1996年4月、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が会談し、普天間基地の「全面返還」で合意してから、4月12日で25年になります。合意では普天間基地を「5~7年以内」に返還するとしましたが、それは普天間基地の能力と機能を沖縄県内に維持することが前提とされていました。しかし沖縄県内には代替地はなく、県内外で反対の世論と運動が沸き起こり 移転の計画は二転三転しました。
2006年5月、日米両政府は辺野古沿岸部にV字形の滑走路を持った新基地を14年までに建設するという現行計画を作りましたが、県民の粘り強い反対運動などによって新基地建設は遅々として進みませんでした。そして国が強引に着工した後に大浦湾の海底に軟弱地盤が広がっていることが明らかにされ、海底が深すぎるため現行では地盤改良の方法がないまま現在に至っています。
要するに辺野古新基地は「唯一の解決策」ではなく、結果的にも「最もありえない選択肢」(万国津梁会議提言)でした。そのことは米会計検査院や米シンクタンクも「県民の反対の程度を考えると政治的に持続可能ではない」、「代替施設が完成する可能性は低そうだ」と認識しているということです。
橋本龍太郎氏は、ともかくも沖縄県民に寄り添う姿勢を見せてきたとして一定の評価を受けています。ところが14年以降ずっと沖縄基地負担軽減担当大臣を務めた菅義偉氏にはそうした評価は全くありません。安倍内閣が退場するまでの丸6年間一体何をやってきたのでしょうか。本来であれば安倍政権が隠蔽していた軟弱地盤の問題が明らかになったのを機会に、米国と普天間基地問題を再調整をすべきであった筈です。
しんぶん赤旗は、新基地ノーの沖縄の民意は繰り返し示されているとして、新基地建設の中止と普天間基地の無条件返還こそ問題解決の唯一の道であると「主張」で述べました。
併せて琉球新報の社説を紹介します。
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主張 「普天間」合意25年 最もあり得ぬ辺野古は断念を
しんぶん赤旗 2021年4月11日
1996年4月12日に当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が会談し、沖縄県の米海兵隊普天間基地(宜野湾市)の「全面返還」で合意してから、あすで25年になります。両政府が普天間基地に代わる同県名護市辺野古の新基地建設で現行の計画を決めてからも15年がたとうとしています。いまだ普天間基地の返還が実現しないのは辺野古への「移設」を条件にしているからであることは、この四半世紀が証明しています。
「痛み」はどこでも同じ
橋本・モンデール会談での合意は、普天間基地を「5~7年以内」に返還するとしていました。しかし、当初から、普天間基地の能力と機能を沖縄県内に維持することが前提とされていました。
これを踏まえ、日米両政府が96年12月に発表したSACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終報告は、普天間基地に代わる新基地を海上に造ることを打ち出し、後に辺野古沖が候補地とされます。普天間基地を狭隘(きょうあい)な沖縄のどこに移そうとその「痛み」に変わりはないと、県内外で反対の世論と運動が沸き起こったのは当然です。そのため、計画は行き詰まり、建設案も二転三転しました。
2006年5月、日米両政府は米軍再編の「ロードマップ(行程表)」に辺野古沿岸部にV字形の滑走路を持った新基地を建設するという現行計画を盛り込み、「14年までの完成」を目標としました。しかし、県民の粘り強い反対運動などによって新基地建設は進まず、沖縄本島の嘉手納基地以南の米軍基地統合計画(13年4月)では普天間基地の返還は「22年度またはその後」に先送りされました。
しかも、その後、新基地建設のために埋め立てを予定している大浦湾の海底に軟弱地盤が広がっていることが判明します。日本政府は19年12月、軟弱地盤の改良工事のため、新基地の完成と米軍への提供手続き完了までに約12年かかり、総工費は約9300億円に上ることを明らかにしました。
沖縄県が設置した有識者による「米軍基地問題に関する万国津梁(しんりょう)会議」は今年3月にまとめた提言で、辺野古の新基地計画は、政府が言うように普天間基地の危険性除去のための「唯一の解決策」ではなく、「最もありえない選択肢」だと強調しました。
その理由として▽軟弱地盤の改良工事に伴う工期長期化と工費増大の問題が未解決 ▽政府が18年12月から強行している埋め立て土砂の投入は1月末時点で必要量の4・3%にすぎず、大浦湾は未着手のままで完成の見通しがない ▽コロナ禍の下で新基地建設のばく大な費用を別の用途に回す方がはるかに有益―と指摘しています。
危険性放置は許されない
沖縄戦の犠牲者の遺骨が今も残る本島南部を埋め立て土砂の調達先にしている政府の方針に「米軍基地建設のために使うのは戦没者への冒涜(ぼうとく)だ」と強い批判も起こっています。
普天間基地では、他基地からの米軍機の飛来増などにより騒音被害や事故の危険が増大しており、いよいよ放置は許されません。
新基地ノーの沖縄の民意も、この間の県民投票や知事選、国政選挙などで繰り返し示されています。新基地建設の中止と普天間基地の無条件返還こそ問題解決の唯一の道であることは明らかです。
<社説> 普天間返還合意25年 即時閉鎖こそ負担軽減だ
琉球新報 2021年4月11日
米軍普天間飛行場の全面返還に日米が合意してから、あすで25年となる。ついに四半世紀に至ったが、いまだ返還の見通しが立たず「世界一危険」とされる飛行場が街のど真ん中に居座り続けている。
根本的原因は、日米が県内移設に固執していることにある。移設先の名護市辺野古は大浦湾側に軟弱地盤が見つかり、工事の長期化は必至だ。政府試算で少なくとも12年かかり、完成は2030年代になるという。国は地盤改良工事に向け設計変更を県に申請中だが、県は承認しない構えで先は見通せない。
その間、普天間周辺住民は米軍機の墜落や落下物による命の危険、米軍由来の環境汚染、航空機騒音などの被害にさらされ続ける。この深刻な状態を最短で40年以上も放置するのは無責任極まりない。飛行場を即時閉鎖し、無条件で返還することこそが県民にとっての負担軽減だ。
発端は人権問題だ。1995年に米兵による少女乱暴事件が起き、超党派県民大会など県民の怒りが日米政府を突き動かし、翌年合意に至った。だが県民が沸いたのはつかの間だった。県内移設条件付きであることが判明、今日に及ぶ混迷が始まった。辺野古移設に反対する県と国の対立はいまだ出口が見えない。
「辺野古が唯一の選択肢」とする日米政府の方針には大きな問題が主に二つある。
一つは、辺野古の新基地は普天間飛行場より機能が強化されることだ。強襲揚陸艦が着岸できる岸壁を整備し、弾薬庫も整備される。政府は「抑止力を維持しながら沖縄の負担軽減を図る」と繰り返す。
しかし実際は、県民の命や人権、財産よりも抑止力を優先させていると言わざるを得ない。米海兵隊と陸自が共同使用する案も浮上した。機能強化により、有事の際に標的にされる可能性が高まるなど、危険性への県民負担はむしろ増す一方だ。
もう一つは、沖縄の民意無視だ。県知事選をはじめ国政選挙など県内の主な選挙で新基地建設に反対する候補が当選し、有権者は反対の意思を示してきた。極め付きは辺野古埋め立ての是非を問う県民投票だ。投票者の約7割が反対票を投じた。日米が民主主義国家なら、これらの結果を無視できないはずだ。
辺野古移設を疑問視する意見は米側にもある。米会計検査院は「沖縄のような地域での反対の程度を考えると、(新基地建設は)政治的に持続可能ではない」と指摘した。米シンクタンクの戦略国際問題研究所の報告書も「代替施設が完成する可能性は低そうだ」と困難視している。
そもそも普天間飛行場は、沖縄戦で米軍が住民を収容所に閉じ込めている間に建設し、銃剣とブルドーザーで拡大した基地だ。戦時に敵国で私有財産没収を禁じたハーグ陸戦法に違反する。無条件で住民に土地を返すべきだ。固定化は絶対に許されない。