安倍首相の15日の記者会見への批判は枚挙に暇がないという風です。
安保法制懇の報告書の提出日に間髪を入れずに首相会見をするように、わざわざ入念に日程を調整した意味はよく分かりませんが、早々に法制懇の報告書を出すとそれが批判の的になるので、それをベースにした首相の方針が全く色あせてしまうからということだったのかも知れません。
しかし首相自身が入念に指示して作成させた2枚のイラストにしてからが、その的外れぶりが批判されているくらいなので、幸か不幸か報告書自体には批判が及ぶ暇もありません。
社会学者の五十嵐仁氏がブログ「転成仁語」(23日)で、首相の記者会見の内容を批判しているので紹介します(24日にも続編を発表していますが、そちらは割愛します)。
時事通信も、共産党の志位委員長が、安倍首相が米艦防護などの「現実にはあり得ない想定をしている」のを厳しく批判したことを報じています。
元自民党幹事長の野中広務氏は、TBSの番組で、「集団的自衛権で攻撃したら、(日本が)攻撃される。戦後70年近く敵の攻撃を受けない、犠牲を出さないでやってきた。憲法に簡単に触れてもらいたくない」と、安倍首相の姿勢を批判しました。
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安倍首相が記者会見で示した日本政府の無責任さと米国依存
五十嵐仁 転成仁語 2014年5月23日
「なんか変だな?」
5月15日の集団的自衛権の行使容認を打ち出した安保法制懇の報告を受けておこなわれた安倍首相の記者会見を見て、大きな違和感を覚えました。
それは紛争地域からの邦人救出についての説明に関するものです。安倍首相は次のように述べました。
「具体的な例で、ご説明をしたいと思います。いまや、海外に住む日本人は、150万人。さらに年間1,800万人の日本人が海外に出かけていく時代です。その場所で、突然紛争が起こることも考えられます。そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助を輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない。このような場合でも、日本人自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っている米国の船を日本の自衛隊は守ることができない。これが憲法の現在の解釈です。」
また、冒頭発言の後の記者の質問にも、次のように答えました。
「今、私が説明をしたように、この事態でも私たちはこの船に乗っている、もしかしたら子供たちを、お母さんや多くの日本人を助けることはできないのです。守ることもできない。その能力があるのに、それで本当にいいのかということを私は問うているわけであります。」
このように説明した安倍首相の後ろには、お母さんと思われる女性、子供や赤ちゃんの絵が描かれたパネルが映っていました。日本列島の北西方向からの避難ですから、恐らく朝鮮半島の紛争に際しての邦人救助を想定しているのでしょう。
私の違和感はこの説明と図にありました。「そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助を輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない」と安倍首相は言っていますが、①「日本人」をなぜ「米国が救助」するのか、②その「日本人」がなぜ女性や子供なのか、③「日本人自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っている米国の船を日本の自衛隊は守ることができない」というのはどういうことなのか、などの点です。
① について言えば、朝鮮半島有事の可能性が生じた場合、韓国に在住する日本人の避難と救助の責任は第1義的に日本政府にあり、必要であれば韓国政府に協力を求めることになるでしょう。攻撃される可能性が生ずる以前に、大半の邦人は日本に避難しているはずです。
攻撃される可能性がある戦時下のようなときに米国の船で日本人が避難するようなことはあり得ないだけでなく、あってはなりません。それ以前に避難が終わっていなければならないからです。
しかし、安倍首相がそのような事例を出してきたために、朝鮮有事に際して邦人救助の責任を日本政府が放棄してしまうのではないかとの疑念を生むことになりました。そのようなことを避けるためには韓国政府との協力・協調が不可欠であり、集団的自衛権を使えるようにするよりも首脳会談さえ開けない今日のような状況を打開することが先決でしょう。
② の事例は、このことをさらに明瞭に示しています。もし、紛争が生ずる可能性が高まった場合、真っ先に避難を勧告されて退去するのは、女性、子供や幼児、高齢者だということは誰でも知っている常識だからです。
しかし、安倍首相はこのような常識を持ち合わせていないようです。攻撃される可能性が生ずるような危機的な状況になるまで女性や子供たちの救助を遅らせることを想定しなければ、あのような図はかけません。
何らかの手違いによってそうなってしまうことはあるかもしれませんが、それを最初から想定するなどということは断じて許されません。しかも、その遅れた救助を政府自身が行うのではなく「米国の船」に任せようというわけですから、度し難い米国依存であり無責任極まりない対応だと言うべきでしょう。
③ そして、このようなとき、「日本人自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っている米国の船を日本の自衛隊は守ることができない」と語っています。「日本人自身」に対する攻撃と「日本人が乗っている米国の船」に対する攻撃を、安倍さんはどのように区別するのでしょうか。
日本人が乗っている船への攻撃は、すなわち日本人自身に対する攻撃を意味すると理解するのが普通ではありませんか。そして、日本人自身が攻撃を受けていれば、「日本の自衛隊は守ることが」できるということは、安倍さんも認めている通りです。
どうして、集団的自衛権の行使を容認しなければならないのか、まったく理解できません。個別的自衛権の範囲で、十分対応可能な事例だというべきではありませんか。
記者会見に際して、安倍首相は集団的自衛権の行使容認に反対が多いことを自覚していたように見えます。国民の理解が足りないと考えていたのでしょう。
「何とか理解してもらいたい」と考え抜いたあげく、朝鮮半島有事に際しての邦人救出の事例を思いついたにちがいありません。しかも、お母さんや子供の絵をパネルに書いて示した方が、分かりやすいだけでなく国民の心情にも訴えることができるんじゃないかと。
しかし、想定自体が非現実的であったために、思わぬ効果が生じてしまいました。朝鮮半島有事に際して邦人救出に当たるべき日本政府の無責任さが、はっきりと図示されたからです。
このような緊急事態に際してもなお、自らの責任を放棄して米国に依存することしか考えていない日本政府の情けない姿を明示したのが、あのパネルの絵にほかなりませんでした。5月15日の安倍首相の記者会見は、「策士策に溺れる」姿そのものだったということになります。
政権の手法「ひきょう千万」=共産・志位氏
時事通信 2014年5月24日
共産党の志位和夫委員長は24日、東京都内で講演し、安倍政権が集団的自衛権行使容認に向け米艦防護などの個別事例を挙げていることについて、「現実にはあり得ない想定を、さもあるように持ち出し、国民を脅して集団的自衛権を押し付けようとするのは、ひきょう千万なやり方だ」と厳しく批判した。
志位氏は、事例の一つの「邦人輸送中の米艦防護」について、「緊急時の邦人輸送は日本政府の責任で行うものだ。朝鮮半島有事の場合、周辺海域には日本の民間船や海上保安庁、海上自衛隊の船の方が米艦よりはるかに多く、米軍に委ねるケースは非現実的だ」と指摘した。
「憲法に簡単に触れてもらいたくない」野中広務氏
朝日新聞 2014年5月23日
■野中広務・元自民党幹事長
今ほど、私の人生を通じて憲法が問題になった時期はない。それだけに憲法は十二分に検討されないといけない。憲法は解釈で決定すべきものではない。総理は自分の都合のいい答えを出す人を有識者として、懇談会を設けて答申を得た。総理が記者会見で説明した二つの図面は矛盾に満ちている。個別的自衛権でいける。安倍さんは「みなさんの子供や親を守らないといけない」「国民の命と暮らしを守る」と情緒的にいったが、攻撃したら攻撃される。過去の戦争は多くの犠牲者を出して負けた。来年は戦後70年。敵の攻撃を受けない、犠牲を出さないでやってきた。憲法に簡単に触れてもらいたくない。
政権が、中国や韓国、北朝鮮の近くて遠い国との関係改善の先頭に立たないと日本の平和はない。想像以上に人口の減少、特に地方の減少が深刻になっている。そのときに集団的自衛権の行使容認で自衛隊という若い人たちが戦闘地に出て行って死ぬ。若い人たちが死ぬ。自衛隊志願者がいなくなる。そうなったら徴兵制が出てくる。戦争に参加したわずかな生き残りの私たちは、大変な思いをした。それ以上の犠牲者が出てくる可能性を考えてもらわないと困る。(TBSの番組収録で)