2019年7月16日火曜日

戦う! 東京新聞 望月記者(前・後編)

 伊藤詩織さんが元TBS記者の山口敬之氏からレイプ被害を受けたとされる事件は、所轄の署員が同氏逮捕のために成田空港に配備されたところに、当時の警視庁 田中格・刑事部長から逮捕中止の指示が入り、結局不起訴になりました。
 この極めて異例の成り行きの背後には官邸の関与があったとしか考えられないのですが、官邸の意向を忖度する日本のメディアは伊藤さんが記者会見を開いたにもかかわらず、殆どこの事件を報じませんでした。
 
 伊藤さんが起こした民事訴訟の第1回の口頭弁論が7月8日に行われましたが、朝日新聞などは山口氏の名前は出さずに元TBS社員・男性と記しました。
 他方 このレイプ事件については、NYタイムズ、英BBC、仏フィガロやルモンド、伊コリエーレ・デッラ・セーラ、スウェーデンダーゲンス・ニュヘテルなど海外メディアは積極的に報じてきました。
 
 東京新聞の望月衣塑子記者は、伊藤詩織さんへのインタビューや取材をしたことで、「事件を告発している彼女の勇気を見ているだけでいいのか」と思い立ち、2017年6月以降、菅義偉内閣官房長官の記者会見に出席して質問を行うようになりました。しかしそこで起きたことは 菅氏と司会者の官邸付官僚による陰湿ないじめで、望月記者には会見の最後に1問に限定して質問が許されるという驚くべき差別でした
 これについても日本のメディアは決して報じず、日本独自の記者クラブ制度によって記者団と官邸が癒着する中で放置されたままになっています。
 先に官邸記者団が 菅氏を「『令和』おじさん」と持ち上げようとしたのは笑止ですが、それこそは記者クラブと官邸の歪んだ関係を象徴するものでした。
 
 安倍政権の悪辣さは言うまでもないことではあるにしても、いち早く戦前の「お上」に従属する姿勢に回帰したメディアは糾弾されるべきです。
 業を煮やしたニューヨークタイムズ5日付で「戦う 東京新聞 望月記者」(前・後編)を載せました。ブログ「星の金貨 new」に日本語訳が載りましたので紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
戦う!東京新聞 望月記者 《前編》
星の金貨 new 2019年7月 日
質問をどんどんぶつけ、事実を浮かび上がらせていく望月衣塑子記者、日本では彼女は貴重な存在
報道の自由が危ぶまれる日本、望月記者の徹底して質問を続ける姿勢は高く評価されるべきである
モトコ・リッチ / ニューヨークタイムズ 2019年7月5日
 
首都圏最大の地方新聞の望月衣塑子(いこ)記者は、ノートパソコン、本、メモを収めたワインレッドの車輪付きのスーツケースを引いて政府の記者会見場に入って行きました。
 彼女は背を向けて座りました。
そして他の社の新聞記者たちがお行儀良く質問をした後、飛びかかるように質問を発しました。
日本政府の担当者たちはぐずぐず意味不明の話をしたり、取るに足らない細部について話をして聞く者をウンザリさせますが、望月記者はひるまず答えを要求します。
 政府関係者は一様に彼女の質問が長すぎると批判し、ひどい時には完全に無視します。
菅内閣官房長官は北朝鮮について質問する望月記者に対し
「私はあなたの発問に答える義務はない。」
と言い放ち、演壇から飛び降りてつかつかと歩き去っていきました。
 
43歳の望月記者はまだ大きな政治的なスキャンダルを暴いたり、実業界を揺るがすような事実を暴いたりといったことはしていませんが、鋭く追及する質問を数多く行っています。
その姿勢が望月記者を日本の報道の自由を守る民衆の英雄のような存在にしています。
日本の大手メディアの記者たちの多くは、真理の探求者というよりは単なる速記者です。
しかし望月記者がノーという返事を受け入れることはなく、政治家や官僚を繰り返しイライラさせながら事実について問いただすことをやめません。
望月記者は自分の使命について
権力を持つ人間たちがどのように行動しているのかを実際に監視する」ことだと語り、 「政府というものは常に国民の目から事実を隠そうとするものなのです。」とつけ加えました。
 
質問を繰り返して事実をつきとめる、このような説明はいかなる新聞記者であっても最も基本的な当たり前のことのように聞こえます。
(質問を繰り返し事実をつきとめるという定義は)私たちの中では「だから何?」というほど当然の事です。」表現の自由に関する国連特別報告者であり、カリフォルニア大学アーバイン校医学部のデイヴィッド・ケイ教授がこう語りました。
ケイ教授は日本の報道機関の独立が保たれているかどうか、そのことに懸念を表明しています。
報道の自由が危ぶまれる状況にある日本において、望月記者の徹底して質問を続ける姿勢は「非常に価値があると考えられます。」
ケイ教授がこう語りました。
 少なくとも迎合的に過ぎる日本の報道機関の姿勢に従うことを拒否することはできるのだということを、望月記者は身をもって証明しているのです。
 
望月記者は日本政府主催の記者会見に出席できる首都圏担当の取材記者であるという点で珍しい存在ですが、男性支配が続く日本の政治の世界で発言力がひときわ高い女性としても際立っています。
「彼女はこうした男性社会のなあなあの関係を攻撃しているのです。」
 東京大学で社会科学・メディア研究を専攻する林香織教授がこう語りました。
 望月記者の姿勢は「記者会見場で日本のジャーナリストはどう振る舞うべきかという暗黙の了解に反しているのです。」
 
日本は戦後アメリカ軍の占領下で起草された憲法の条文に報道の自由が明記されている近代的民主主義国家であり、ジャーナリストが「国民の敵」と非難されるような場所ではありません。
しかし現在の日本政府は時に特定のジャーナリストの記者会見場への入場を拒否したり、政治家と報道機関の経営陣との親密な関係を利用して記者たちの行動に制約を加えるなど、まるで独裁政権のような方針の下で行動しています。
日本の報道界で望月記者の存在を一躍有名にした舞台は政府の記者会見場ですが、ここには内閣府のいわゆる日本記者クラブのメンバーが出席しています。
 記者会見の質問に際しては記者クラブのメンバーが優先され、ときには質問内容を日本政府の役人の検閲が入ります。
 (望月記者の雇用主である東京新聞は記者クラブのメンバーです。東京新聞の記者であるために彼女は参加を許されています。)
こうした記者クラブは地方の警察署のような小さな組織から首相官邸に至るまで個別に存在し、会員ではないジャーナリストが記者会見に参加することすら妨げたり、政府機関からもたらされる情報を厳しく管理しています
具体的には今年5月に東京郊外で発生した無差別大量殺人事件では、地元の警察機関は記者クラブのメンバーではないジャーナリストが事件の説明会場に入ることを許可せず、事件についての基本的な事実さえ彼らに明らかにすることを拒否したのです。
+ - + - + - + - + - + - + - +
こういう記事がいつか掲載されないかな、と願っていたところ、ニューヨークタイムズに掲載されました。
執筆したのは福島第一原発事故について精力的な報道を行ったマーティン・ファクラー氏の後任のモトコ・リッチさん(女性)です。
 
かつて翻訳したガーディアンの【 危機の時代のジャーナリズム 】
 https://kobajun.biz/?p=32830 / https://kobajun.biz/?p=33171 )にこんな一節がありました。
ジャーナリズムの本質は、市民一人一人が抱く疑問の答えを一緒に探し続けること。権力者の代弁者や応援団であることはジャーナリズムの本質に悖(もと)る行為
「『これまでの秩序と態勢を崩壊させる』転換点に立つわたしたちには、ありのままの事実をありのままに伝える報道が必要」
「変化の時代に必要なのは、市民目線でものごとを考えるメディア、そして報道」
まさに望月記者の姿勢そのものといった感じがします。
 
そういえば【 危機の時代のジャーナリズム 】を執筆したのもガーディアンの主筆、女性のキャサリン・ヴァイナーさんでした。
幸いなことに望月記者にはその報道姿勢を応援する人々がいて、日本の民主主義がまだ死んでいないことにホッとする思いですが、現政権を見る限りホッとばかりしていられません。
私たちが生きているのはその民主主義を実現させるために数え切れないほどの人々が悲劇に見舞われ、血を流し、苦しい思いをした挙句に実現した社会です。
決して安易に崩壊させて良いものであるはずがありません。
 
 
戦う!東京新聞 望月記者 《後編》
星の金貨 new 2019年7月 日
日本記者クラブの制度を当然と考える記者の多くが、政府官僚と対決することを避けている
まるで一般常識を語るようにして望月氏の徹底追及姿勢を批判する権力の取り巻きジャーナリスト
モトコ・リッチ / ニューヨークタイムズ 2019年7月5日
 
日本記者クラブの制度を当然と考える記者の多くが、政府官僚と対決することを避ける傾向にあるという批判が高まっています。
彼らが言い訳として構えるのが記者クラブから追放されたくない、意図的なリークも含め政府高官から時折漏れ聞こえてくる機密情報を特権的に手に入らなくなるというものです。
 
この春それを象徴する出来事がありました。
 一人の男性記者が記者クラブの特権を使って引退を決めた野球界のスターであるイチロー選手に日本政府が国民栄誉賞を与えるつもりがあるのかどうか菅官房長官に直接尋ねたのです。
結果的に日本記者クラブの制度は多くのジャーナリストの調査報道への意欲を奪い、日本国民が自分達の政府について知るべきことが伝えられないままになっていると、ジャーナリズムに関わる人々が指摘しています。
 
NHKの元プロデューサーで現在は東京の武蔵大学社会学部教授の永田浩三氏は、
 「現在日本ではたくさんの不透明な政治家がらみのスキャンダルが発生していますが、質問することが本当に困難な立場に追い込まれています。」
 「日本のメディアは今、するべきことができない重度の機能不全に陥っているのです。」
望月記者は記者クラブの因習を厳しくはねつけたため、参議院選挙の対応に追われる日本政府はこの問題を一時棚上げにしました。
 
昨年12月、望月記者は地元沖縄の有力者がこぞって駐留するアメリカ軍の規模の縮小を求めているにもかかわらず、日本政府が大規模な米軍基地建設事業を進めていることについて菅官房長官に質問しましたが、彼女が質問している最中に、内閣官房室は記者クラブに対し彼女が『事実を誤認している』と非難するメモを突きつけました
メモにはそれでも望月氏が今後行われる記者会見に出席することを妨げはしないと書かれていましたが、彼女を擁護する立場の人々は彼女を黙らせようとする陰険な企みであると疑っていました。
望月記者が勤める東京新聞は今年2月異例の全ページにわたる社説を掲載し、その中で権力を握る側がジャーナリストの質問を妨げたり規制することはできないと宣言しました。」
 望月氏は東京新聞のニュースルームで、「現政権は常に事実を国民の目から隠そうとしています」と語り、次のように続けました。
 「だからこそ私たちが突き止めていかなければならないのです。
 
今年3月には首相官邸前に約600人ほどが集まって「真実のために戦おう」「記者への個人攻撃はやめろ」などと抗議の声をあげ、望月記者への支持を表明しました。
 今年6月には望月記者を題材にとったジャーナリスト者を主人公にした映画が公開され、さらに近々彼女を主題にしたドキュメンタリーも公開される予定になっています。
 
望月記者は子供の頃は女優になりたいと願っていましたが、政治学の学位を取得して大学を卒業した後、全国紙数社の就職試験を受けましたが、採用になりませんでした。
しかし東京新聞に新人記者として入社し、地方局の警察担当としてキャリアをスタートさせました。
 彼女はたちまち頭角を現し、東京地方検事局を担当する重要なポストにつくことになりました。
取材のために望月記者は検事局の局長の自宅の外に駐車した黒いタクシーの中で眠り、その間タクシーメーターは回り続けていましたが相手が朝の散歩に出てくるで辛抱強く待ち続けました。
しかしタクシー会社からの請求書を見た新聞社は、彼女の持ち場を変えることにしました。
 結局望月記者は首都圏担当記者として戻ることになりました。
 
2人の子供を出産した後、望月記者は経済担当デスクに移動し、そこで日本企業が軍用機器を輸出している件について何本かの暴露記事を書きました。
した望月記者が全国の人々から初めて注目されることになったのは2年前のことです。
菅官房長官の記者会見で、安倍首相が影響力を行使した疑いがある利益誘導スキャンダルに関係する山ほどの文書について詳細な質問を繰り返し、事実の存在を国民の眼前に描き出してみせたのです。
結局その事実を証明する文書を実際に入手したのは他の新聞社の記者であったため、望月記者に対して次のような批判をする記者クラブのメンバーが現れました。
望月記者は結果を出すことに失敗し、やったことは芝居じみたものだった、と。
しかしこうした発言をした記者たちは、自分たちが何者であるか一切明らかにしていません。
まるで一般常識を語るようにして望月氏の取材姿勢を批判するジャーナリストもいます。
「望月記者にはもっと自制してほしいというのが私たちの正直な気持ちです。」
 時事通信社を退任した記者、田崎史郎氏がこう語りました。
 「同じ質問を延々と繰り返さないことが大切です。」
望月記者が所属する東京新聞の編集長である臼田信之氏は、時折彼女のことが経営上の問題になる場合があると語りました。
 「望月記者はしばしば上司が示した方針に従おうとしない場合があります。しかし彼女が明確な意見を持っていることは良いことであり、そしてそれは記者として大切なことです。」
「今日周りを見渡すとおとなしい記者ばかりが目立ちます。望月記者については時々うるさいと感じることがありますが、ほとんどの場合それは良い意味でのうるさいなのです。」
+ - + - + - + - + - + - + - +
この後編に登場する政権与党、つまり権力を持つ側に都合の良い記者などというものは、隠蔽や改ざんを自分たちが擁護することによってどれだけ多くの力のない人々が尚一層困難な状況に追い込まれてしまうか、そんなことは考えもしないのだろうな、と思います。
その代わり我が身可愛さばかりが先に立つ。
しかも相手も我が身可愛さでは誰にも引けを取らない人物。
『さもしい』という言葉が久しぶりに脳裏をよぎりました。
しかしそうした事実に気がついている私たちの発言や指摘が無力であっては、日本の劣化は悪化の一途をたどります。
 
300万人もの日本人を殺した太平洋戦争や軍国主義がこの国の美しさを守るために貢献したなどというのは、意見や見解と呼ぶのも愚かしいほどのものですが、それを平気で主張する人間たちをこのまま権力の座に置き続ければ、80年前の悪夢が再び現実になる危険性があります。