2019年7月13日土曜日

消費増税と社会保障自助論を煽るマスコミと公明党(世に倦む日々)

 消費税は、所得税や法人税を払った上で、さらに消費に対して課税される二重課税制度であり、自国の経済を徐々に衰退させる“悪魔の税制”と呼ばれます。それだけでなく輸出品については免税が行われるほか、消費税率に応じた莫大な「戻し税」が行われるので、輸出企業にとっては極めてうま味があるという不公平性(=国家的詐欺)を持っています。
 加えて「逆進性」が高いことです。税制度の理念は、高額所得者や好調な企業からの税収を社会保障などの名目で貧困層に還流させる「所得再分配機能」ですが、日本では欧州などと違って不思議なことに「所得の再分配」の前後で貧困率が変わりません。要するに逆進性によって実質的に所得の再分配が阻害されているということです。
 
 政府は一貫して消費税の税収は社会保障費に充当すると説明していますが、それは完全な虚偽です。植草一秀氏の分析によれば、国税収入規模は1989年度が54.9兆円、2016年度が55.5兆円と殆ど変わらない中で、その間 法人税が 9兆円減少し、所得税が4兆円減少たのに対して消費税のみが14兆円増加ていて、消費税の税収が全て法人税と所得税の減額分の補填に充てられてきました。
 マヤカシの消費税は直ちに廃止して、本来の所得税・法人税の2本立てに戻すべきです。この30年間に行われてきた不当な減額分を元に戻すべきことは言うまでもありません。
 
 「世に倦む日々」氏が11日のブログで、
20年ほど前から、マスコミは財務官僚の片腕となり、プロパガンダ機関として霞ヶ関の一部となり、社会保障の財源は消費税だという命題を無謬の定理として据え、 それを国民の常識にし」たことと、「消費税が社会保障を支える恒久財源として必要だという潮流を作った山口二郎、宮本太郎、神野直彦らを厳しく糾弾しました。
 
 そして「社会保障とは「病気・けが・出産・障害・死亡・老化・失業などの生活上の問題について貧困を予防し、貧困者を救い、生活を安定させるために国家または社会が所得移転によって所得を保障し、医療や介護などの社会的サービスを給付する制度を指す」ものであることを改めて示し、「その社会保障を、自助すなわち自己責任でカバーせよと、あり得ないことを説く政府・与党・マスコミを糾弾しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
消費増税と社会保障自助論を煽るマスコミと公明党 - 憲法25条の否定
.世に倦む日々 2019-07-11
今回、消費税が選挙の争点の一つになっているにもかかわらず、消費増税に反対する野党の追い風となっていない。逆に、年金問題がクローズアップされたことで、年金財源論を口実にして消費増税が合理化される始末になっている。本来、野党に風を吹かせるはずの二つの争点が、逆に与党を利する道具として組み合わされて巧妙に使われている。その言論工作を仕切っているのがマスコミだ。マスコミは、本来、選挙には中立の立場であり、中立の立場だから争点を定義することができるのだが、10月の消費増税を押し通し、さらに15%以上への引き上げを目論む彼らは、今回、積極的に選挙に介入し、消費増税こそが社会保障の財源に不可欠だと説き、テレビ視聴者に刷り込みを続けている。中立であるはずのマスコミが、消費税政策については増税推進の立場に立って選挙の報道と解説をしているため、国民多数の意見や気分が代弁も反映もされず、さらには世論調査にも上からの洗脳の影響が及び、風が吹くはずの野党に全く風が吹かない。
 
20年ほど前から、マスコミは財務官僚の片腕となり、プロパガンダ機関として霞ヶ関の一部となり、社会保障の財源は消費税だという命題を無謬の定理として据え、それを毎日唱えて国民の「常識」にして行った。現在、誰もそのドグマに歯向かう者はおらず、抵抗を試みる者はネットでも見かけない。だが、20年前はそんな「常識」はなかった。当たり前のことだが、お金に色は付いておらず、歳入も歳出も一つの会計であり、国民が払った税金は無色透明の税収として処理され、財務官僚によって支出が振り向けられる。本当に不思議なことだが、社会保障の財源論のときだけ消費税が強調される。増大する社会保障費を賄うのに必要だから消費増税の負担に応じよという論法が繰り出される。トランプが押し売りする武器の購入に必要だから消費税を払えとは言わず、増大する国防費の財源のため消費増税が必要だとは言わない。実際には、政府は税率を上げて増収させた消費税財源で、法人税減税分を穴埋めしているのであり、社会保障の充実や維持に回していない。社会保障は切り下げられている。
 
だが、その真実をマスコミが正論として言うことはなく、正論はあくまで「社会保障のための消費税」であり、真実は隠され、左翼と一部野党が口を尖らせる異端言説の地位に置かれたままだ。20年前の常識は、左翼が隅っこから愚痴る異端表象にされてしまった。消費税を3%から5%に引き上げたのが1997年の橋本内閣だったが、この頃から消費税=社会保障財源という定式が上から宣伝され、消費増税を正当化する論理として定着して行く。それまでは、その論法は用いられなかった。1989年に3%で初めて導入した竹下内閣のときも、あるいは前史である1979年の大平内閣のときも、導入の理由は財政再建であり、膨らむ借金の返済のため、国家財政の保全のためという目的が国民に説明されていた。それがいつの間にか、1994年の細川内閣の「国民福祉税」の頃から、社会保障費を口実として言い始め、2000年代以降は無謬の公理となって社会常識化してしまった。消費税の逆進性という問題は、2000年代前半までは強く言われていたが、これまたマスコミで言う者がいなくなり、左翼の異端の呟きと化している。
 
税と社会保障の言説をめぐる攻防で、大きな転機となったのは、2007年末から2008年初の頃の議論で、山口二郎らが積極的に消費増税を言い出した頃の出来事である。それまで、消費税は逆進性原理の課税であり、貧しい者から取る応益負担の税制だと批判していた左派が、急に「政権担当能力」を看板に旋回し、コロッと転向し、社会保障を支える恒久財源として必要だという認識に変わった。この潮流を作ったのが、山口二郎、宮本太郎、神野直彦ら岩波文化人の系列であり、北を策源地として左派全体を切り崩して行く。そして、その策動は菅政権時の「税と社会保障の一体改革」として結実し、三党合意を経て諸々の法律(悪法)が制定され、今日の貧者の嘆きの状態に至っている。裏切りのキーマンとして活躍したのは、言うまでもなく湯浅誠である。ご褒美として法政大学教授のポストが与えられた。この佞悪な政策思想の系譜は井出栄策に引き継がれている。私はこのことを幾度も指摘し告発してきた。山口二郎ほどあくどい罪業を重ねてきた男はいない。小選挙区制も、消費税も、左派を切り崩す仕事はこの男がやってきたのだ。
小選挙区制(「政治改革」)の旗を振ったのも山口二郎だった。消費増税を正当化して「政権担当能力」をアピールしたのも山口二郎だった。そして、そこには必ず岩波書店と朝日新聞のエンドース保証があり、左派の意識を転向させるイデオロギー装置の介在があった。民主党の消費増税策を合理化するために持ち出したのが、いわゆる北欧福祉国家モデルの言説であり、「高福祉・高負担」のフレーズである。北欧諸国の絵を示され、国民はまんまと騙された。
 
9日の朝日の1面左上に参院選の特集コラムがあり、「くすぶる不安 『未来に』に責任を」と題した原真人の記事が載っている。この選挙で消費増税をキャンペーンするマスコミの総意がここに表出されていて、こう書いている。「もし財政を消費増税だけで安定させるなら税率20%以上が必要と専門家たちは主張する。現実は、安倍政権が2回延期した税率10%への増税をこの10月、4年遅れでようやく実施しようという段階だ。野党はこれにさえ反対している。さらに、安倍晋三首相は根拠もなく、『今後10年間くらいは上げる必要はない』と言い切る。未来に目を背ける政治姿勢と言わざるをえない。(略)参院選で繰り広げられている与野党の論戦は『未来への責任』を果たしているとは思えない。政治の言葉が今の自分に心地よく響いたとしても『未来の自分』に対してどうか」。と、このように述べ、もっと消費増税に積極的になれと与野党を扇動し、消費増税を嫌がる国民を叩いてている。消費税を20%以上に上げ、それを受け入れて耐えることが、未来に責任ある態度であり、正しい選択だと言っている。 
 
こうして、マスコミが消費増税賛成を強く主張し、上から説教して世論に影響を与える攻勢に出たため、普通なら与党側に逆風になる消費税が逆風にならず、安倍晋三に余裕を与える状況となった。消費税は野党を有利にする争点ではなくなった。原真人の話には渾身の怒りを覚える。なぜ、低所得者が消費増税を受け入れ、さらに生活を切り詰めることが未来への責任を果たすことになるのか。消費増税すれば、当然、消費にブレーキがかかって景気が冷える。経済活動が不活発になり、中小企業は投資を控え、消費者は生活防衛で節約に励むようになる。GDPの6割を占める個人消費が落ち込み、民間経済がシュリンク萎縮し、所得税と法人税が伸び悩む。そうなると、政府は国債を増発しなければいけなくなる。負のスパイラルとなる。これは、消費税を5%に上げて消費不況になり、日本経済の失われた10年とか20年とかが喋々されたときからずっと言われてきたことだ。消費税を5%から8%に上げて景気悪化し、インフレ目標2%が失敗したときも、本田悦朗や浜田宏一から言われたことだ。
 
8%に引き上げた後遺症は今も続いている。不景気が続き、家計消費が減り、賃金が切り下げられている。原真人の消費増税論は、まさに亡国の経済論であり、われわれが25年間失敗してきたことをさらに繰り返し、国民生活を窮乏化に追い込む主張ではないか。年金と消費税が争点になり、すわ野党有利かと楽観的な気分になったが、それも束の間、全てをマスコミがぶち壊してしまった。年金と消費税をセットにする形で、人口減だから年金給付が減るのはやむを得ないことだとマスコミが言い、2千万円を貯めるのは自助で当然だと与党側を援護している。財源確保のために消費増税は当然だと言い、10%増税程度では足らないと言って与党側を応援している。これほどマスコミが社会保障の削減を当然視し、税負担増を当然視して、国民に覚悟を迫るエバンジェリズム福音伝道をしたら、それに反対する野党に票が入らないのは当然ではないか。日本の選挙もずいぶん様変わりした。消費税が争点になって、野党に追い風が吹かない選挙になった。マスコミが完全に制圧する世界になった
 
本当に信じられないことだが、公明党の人間が、テレビの政党討論会の席で、年金だけで老後を暮らせると考えるのが間違いだなどと言っている。何かの間違いではないかと呆然とする。マスコミの調査では、高齢者の50%が年金だけの収入で生活していて、そういう現実の実態があるのに、年金だけ暮らそうというのは甘えた考えだと叱責し、まるで国に寄生して生きている怠け者のように言っている。これが「福祉の党」の社会保障論か。その公明党の言い分を、NHKなどマスコミが嬉しそうに横目で眺めている。本音を代弁してくれてありがとうと。マスコミも、官僚も、公明党も、すっかり冷酷なネオリベ新自由主義になった。20年前の竹中平蔵と同じネオリベ脳になった。今回の選挙は、社会保障は自助を第一にするという社会保障概念の転換が提起され、それが国民に通告された政治機会だ。この主張は、従来はネオリベ論者がプライムニュースで言う極論だった。今や、それが国民的コンセンサスになり、若い世代は必死になって2千万円を貯めようとして人生計画を変更している。昨夜(11日)の報ステでは、35歳の現役世代の夫婦が、子どもを持つことを諦める決断をしていた。
 
溜息が出る。憲法25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあり、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定されている。社会保障とは何だろう。言葉の定義をネットで調べると、次のようにある。「病気・けが・出産・障害・死亡・老化・失業などの生活上の問題について貧困を予防し、貧困者を救い、生活を安定させるために国家または社会が所得移転によって所得を保障し、医療や介護などの社会的サービスを給付する制度を指す」。その社会保障を、自助すなわち自己責任でカバーせよと政府・与党・マスコミは堂々と垂れていて、選挙討論会の公明党の臆面もない発言はその端的な表れだ。だが、それは、社会保障の理念の否定であり、論理矛盾そのものではないか。このことは、NHKの『ワーキングプア」(Ⅰ-Ⅲ)が問うた本質的な問題だった。06年から07年に放送された傑作。昨夜(11日)の報ステで紹介された35歳の夫婦と75歳の高齢女性の事例は、まさに12年前にNHKの『ワーキングプア』の内容と同じである。
あのとき、番組を見た多くの者は感動し、この国の貧困の地獄に憤り、小泉構造改革の政策を糾弾した。その覚醒とエネルギーが国民的に広がり、民主党による政権交代にまで繋がった12年経ち、NHKも公明党も、ワーキングプアの現実を自己責任として認め、2千万円貯める能力のない者が悪いという視線と結論になっている。国を頼るなと言い、どんどん社会保障を削るぞという意欲を漲らせている。