査業務を担う感染研・保健所・地衛研は1つの共同体を形成している。そして、このような共同体を取りまとめるのは厚労省だ。担当部署は感染症法を所管する健康局結核感染症課である。
同課は「新興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業」を所管するが、2019年度に岡部氏は「HPVワクチンの安全性に関する研究」として3,130万円を受け取っている。米国立医学図書館データベース(PubMed)を検索した限りでは、岡部氏が発表したHPVワクチンに関する論文は2014年と18年の2報だけだ。いずれも国内の現状を総括したもので、HPVワクチンの専門家とは言いがたい。彼らの「特殊」な関係がご理解いただけるだろう。
学者が、どんなメディアにでて、なんと言おうが学問の自由だ。ところが、岡部氏は「普通の学者」とは言いがたい。「厚労省の関係者」と表現していい。普通に考えて、彼の発言は厚労省、特に検査体制を担当する医系技官の意向を反映しているだろう。
PCR検査の拡充に反対する厚労省関係者は岡部氏だけではない。
「無意味な入院を防ぐ」というあり得ない言い分
同じく専門家会議の委員を務める押谷仁・東北大学大学院教授も、3月22日に放映されたNHKスペシャル『”パンデミック”との闘い~感染拡大は封じ込められるか~』に出演し、「すべての感染者を見つけなければいけないというウイルスではないんですね。クラスターさえ見つけていれば、ある程度の制御ができる」「PCRの検査を抑えているということが、日本がこういう状態で踏みとどまっている」と述べている。
私の知る限り、このような学説を述べている専門家は海外にはいない。なぜ、厚労省関係者ばかりが、似たような発言をするのだろう。厚労省の意向を代弁していると考えるのが妥当だ。
厚労省医系技官のトップである鈴木康裕氏は『集中』6月号のインタビューで「陽性者の半分が疑陽性だとしたら、医療機関の病床を本当に必要でない人が埋めてしまうことになります」と、PCR検査の問題点を挙げて、検査を強く推奨しなかった理由を説明している。
この時、偽陽性が多発する理由として、検査の特異度※を99%と仮定している。これは、本来は陰性の検体の1%を誤って陽性としてしまうことを意味する。遺伝子工学を少しでも学んだ人なら、あり得ないコメントだ。
※特異度(とくいど)…臨床検査の性格を決める指標の1つ。ある検査について「陰性のものを正しく陰性と判定する確率」として定義される値である。
新型コロナウイルスは環境中に存在するウイルスではない。適切にプライマーを設定すれば、誤ってPCR検査が陽性になることは、検査のエラー以外では生じない。特異度は99%のように低くはない。もし、99.9%であれば、偽陽性は無視できるレベルとなる。
ちなみに、厚労省が日本赤十字社に依頼して実施した抗原検査の特異度は、このレベルだ。PCRの特異度はポリクローナル抗体を用いた抗体検査の比ではない。鈴木技監がPCRの限界を説明するに使った根拠は、医学的に不適切である。もし、鈴木技監の主張が正しければ、PCR検査が世界でこれだけ実施されているはずがない。日本政府の政策決定に、このような初歩的なミスがあれば、早急に是正すべきだ。ところが、その気配はない。
これは、日本国民に様々な弊害を生じている。ドイツ在住の知人は「ドイツのPCRの検査受容能力は、直近の統計で1日あたり17万件弱です。3月初旬には1日あたり1万件を切っていました。なぜドイツは増やせるのに、日本は出来ないのか不思議に思っています」という。さらに、「日本は空港で検査能力が低いので、往来を再開できない」そうだ。
はたして、このような状況はどの程度、国民に伝わっているだろうか。
知られざる事実「内閣はPCR検査数を増加させたい」
実は、安倍総理は繰り返し「PCR検査を増やせ」と言っている。それにもかかわらず、厚労省の部局と関係者が平然と無視している。知人の自民党の元大臣経験者は「新型コロナウイルス対策をみていて、どうして総理の言うことを無視するのか、それが不思議だ」という。
だからこそ、西村康稔・経済再生担当大臣が、専門家会議を廃して新しい枠組を作ろうとしたが、根回しが十分でなかったことを批判され頓挫した。このあたりの背景をメディアは報じていない。
PCR問題は国家のガバナンスの点から考えれば問題だ。総理の指示も効かないテクノクラート集団が存在すること意味するからだ。総理の指示に従わないのだから、国民の意向などどうでもいい。悪名高い「37.5度、4日間ルール」を押し通したのも、このような背景があるからだろう。この状況は若手将校が暴走した2.26事件を想起させる。
ところが、そのおかしさを誰も批判せず、彼らの意見をそのまま流すメディアが多い。「感染症対策予算も保健所も減らしておいて『韓国の体制が良い』などと言うな」という岡部氏のインタビュー(ダイヤモンド・オンライン、6月22日)など、その典型だ。
なぜ、世界の先進国のなかで日本だけPCR検査の数が少ないのか、それは妥当なのか、国民の視点に立って議論すべきだが、提供者サイドの都合だけが強調される。
PCR検査には限界がある。軽症例や感染早期の患者は偽陰性を呈することがある。それでも、感染者を見つけ、治療・隔離するには、PCR検査を増やすしかない。そして、感染していない人には社会活動を続けてもらわなければ、社会は維持できない。世界はPCR検査の限界を認識しながらも、検査数を増やし、新型コロナウイルスとの共存を目指している。だからこそ、北京は毎日100万人以上の検査を実施したのだ。このような原理原則を踏み外し、日本独自のモデルを提唱しても、事態は改善しない。
閉鎖的な集団は必ず衰退する。日本の感染症対策が停滞していることは、その研究開発力を見れば一目瞭然だ。
[図表2]に世界各国の人口当たりの新型コロナウイルスに関する論文数を示す。日本で新型コロナウイルスの研究が進まないのは、データの開示・公開が遅れているからだ。厚労省・感染研・一部の学者が独占している。
クラスター班の一員である堀口逸子・東京理科大学教授は、4月24日の自身のツイッターで「計算式だせだせ、て、みなさんいうけど、査読中で、通ったら出します。て答えていたよ。西浦先生。掲載されたら出せます、て、当たり前すぎる回答でした。科学だから」と述べている。
西浦教授とは「8割おじさん」として知られる西浦博・北海道大学教授だ。彼がプログラムコードとデータをGitHubで公開したのは5月12日だ。新型コロナウイルス対策において、西浦氏の論文業績と情報開示のどれを優先すべきか議論の余地はない。
超過死亡データ「出す義務はない」と言い放った感染研
厚労省や感染研は部外者には冷たい。渋谷健司キングス・カレッジ・ロンドン教授は「超過死亡の調査をしようとして、日本の閉鎖的体質を痛感しました」という。超過死亡は人口動態統計さえあれば、誰でも推定できる。日本で超過死亡を推定している感染研は、独自の方法でやっており、そのことを英文論文として発表していない。
渋谷教授は、超過死亡の推定に用いているデータの提供を感染研に求めたが、「超過死亡の推定に用いている死亡数の実数は公表していない。データの詳細を知りたい場合には、データ利用申請が必要になり、その場合には手続きに数ヵ月かかる」と担当者から言われた。その後、感染研は対応を変えたようで、「出す義務はない」と返事してきた。超過死亡のデータは、統計法に基づく調査ではないので公開義務はないというのが理由らしい。
これは世界の状況とは対照的だ。世界はデータを公開し、誰でも解析出来るようにしている。たとえば、ゲノム研究だ。新型コロナウイルスは突然変異を繰り返し、その性質を変えていく。世界中の研究者はゲノム配列を解読し、その情報を共有している。そのデータベースが「GISAID」だ。2006年の鳥インフルエンザの流行をきっかけに議論が始まり、2008年5月の世界保健機関(WHO)の総会で設立が決まった。
新型コロナウイルスに関する情報も整備しており、6月1日現在、約3万5,000のゲノム配列が登録され、情報工学者が中心となって、分析が進んでいる。日本から登録されているのはわずかに131で、このうち感染研が96だ。うち71は検疫所で採取されたものであり、直近は2月16日付で取得したサンプルを5月29日に登録している。
感染研は「新型コロナウイルスSARS-CoV-2のゲノム分子疫学調査」を実施し、3月以降に欧州から流入したウイルスが国内で流行したと主張している。それなら保健所や、永寿総合病院や中野江古田病院など院内感染を起こした病院のウイルスなどのゲノムデータを登録すればいい。世界中の研究者が様々な角度から分析が可能だ。
ところが、日本のゲノムデータがシェアされないため、日本での流行状況は誰も分析できない。彼らが理由に使うのは「個人情報保護」だ。先進国は、どこも「個人情報保護」を重視する。どうして、日本だけできないのだろう。
新型コロナウイルス対策では、感染研・厚労省のガバナンスが問われるべきだ。しかしメディアや議会は「感染症対策の司令塔の強化」の大合唱だ。感染研・保健所を中心とした日本の公衆衛生体制は、戦前の衛生警察、伝染病研究所、陸軍防疫部隊などに由来し、強大な権限を有する。その閉鎖的で独善的な体質は、今に始まったことではなく、現在も安倍首相の指示を公然と無視するなど、その体質を引き継いでいる。
彼らに必要なのはガバナンスの改革だ。独法化などを通じた透明性の向上をはかるべきだ。与党の一部の議員が提案しているようだが、議論は広まらない。今こそ、市民目線にたった抜本的な改革が必要である。
上 昌広 内科医/医療ガバナンス研究所理事長