安保法制懇は報告書のなかで、「憲法論ゆえに、国民の安全が害される」、「個別的自衛権だけで国民の生存を守り国家の存立を全うすることができるのか論証されてこなかった」などと述べ立て、安倍首相もそれを得意気に紹介しました。
戦後約70年に及ぶのに、まだ一度も日本の存立が危うくなるという経験はありませんでした。日本は戦争で外国人を殺すことも殺されることもなく、平和裏に発展してきました。それが何よりの証明です。安倍内閣が登場してにわかに周辺国との関係が悪化し、「狼が来るぞ!」という脅しが改憲勢力側から叫ばれるようになっただけです。
それでは集団的自衛権を発動して来た米国の周りには、どれだけの被害と憎悪の連鎖を作り出したでしょうか。その「論証」はすぐにできます。
ベトナム戦争では、「兵器の実験場」といわれたほど米軍はナパーム弾など様々な爆弾を投じました。また枯葉剤を徹底的に散布しました。いまも米軍が撒いた枯葉剤の影響でベトナムでは沢山の奇形児が生まれているといわれます。一緒に参加した韓国軍がそこで農民たち、とりわけ婦女子たちにどれだけ残虐なことを行ったのかも論証されています(⇒ 「ライダイハン」に詳しい)。
ベトナム戦争では、「兵器の実験場」といわれたほど米軍はナパーム弾など様々な爆弾を投じました。また枯葉剤を徹底的に散布しました。いまも米軍が撒いた枯葉剤の影響でベトナムでは沢山の奇形児が生まれているといわれます。一緒に参加した韓国軍がそこで農民たち、とりわけ婦女子たちにどれだけ残虐なことを行ったのかも論証されています(⇒ 「ライダイハン」に詳しい)。
イラクでは、上下水道施設を徹底的に破壊した後に次亜塩素酸ソーダなどの薬剤を禁輸したので、幼児を中心に100万人を超えるといわれる戦後の死者を出しました。そこで大量に用いた劣化ウラン弾は住民に多大な放射能被害を出しましたが、それはアメリカの帰還兵にも及んでいます(米国は極秘事項にしているということです)。
アメリカには現在、イラクとアフガンでの戦争から帰還した兵士が200万人以上もいて、そのうちの60万人が、戦地で経験した戦闘や破壊の恐怖から心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつ病などを患い、1日に22人が自殺しています。
(関係記事)
4月1日「米国の悲劇 イラン・アフガン帰還兵が1日22人自殺」
それが安倍首相や安保法制懇が目指したい国なのでしょうか。
16日には多くの新聞が安倍首相が説明した「基本的方向性」を批判する詳細な記事を載せました。
ここではしんぶん赤旗の記事を紹介します
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非現実的事例で「殺し殺される国」へ 歯止め外し 9条なきものに
安保法制懇報告にみる安倍首相の本音
しんぶん赤旗 2014年5月16日
安倍晋三首相の肝いりで解釈改憲論者ばかりを集めた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇=座長・柳井俊二元駐米大使)。海外での武力行使を可能にするという結論ありきで、歴代政権が禁じてきた集団的自衛権の行使や、国連の集団安全保障に名を借りた多国籍軍の参加も憲法解釈の変更で可能とした報告書を提出しました。そこに表れた安倍首相の本音を検証します。 (政治部安保・外交班)
「憲法で国民守れない」というが―立憲主義 根本から否定
「安全保障環境の大きな変化にかかわらず、その憲法論の下で安全保障政策が硬直するようでは、憲法論のゆえに国民の安全が害されることになりかねない」―。報告書は冒頭、こう述べています。政府の政策・行為を縛るはずの憲法を邪魔者扱いする暴論です。
ここで邪魔者扱いしている「憲法論」とは、歴代政権が「海外派兵はしない」「集団的自衛権の行使や多国籍軍参加を認めない」といった、「殺し、殺される」国を許さない、一定の“歯止め”になってきた憲法解釈です。(別項)
安保法制懇は、「安全保障環境の変化」を口実にこれを切って捨て、集団的自衛権の行使と国連の集団安全保障の名による多国籍軍参加の両面で海外での武力行使に道を開こうとしています。
しかも、国民が最終的に決める憲法改正手続きではなく、「政府が…新しい解釈を明らかにすることによって可能」などとしています。こんな考えがまかり通れば、政権が変わるたびに解釈が変わり、国の最高法規としての規範性が揺らぐことになります。解釈の恣意(しい)的な変更は「国民が政府を縛る」という立憲主義にも反します。
安保法制懇の発想の大本には、憲法軽視の姿勢があります。
座長代理として報告書を取りまとめた北岡伸一氏は、「憲法は最高法規ではなく、上に道徳律や自然権がある。憲法だけでは何もできず…その意味で憲法学は不要だとの議論もある」(「東京」4月21日付)とまで述べています。また、首相自身、「最高責任者は私だ。選挙で国民から審判を受けている」(2月12日、衆院予算委)と、立憲主義を根本から否定しています。
「時代が変わった」などといって時の政府の解釈しだいで集団的自衛権の行使も多国籍軍参加も可能になるのであれば、憲法9条が禁止するものは侵略戦争以外になくなり、改憲手続きすら経ないまま9条が葬りさられることになります。
集団的自衛権 「必要最小限度」は破綻
報告書は、集団的自衛権の行使は許されないとしてきた政府解釈を「適切ではない」として変更を求めています。
そのために、1972年の政府見解などで「(自衛のための)措置は、必要最小限度の範囲にとどまるべき」としている部分をとらえ、その「必要最小限度」の中に集団的自衛権は含まれないとしてきたのは「抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした」もので「適当ではない」などと決め付けています。
しかし、政府解釈で集団的自衛権の行使が許されないとされてきたのは、72年見解が述べるように、憲法の平和原則の下で「自衛の措置を無制限に認めているとは解されない」とされたからです。「必要最小限度」にも、「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権限が根底から覆されるという急迫、不正の事態」という前提がついています。
安倍首相はかつて国会で「(必要最小限度の)『範囲にとどまる』というのは数量的な概念ではないか。とすれば論理的にはこの範囲に含まれる集団的自衛権というものがあるのではないか」と質問したことがあります(2004年1月26日、衆院予算委)。
答弁に立った秋山収内閣法制局長官(当時)は、「範囲を超える」という説明は「自衛権行使の第一の要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したこと(急迫不正の侵害)を満たしていない」ことを示すものであり、「数量的概念ではない」と指摘しました。安倍氏の質問は政府解釈に対する無理解を示すだけだったのです。法制懇報告書は、首相が論破された破綻済みの議論の繰り返しにすぎません。
発動要件をあげるが―政府次第で無制限拡大
報告書は集団的自衛権の要件(別項)をあげていますが、これらは憲法上の“歯止め”でも何でもありません。
重大なのは、どのような事態で集団的自衛権を発動するかについて、「政府が総合的に勘案しつつ、責任をもって判断」することです。「日米同盟の信頼が著しく傷つく」=つまり米国の強い要求があれば行使が可能であり、「国際秩序そのものが大きく揺らぎ得る」事態など何でも可能になります。当事者の「要請又は同意」は当たり前のことで、これがなければ侵略になります。さらに「事前、事後の国会承認」をあげていますが、与党多数あるいは翼賛国会となっている今、政府に対するチェックを国会に機能させるのはきわめて困難です。
そもそも報告書は、わざわざ、集団的自衛権を行使する自衛隊の活動に「憲法解釈上、地理的な限定を設けることは適切ではない」として、政府の政策判断で“地球の裏側”まで行ける可能性を認めています。
「安保環境の変化」いうが― 「周回遅れ」の時代認識
安保法制懇が解釈改憲の口実として挙げるのは、「安全保障環境の変化」です。
報告書は、(1)テロや大量破壊兵器、サイバー攻撃(2)中国の軍事力増強(3)日米同盟の深化(4)アジア太平洋地域の多国間安全保障協力の枠組み拡大(5)紛争対処、平和構築や復興支援(6)自衛隊の海外活動拡大―を列挙。「従来の憲法解釈では十分に対応することができない状況に立ち至っている」と結論づけています。
しかし、なぜ不十分なのか。具体的な説明は何もありません。
例えば中国の軍事力増強がしばしば口実として持ち出されますが、尖閣諸島問題は日本の施政下での問題であり、集団的自衛権とは無関係です。また、南シナ海での中国の姿勢を念頭に、「地域の平和と安定を確保するために我が国がより大きな役割を果たすことが必要になっている」としていますが、関係国は平和的な解決を求めています。むしろ9条に基づいて外交で「大きな役割」を果たすことこそ求められています。
そもそも、過去数年間で最大の「安全保障環境の変化」は、イラク・アフガニスタンでの「対テロ」戦争の破たんです。このような戦争で、米国と肩を並べて武力行使するために憲法解釈を変えることが第1次安倍政権時の最大の動機でしたが、今や「周回遅れ」の動きとなっています。
「中国脅威」論と一体で日米同盟を強化するために集団的自衛権の行使容認を求める声もありますが、4月24日の日米首脳会談でも、オバマ大統領は日中両国が「事態をエスカレートさせるのは深刻な誤り」であると述べ、対話による平和的解決を求めています。
10の行使事例示したが― 「荒唐無稽」の批判次々
「分かりやすい事例を挙げて国民の理解を得る」。安倍首相はこう繰り返し、安保法制懇に集団的自衛権行使などの具体的な事例を検討するよう指示してきました。
2008年の報告書では「公海上での米艦防護」など4類型が盛り込まれ、今回の報告書では新たに「我が国の近隣で有事が発生した際の船舶の検査、米艦への攻撃排除」など6事例が追加されました(表)。ただ、これらには「非現実的」「荒唐無稽」といった批判が相次いでいます。
例えば「我が国の近隣で有事が発生した際の船舶の検査、米艦への攻撃排除」で想定されているのは朝鮮半島有事ですが、北朝鮮は米国向けの核・弾道ミサイル開発に乏しい国家資源を集中しており、韓国への大規模侵攻ができる余裕などないというのが専門家の見方です。1994年の「朝鮮半島危機」も、米国が先に攻撃を仕掛けようとしたことで発生したものです。
イランを念頭に、ペルシャ湾の海上交通路(シーレーン)での機雷除去という事例もあります。報告書は「現行の憲法解釈では、我が国は停戦協定が正式に署名される等により機雷が『遺棄機雷』と評価されるようになるまで掃海活動に参加できない。そのような現状は改める必要がある」と指摘しています。
しかし、そもそも停戦協定発効前に機雷除去をやれば、敷設国に対する武力行使とみなされます。ほとんどの国は、そのようなリスクを負うことはありません。また、イランの現政権は欧米との対話路線をとっており、機雷を敷設するような紛争自体、想定されません。
安倍首相がこのような事例を挙げるのは、解釈改憲の「必要性」を証明するためですが、事例を挙げればあげるほど「不必要」ぶりが浮き彫りになっています。
「血の同盟」を当然視
安保法制懇の真の狙いは非現実的な事例に対処することではありません。米国が主導する海外での武力行使への全面参加を可能にすることです。
報告書はそのために、集団的自衛権の行使だけでなく、「憲法9条1項で禁じる『武力による威嚇・武力行使』は日本が当事者である場合に限定される」として、多国籍軍参加は「憲法違反ではない」としています。こうした憲法解釈を認めれば、北大西洋条約機構(NATO)諸国が集団的自衛権を行使するとして参戦したアフガニスタン戦争に加え、米英などが国連安保理決議を口実に始めたイラク戦争でも、武力行使を伴う参戦が可能になります。
首相は会見で「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加することは、これからも決してない」と述べました。しかし、軍事同盟は「血の同盟」であるとして自衛隊員が海外で「殺し、殺される」ことを当然視してきました。ここにこそ、首相の本音があります。
アフガンでは派兵国のうち29カ国で兵士3435人、07年以降だけで民間人1万7000人の命を奪い、イラクでは、派兵国中23カ国の兵士4807人、少なくとも12万~13万人の民間人が死亡しています。自民党の野田聖子総務会長でさえ、「人を殺す、人が殺されるかもしれないというリアリズムを語るべき」だと述べています。(『世界』6月号)
戦後まがりなりに保ってきた「平和国家」としてのブランドを捨て、日本を「殺し、殺される」国にしていいのか問われています。
安保法制懇 安倍晋三首相に報告書を提出した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は第1次安倍内閣の2007年に設置された当時とほぼ同じ顔触れです。メンバーは座長の柳井俊二元駐米大使、岡崎久彦元駐タイ大使ら首相の政策ブレーン、防衛省・自衛隊OB、保守系の学者ら、憲法解釈見直しに積極的な論者で占められています。
08年6月に、集団的自衛権の行使を可能にするため憲法解釈変更を求める報告書を取りまとめましたが、安倍内閣は既に退陣しており、たなざらしとなりました。
第2次安倍内閣の13年2月に再始動。北岡伸一座長代理は昨夏の段階で、「報告書は用意しろと言われれば一週間でできる」と述べており、「結論ありき」だったことを認めています。
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