2014年5月5日月曜日

米艦の防護に集団的自衛権は無関係

 「日本近くの海で米軍の艦艇が攻撃されたとき、自衛隊反撃できないようでは日米同盟は危機に陥る」というのが、安倍首相が第一次政権時代から繰り返し、「集団的自衛権の行使を認める」ための口実として用いてきた事例です。
 それが誤りであることはこれまでも度々指摘されてきましたが、東京新聞はあらためて、「その場合は個別的自衛権で対応できる」とする記事を掲げました。
 
 記事の要旨は以下のとおりです。
 まず政府は2003年の国会答弁で、日本を防衛する米艦が攻撃された場合「わが国への武力攻撃の端緒、着手と判断されることがあり得る」と述べ、日本が直接攻撃された時に反撃する個別的自衛権で対応できる可能性を認めています
 併走する日米の両艦艇に向けて飛来するミサイルが、米艦に向けられたものと事前に判別できる筈もありません。また、米艦を攻撃するほどの相手国は、日本の国土にある在日米軍基地も同時に標的にする筈です。
 それらの点からも自ずから日本の個別的自衛権の問題になります
 
 そもそも米軍の力は圧倒的であり、真正面から戦いを挑む相手が現れるとは考えられません。あり得ないことを想定するのは「思考の無駄」に等しく、「最悪の場合を考える」という理由付けも、「集団的自衛権の行使を認めるための不自然な想定という面が強すぎて、説得力に欠けます。
 
 記事は次のように結んでいます。
 「現実的でない事例を理由に、行使を認めるよう主張することには、政府の「容認ありき」の意図が感じられる。いったん認めれば、米軍を守るのが義務のようになりかねず、日本が戦争に巻き込まれることだけが現実味を帯びる
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ここがおかしい解釈改憲 米艦防護に集団的自衛権必要?
東京新聞 2014年5月4日
 安倍政権が目指す集団的自衛権の行使容認。平和憲法を尊重し、長年にわたって行使を禁じてきた解釈を、今になって変える必要はあるのか。政権が根拠として挙げた具体例の妥当性などを検証する。
 
 日本近くの海で米軍の艦艇が攻撃されたら、自衛隊は反撃できるのか  。安倍晋三首相が第一次政権時代から、集団的自衛権の行使を認める必要がある事例に挙げていた代表格だ。首相は、これまでの行使を禁じた憲法解釈では全く手出しができないと主張。米軍を見殺しにすれば日米同盟は危機に陥ると訴える。
 だが、集団的自衛権でしか対応できないと言い切る根拠はあるのか。
 
 政府は二〇〇三年の国会答弁で、日本を防衛する米艦が攻撃された場合「わが国への武力攻撃の端緒、着手と判断されることがあり得る」と説明。集団的自衛権ではなくて、日本が直接攻撃された時に反撃する個別的自衛権で対応できる可能性を認めた。自衛隊の近くで活動する米艦への攻撃は、日本への攻撃がない段階でも「自らを狙ったもの」として応戦できる場合がある、との見解も示している。
 公明党は、憲法解釈を変えずに米艦を守ることができるとの立場だ。北側一雄副代表は、米艦防護に集団的自衛権は必要ないと明言。党内からは首相の姿勢に「必要性より集団的自衛権の『看板』を大事にしているのではないか」と疑問の声が出ている。
 
 そもそも、集団的自衛権行使の必要性が生じる事例として現実的ではない。
 米軍の力は圧倒的で、真正面から戦いを挑む相手が現れる可能性は低い。米艦と偶発的に衝突することはあるかもしれないが、その場合は第三国の日本がむやみに加われば紛争をこじれさせ、逆に事態を収めることを難しくさせる。
 仮に組織的、計画的に攻撃する相手がいたとしても、米艦だけを狙うことは考えにくい。日本の国土にある在日米軍基地も同時に標的になる可能性も高く、この場合はやはり日本の個別的自衛権の問題になる。
 
 首相の有識者懇談会の北岡伸一座長代理は「安全保障は最悪の事態を考えないといけない」と強調する。しかし、現実的でない事例を理由に、行使を認めるよう主張することには、政府の「容認ありき」の意図が感じられる。いったん認めれば、米軍を守るのが義務のようになりかねず、日本が戦争に巻き込まれることだけが現実味を帯びる。(生島章弘)
 
<集団的自衛権> 
    密接な関係にある同盟国などが武力攻撃を受けた場合、自国が直接攻撃されていなくても自国への攻撃と見なして実力で阻止する権利。国連憲章51条は、自国への侵害を排除する個別的自衛権とともに主権国固有の権利として認めているが、日本の歴代政府は、その行使については、憲法9条が許容する「必要最小限度の自衛権行使」の範囲を超えると解釈し「憲法上、許されない」と禁じてきた。