2018年4月16日月曜日

壊れる官僚たち…安倍恐怖支配 (第4回~5回完)

 元経産官僚の古賀茂明氏が日刊ゲンダイに連載した壊れる官僚たち…安倍恐怖支配」の第4回~5回を紹介します。
 
 第4回目は「今や敵方の番犬マスコミの崩壊に絶望する心ある官僚たち」というタイトルで、マスコミが本来の機能を取り戻すには安倍政権倒壊が必須だが、安倍政権が倒れるにはマスコミがその機能を取り戻し、真実を国民に伝えなければならない。結局は解のない堂々巡りになっているのが、悲しいかな、日本の政治とマスコミの現状」だとしています。
 
 第5回目は「悪貨が良貨を駆逐…“忖度競争”の元凶は安倍首相の異常性」というタイトで、「安倍政権が内閣人事局をつくったから、官僚が官邸の意向を忖度するようになったという説が流布しているがそれは全くの間違い」で、「元々、総理は官僚人事にずっと前から介入できたのであるが、歴代総理は人事権を抑制的に使ってきたのに対して、安倍総理は、これを抜き身のまま振り回し始めた」のであり、内閣法制局長官を、集団的自衛権の行使に賛成の外務官僚に強引に差し替えたり、前川喜平文科省前次官の素行調査を行い、同氏退職後その情報を使って読売新聞前川氏の個人攻撃をさせたりする安倍氏の異常性に、官僚たち怯えたのだとしました。
 そしてこの恐怖政治をなくすには、元凶である総理の首をすげ替える。それしか残された道はない」と結んでいます
 
 この連載は今回:第5回で終了です。
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 壊れる官僚たち…安倍恐怖支配 第4回
今や敵方の番犬マスコミの崩壊に絶望する心ある官僚たち
日刊ゲンダイ 2018年4月13日
 私が通産省(当時)で1990年代に規制改革を推進していた時や、2000年代に内閣審議官として公務員改革を担当した時、マスコミの同志といえる記者たちに連日関連記事を書いてもらったり、テレビ局に官僚の天下り批判の放送をしてもらったりして、改革推進の世論を高めることで規制改革や公務員改革を大きく進めることができた。
 また、私が現職官僚として国会で民主党政権の公務員改革を正面から批判した時、テレビ局は私の特集まで組んで「古賀支援」キャンペーンを展開してくれた。改革派官僚の私にとって、マスコミは掛け替えのない戦友だった。
 しかし、安倍政権誕生後、マスコミ支配が進むと、この状況は一変する。
 
 私が、官邸の圧力で「報道ステーション」降板が決まったことを15年3月27日の最後の報ステ出演で告発し、「 I  am  not  ABE 」の紙を掲げた時、欧米のマスコミは私を支持し、日本外国特派員協会は私に「報道の自由の友賞」を授与した。一方、日本のテレビ局は、安倍政権ににらまれることを恐れて沈黙するか、逆に私を批判する映像を流した
 その後、事態はさらに悪化した。安倍政権を批判する文部科学省前次官の前川喜平氏について、安倍政権は個人情報をリークし、読売新聞がそれを記事として報道した。マスコミが官邸のために人権侵害を犯したのである。
 安倍政権の悪政と闘う官僚にとって、もはやマスコミは頼りになる同志どころか、下手をすると、牙をむいて襲い掛かる敵方の番犬に豹変する危険な存在だということになった。
 
 近畿財務局で自殺に追い込まれた男性職員のことを考えていただきたい。マスコミが正常に機能し、官僚から見て信頼に足る存在だったら、どうなっていただろうか。この職員だけでなく、決裁文書改ざんに反対の職員は多かったはずだ。そのうちのひとりでも、マスコミにこの話を持ち出して、本省からの改ざん指示や昭恵夫人の関与などを報道してもらえたら、改ざんは止められ、尊い命は犠牲にならずに済んだであろう。
 マスコミが「心ある官僚」から見て、信頼に値するものに生まれ変わらなければ、彼らは孤立無援で、安倍政権の悪政を止めることはできない
 マスコミが本来の機能を取り戻すには安倍政権倒壊が必須だ。しかし、安倍政権が倒れるにはマスコミがその機能を取り戻し、真実を国民に伝えなければならない。結局は解のない堂々巡りになっているのが、悲しいかな、日本の政治とマスコミの現状なのだ
 
 壊れる官僚たち…安倍恐怖支配 第5回
悪貨が良貨を駆逐…“忖度競争”の元凶は安倍首相の異常性
日刊ゲンダイ 2018年4月14日
 最近、安倍政権が内閣人事局をつくったから、官僚が官邸の意向を忖度するようになったという説が流布している。しかし、これは全くの間違いだ。
 もともと、官僚の人事権は大臣にある。また、内閣人事局ができる前から幹部人事については閣議決定事項で、総理の了解は必須だった。閣議の前には人事検討会議があり、そこでは官房長官と副長官たちが総理にも相談しながら、各省の幹部人事にダメ出しすることができた。つまり、総理は官僚人事にずっと前から介入できたのである。
 ただし、歴代総理は、人事権を抑制的に使ってきた。いわば、人事権という伝家の宝刀をさやの中に収めていたのだが、安倍総理は、これを抜き身のまま振り回し始めた。自分の権限を制約なく使えば何でもできる。彼には内閣人事局など不要なのだ。
 
 集団的自衛権を違憲だという法制局長官を合憲だという外務官僚に差し替えた人事。内閣の中の法の番人を時の権力者が好きなように動かすなどということは前代未聞。安倍総理の異常性を霞が関中に知れ渡らせた事件であるが、これは人事局創設前だった。
 また、安倍政権が前川喜平文科省前次官の素行調査を行い、同氏退職後、その情報を使って読売御用新聞が前川氏の個人攻撃をした。何という恐ろしい政権だろうと官僚たちは怯えきった。
 また、組織としても、文科省が加計学園問題で安倍総理に協力的でなかったために、省全体の天下り問題にメスを入れられた。財務省はじめ他の省庁も天下りは大々的に行っているが、実質的におとがめなしだった。
 
 一方、某省の次官は、安倍総理になってやりたい放題だと言っているそうだ。役所によっては、安倍総理と対立する案件がなく、その場合は公共事業などが好きなだけできる。最もやりやすい総理なのだ。
 つまり、安倍総理は、やくざと同じだ。官僚としては、目が合わなければ平穏無事。目が合ったら、諦めて総理の言うことに従う。がんを付けられたら終わりだ。
 官僚たちのこうした対応は最初は自己防衛目的だったが、常態化すると、官僚の側から、安倍総理に積極的にすり寄って出世しようという動きが出てくる。国民のためになるかは関係なく、安倍総理が喜ぶかどうかが、官僚の行動基準になり、まじめな官僚は出世できなくなる。悪貨が良貨を駆逐する忖度競争である。
 
 これを変えるためには内閣人事局をなくしてもダメだ。元凶である総理の首をすげ替える。それしか残された道はない