2018年4月9日月曜日

日報隠蔽の根源に安倍首相の戦争法(新安保法)強行

 小野寺防衛相331日に報告を受けたと言っている自衛隊イラク派兵部隊の日報の存在は1月12日に陸上幕僚監部に報告されていたことがわかっています。丸々2カ月も報告が遅れるというのはあり得ないことなので、国会森友文書改ざん問題で紛糾しているところに「火に油を注ぐ」ことになるのを避けるために、政権と防衛省の間で、予算成立後に発表するというシナリオを描いていたのではないかと推測されます

 実際には、この日報は稲田元防衛相が大臣直轄の特別防衛監察を実施したときに発見されていたのですが、当時国会で、南スーダンへの自衛隊派遣はPKO参加5原則に抵触する「戦闘地域への派遣ではないのかの疑いが指摘され、「戦闘」の記述を隠すために南スーダンPKOの日報隠蔽したことが問題になっていたため、安倍政権としては問題拡大させないためにも新たに「イラク日報」が出てきたら絶対に困るものでした。

 それで防衛省は政権を窮地に追い込まないために約1年間にわたって隠蔽づつけたのでしたが、すべては戦争法の成立を強行し、南スーダン派遣部隊に新たに「駆けつけ警護」の任務を付与した安倍首相と、彼と同一行動をとってきた稲田元防衛相を守るための行為でした。
 当時稲田防衛相は、ロクに調査もしていない段階でその場しのぎに「文書は残っていないと確認した」などと答弁したので、防衛省としてはそれと整合させる必要が生じたという面もあります。まさに「財務省の文書改ざん事件」と瓜ふたつです。

 それなのに隠蔽問題が明らかになると、稲田氏はしゃーしゃーと「非常に驚きと同時に怒りを禁じ得ない」と語り、安倍首相は「防衛相に真相解明、再発防止をしっかりやるよう指示した」と述べました。まさに他人事、自分たちは被害者であるかのような言い方ですが、安倍政権の特質をよく表しています。
 LITERAの記事を紹介します。
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自衛隊のイラク日報隠蔽問題で安倍首相、稲田元防衛相の被害者ヅラに唖然!
隠蔽を引き起こしたのはお前らだ
LITERA 2018.04.08
 安倍政権が自衛隊のイラク派兵部隊の日報を隠蔽していた問題。当初、政府は日報について「存在しない」としてきたが、実際には陸上自衛隊や航空自衛隊が保管していた。昨年3月にはその存在が確認されていたのに、1年以上も国民から隠し続けてきた。

 自衛隊では、昨年、南スーダンPKOをめぐる日報の隠蔽が発覚して大きな問題になったが、懲りもせずまったく同じ問題が噴きあがったのだ。
 小野寺五典防衛相は「まったく許せる対応ではない。文民統制にかかわりかねない重大な問題だ」などと発言しているが、何を評論家みたいなことを言っているのか。文民統制が機能していないとしたら、それは防衛省の長たる小野寺の責任だろう。
 しかも、小野寺防衛相はこの3月31日に報告を受けたなどと言っているが、実は1月12日に陸上幕僚監部に日報の存在が報告されていたことがわかっている。丸々2カ月も報告が遅れるというのはあり得ない。タイミングを考えると、政権と防衛省の間で、森友文書改ざん問題で国会が紛糾されるのを避け、予算成立を待って発表するというシナリオを描いていたのではないのか
 にもかかわらず、まるで政治の力で改ざんを突き止めたというようなポーズで、逆ギレし、“自衛隊制服組の悪事”と印象付けるのだから、姑息としか言いようがない。

 だが、この小野寺防衛相以上に呆れるのが、安倍首相と稲田朋美元防衛相だ。まず安倍首相は「自衛隊の最高指揮官として防衛相に真相解明、再発防止をしっかりやるよう指示した」などと述べているというが、その響きは完全に他人事。
 さらに稲田元防衛相にいたっては、産経新聞の取材に対し「驚きとともに、怒りを禁じ得ない」「上がってきた報告を信じて国会で答弁してきたが、一体なにを信じて答弁していいのか。こんなでたらめなことがあってよいのか」とのたまっている。いったい、どういう思考回路をしたらこんな被害者ヅラができるのだろう。

 そもそも、今回のイラク日報隠蔽問題は、稲田元防衛相の答弁に端を発している。昨年2月、南スーダンPKO日報隠蔽問題をめぐり、国会が紛糾するなか、稲田防衛相は野党からイラク派兵時の日報についても質問され、「確認したが発見されなかった」「残っていないことを確認した」と断言していた。

イラクPKO日報隠蔽は稲田防衛相の「日報はない」答弁が引き起こした
 だが、稲田氏の発言の根拠は一部の部署だけを対象とした限定的な調査で、とても「確認した」などと断言できるものではなかった。また、稲田氏はこの答弁の2日後、再探索を命じたなどといっているが、それもたんに当時の統幕総括官に口頭で「本当にないのか」などと質しただけで、本格調査を指示するものでなかったころが判明している。
 しかし、翌3月になると、陸自内で南スーダンPKOの日報が見つかって、国会で厳しく追及を受け始めたため、しかたがなく、防衛大臣直轄の特別防衛監察を実施。すると、陸自研究本部教訓課(現在は教育訓練研究本部教訓評価室)でイラク日報が発見されてしまったのだ。
 ところが、その結果は稲田氏らには報告されず、この3月31日に小野寺防衛相に報告されるまで1年間にわたって、隠蔽されづつけた。
 報道では陸自研究本部が「調査対象ではないと判断してしまったため」などとされているが、特別防衛監察は防衛大臣直轄のはず、大臣に報告されないということなどありうるのか

 また、本当に報告されていなかったとしても、それは明らかに政権への「忖度」だろう。当時は、前述したように南スーダンPKOの日報隠蔽が大きな問題になり、国会ではPKO参加5原則に抵触する「戦闘」との記述を隠すためだという追及を受けていた。イラクの日報にも「戦闘」の文言があった可能性が高く、安倍政権としては問題の拡大を防ぐためにも、「イラク日報」は出てきたら絶対に困る存在だった。
 だから、当時の稲田防衛相はたいした調査もしていない段階で「文書は残っていないと確認した」などと答弁したのであり、再探索もアリバイ的に口頭で指示しただけにとどまったのだ。
 そして、こうした稲田氏の姿勢、答弁に、防衛省と自衛隊は敏感に反応したはずだ。稲田氏の真意がわかっていたからこそ、防衛省と自衛隊は本気で探索しようとせず、日報が見つかったあとも、文書をネグり、そのまま隠蔽してしまったのである。

南スーダンPKO日報の隠蔽は安倍、稲田も把握していた
 いずれにしても、イラク日報隠蔽は自衛隊制服組の暴走などではなく、明らかに安倍政権の閣僚をかばうための隠蔽だった。しかも、この「安倍政権のための隠蔽」は1年前に大問題になった南スーダンPKO日報のときから始まっており、この隠蔽には、それこそ安倍首相と稲田防衛相(当時)が深く関わっていた。
 その南スーダンPKO日報隠蔽問題を忘れないように、もう一度おさらいしておこう。自衛隊が隠蔽していたのは、2016年7月に首都・ジュバで、大規模な戦闘が発生したときのPKO部隊の日報。ジャーナリストの布施祐仁氏による開示請求に防衛省は「日報はすでに廃棄された」としていたのだが、昨年2月から3月にかけて、統合幕僚監部や陸上自衛隊内にデータや日報が存在していることが発覚したのだ。

 この間、安倍首相も稲田防衛相も「一切報告を受けていなかった」などと、今回と同じく自衛隊制服組に責任を押し付けていたが、これはまったくのウソだった。
 そもそも、この隠蔽は森友文書改ざんと同じく、安倍首相と稲田防衛相の答弁や閣議決定を正当化するためにおこなわれたものだった。
 布施氏による開示請求を防衛省が受理したのは昨年10月のことだが、当時の国会では、新安保法に基づく「駆け付け警護」の新任務を自衛隊に付与するかどうかで論戦が行われていた。

 当然、国会では7月のジュバでの大規模戦闘が問題になり、PKO参加5原則の違反も指摘された。だが、稲田防衛相や安倍首相は「戦闘」を「衝突」と言い換えたあげく、「南スーダンは永田町より危険」(安倍首相)などとふざけた答弁を連発。結局、「状況は落ち着いている」とゴリ押しし、11月15日に駆け付け警護の任務付与を閣議決定。新任務を付与した自衛隊部隊の第一弾を新たに南スーダンへ送り出した。これが11月20日のことである。

 そして前述のとおり12月2日、防衛省は「すでに破棄している」との名目で日報の不開示を決定したのだ。どう見ても“駆け付け警護”強行と安倍首相、稲田防衛相の「戦闘」否定発言と整合性をもたせるために都合の悪い情報を握りつぶしたとしか思えないものだった。実際、見つかった日報には「戦闘」の文字が生々しく刻まれていた。
 しかも、稲田防衛相は明らかに隠蔽に加担していた。稲田防衛相は陸自から日報データの保管の報告を受け、防衛省の幹部会議で、そこで陸自内の日報データ保管を公表するかどうかを協議、「公表しない」ことが決定され、稲田防衛相も「了承」していた。
 また、FNNが報じた防衛省幹部によるメモには、日報データ存在の報告を受け「明日なんて答えよう」「いつまでこの件を黙っておくのか…」などとうろたえる稲田防衛相のセリフが記されていた。特別防衛監察の報告ではうやむやにされたが、稲田防衛相が組織ぐるみの隠蔽に関与し、虚偽答弁をくり返していたのだ。

 稲田防衛相だけでない。安倍首相も日報の存在を知りながら防衛幹部に隠蔽を指示した疑惑がささやかれている。たとえば昨年1月18日には、背広組のトップ・黒江哲郎防衛事務次官と豊田硬官房長(当時)が二人そろって官邸を訪れ、総理に面会しているが、実はこの日は、陸自で岡部俊哉陸幕長にデータが見つかったことが報告された日の翌日にあたる。さらに、陸自内の日報データの保管事実が報道された3月15日の2日後にも、やはり黒江事務次官が安倍首相と面会していた。
 安倍首相は「陸自に残っていたということについて、事務次官と官房長から説明があったことはないとはっきり申し上げておきたい」と繰り返し否定したが、時期を考えると、黒江事務次官らはこの陸自データ公表を相談するために安倍首相と直接面会したと考える以外にないだろう。
 しかも、安倍政権はこの南スーダンPKO問題で引責辞任させたはずの黒江事務次官を次官辞任から3カ月も経たずに国家安全保障会議(NSC)関連の新設ポスト「国家安全保障参与」に起用した。これなどはまるで、安倍首相と昭恵夫人を守るために虚偽答弁と改ざんを行った財務省理財局長の佐川宣寿氏が国税庁長官に出世したのとまったく同じ構図ではないか。

イラク日報の隠蔽は稲田防衛相の否定答弁を正当化するために行われた
 情報公開請求で闇をこじ開けたジャーナリスト・布施祐仁氏は、南スーダンも現地取材している三浦英之・元朝日新聞元アフリカ特派員との共著『日報隠蔽』(集英社)のなかで、PKO日報問題についてこう記している。
〈陸自内部からと思われる情報流出が続いたのはシビリアンコントロールの観点から問題ではあったが、今回の事件は、制服組が暴走したというよりはシビリアン(文民)である背広組が官邸を守ろうとするがあまり迷走したというのが本質だと思う。〉

 いずれにしても、南スーダンPKO日報の隠蔽もまた、“駆け付け警護”を強行するために官邸の意向をくんで行われたことは間違いない。そして、この南スーダン日報隠蔽問題の追及を受ける過程で、さらに今回のイラク派遣部隊の日報隠蔽が起きたのだ。
 イラク日報のほうは、さすがに安倍首相や稲田元防衛相が直接、指示していたということはないだろうが、しかし、少なくとも「安倍政権を守るための忖度」で改ざんが行われたことは間違いない。冒頭で指摘した隠蔽に至った経緯の不自然さに加え、あの状況では、防衛省や自衛隊が隠蔽を図ることに何かメリットがあるとは思えないからだ。

 そう考えると、防衛省で起きた2つの文書隠蔽は森友改ざん文書問題と根っこがまったく同じと言っていいだろう。安倍首相や内閣の暴走を正当化するため、情報ねじまげと隠蔽が行われ、不正が発覚したとたん、その安倍首相や担当大臣はすべて官僚に責任を押し付ける。まさに財務省で起きた事態が防衛省でも起きたということだ。
 いや、財務省・防衛省だけではない。安倍政治が続くかぎり同じことがあらゆる省庁で何度でも起こりうるだろう。そして、いつのまにか、政府が文書を改ざん・隠蔽することに国民のほうが慣らされ、問題にもならなくなっていく。
 これはけっしてオーバーな話ではない。民主主義が完全に崩壊してしまう前に、なんとしても安倍政権を止める必要がある。 (編集部)