ヒトラーが政権を握ってすぐに「国会議事堂焼打ち事件」が起こり、ヒトラーはそれを共産党が起こしたものと断定して、第2党であった共産党に大弾圧を加え、独裁体制を確立しました。
ヒトラーにとってあまりにも都合の良いこの「国会議事堂焼打ち事件」は、共産党が起こしたものではないという見方は当時からありました。
86年前の事件ですが、AFPが新しい証拠が発見されたと報じましたので紹介します。
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独国会議事堂火災事件、共産党員の放火説に疑い投げ掛ける証言発見
AFP 2019年7月28日 16:49
(発信地:ベルリン/ドイツ)
【7月27日 AFP】1933年にドイツ国会議事堂で起きた火災をめぐり、ドイツ人による60年前の証言が新たに発見された。ドイツメディアが26日、報じた。オランダ共産党員で労働組合員のマリヌス・バン・デル・ルッベ(Marinus van der Lubbe)が放火犯とする、ナチス政権時代からの主張に対して、新たな疑いを投げ掛けるものだという。
威容を誇る石造りの建築物である独国会議事堂(Reichstag)はナチス政権下の1933年2月27日、火災によって焼け落ちた。アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)は、この火災が共産党の策謀だと主張し、弾圧により自身の影響力を強化した。
ファン・デア・ルッベは、ナチスの裁判所で放火および反逆罪で有罪判決が言い渡され、1934年に斬首刑に処された。だがルッベの事案は、依然として議論の的となり続ける。
一部の歴史家は、ドイツ人がナチスに対して蜂起するよう扇動するため、単独で火を付けたことをルッベが認めたと主張する一方、弾圧を正当化するためにナチス自身が火を付け、ルッベに罪を着せたとする歴史家もいる。
ドイツの新聞社グループ「RND」は26日、元ナチス武装組織の隊員によって記された、1955年にさかのぼる宣誓供述書を公開。この文書は、独ハノーバー(Hanover)の裁判所のアーカイブで発見されたもので、同裁判所もこの文書を本物だと認めている。
ナチス武装組織の元隊員で1962年に死去したハンス・マルティン・レニングス(Hans-Martin Lennings)氏の証言によると、同氏がルッベを診療所から国会議事堂へと連れ出したところ、到着した際に何かが燃えている奇妙な臭いに気付いたという。
独DPA通信は、同氏が戦友であるかのように、ルッベの逮捕に対して抗議していたと説明。証言の一部を引用し、「ファン・デア・ルッベを送り届けた時点で、国会議事堂ではすでに火が付いていたとに気付いたのだから、ファン・デア・ルッベが放火犯であるはずがないと確信している」と主張したという。
国会議事堂はその後、大規模な修復作業が行われ、1999年にガラス張りのドームを持つ統一ドイツの連邦議会議事堂として生まれ変わった。