第6回目は、砂川事件の跳躍上告を受けた最高裁田中耕太郎長官が、「米軍駐留は憲法9条違反」とした一審の伊達判決を覆すことを米国側に当初から約束し、審理中の情報を米国側に伝えていたことを、米国の公開文書の中から明らかにした、元山梨学院大教授の布川玲子さん(69)です。
これは最高裁が政府や米国に基本的に従属していたことを示す好例で、現在、安倍氏や高村氏が砂川事件の最高裁判決を集団的自衛権行使容認の根拠にあげていることに対して、布川氏は「論拠になるかならないか以前の問題」とあきれています。
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9条とわたし<6>
元山梨学院大教授 布川 玲子さん(69)砂川判決引用おかしい
東京新聞 2014年5月9日
集団的自衛権を行使できる根拠に、安倍晋三首相らが一九五九年十二月の砂川事件最高裁判決を持ち出したことに批判が噴出している。この判決を出した田中耕太郎最高裁長官は、審理中の情報を米国側に伝えていたことが明らかになっており、田中氏を研究している元山梨学院大教授の布川玲子さん(69)=川崎市川崎区=は「論拠になるかならないか以前」とあきれている。
当時、米軍駐留が問われた砂川事件。東京地裁の伊達秋雄裁判長が五九年三月、憲法九条違反の「戦力の保持」とし、基地内に立ち入った被告人らを無罪とする判決を出すと、検察は高裁を飛び越えて最高裁へと、異例の「跳躍上告」をした。最高裁は伊達判決を破棄し、差し戻した。
しかし約半世紀たった二〇〇八年以降、田中氏が駐日米大使らに会って審理中の砂川事件の裁判情報を伝えていたと書かれた計三通の米解禁文書が日本で紹介された。
田中氏は日本法哲学学会の初代会長だ。法哲学を専門とする布川さんにとって大先輩。だからこそ、米解禁文書で明らかになった田中氏の行動に大きなショックを受けた。「当時から言われた『政治的裁判』との批判に『法哲学者としてやましいところはない』と言っていたのに…」。それで砂川判決をめぐる日米政府と田中氏の動きを明らかにする仕事に取り組み始めた。
一三年一月に布川さんが入手した米解禁文書では、田中氏が裁判の進行の見通しを米側に細かく報告、評議方針や公判日程も伝え、結審後の評議に裁判官の「実質的な全員一致」を願っていると語ったと記述されている。
田中氏の動きを、裁判所法七五条(評議の秘密)違反で裁判官が最もしてはいけないことだと指摘する布川さん。「少数意見を封じ込める訴訟指揮も巧みだったようだ。全員一致の破棄判決は田中氏の『政治的手腕』によるところが大きい、と別の米解禁文書で功績が絶賛されている。つまり政治的判決。最高裁の権威、法や司法の権威がないがしろにされた」
布川さんは昨年十一月、共著で出した「砂川事件と田中最高裁長官-米解禁文書が明らかにした日本の司法」(日本評論社)で、田中氏の活動を告発。また元被告人らが最高裁判決を誤判として再審請求に動いている。
「砂川判決を持ち出したことは、新たに明らかになった判決の不当性や、再審請求の動きに国民の注目を集める。安倍首相の政治的強引さのカムフラージュどころか、とんだやぶ蛇となって政府・自民党に返っていくだろう」 (山本哲正)
砂川事件と集団的自衛権
1957年、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入り、7人が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反の罪で起訴された。東京地裁が59年3月、「米軍駐留は憲法9条違反」と無罪を言い渡すと、検察側は上告。最高裁大法廷は同12月、自衛権行使は可能とし、安保条約のように高度な政治問題は司法判断になじまないと指摘し、一審判決を破棄して差し戻し。後に7人全員の有罪が確定した。
判決は集団的自衛権については触れておらず、政府は60~70年代に憲法解釈を国会答弁などで積み重ね、81年に「集団的自衛権は憲法上許されない」との答弁書を閣議決定している。