2014年5月30日金曜日

上脇博之弁護士:「新憲法制定、憲法改正、解釈改憲」の紹介

 弁護士の上脇博之氏が5月29日付ブログ「ある憲法研究者の情報発信の場」に、「新憲法制定、憲法改正、解釈改憲」を発表しました。
 
 はじめに安倍政権の憲法の解釈改憲をめぐる一連の動きを挙げて、それを批判したご自身の記事を紹介しています(各タイトルをクリックすれば原記事にジャンプ)。
 
 そしてまずは安倍首相が目指す「解釈改憲」は憲法上許されないと一蹴しました。
 
 つぎに、既存の憲法を前提としている以上、憲法改正には理論的な限界があり、日本国憲法の基本原理国民主権主義、非軍事平和主義、基本的人権尊重主義 を変更することは許されていないのでの限界を超える憲法改正案の原案を国会に提出することや、国会がそのような憲法改正案を国民に発議することも憲法上許されないとしています。
 
 また集団的自衛権(他衛権)の行使は、一切の戦争を放棄した日本国憲法の平和主義とは正反対のもので許されないとし、そもそもアメリカは、自国の戦争に日本を軍事的に協力させるために、日本に集団的自衛権(他衛権)行使を「合憲」にするよう要求してきたのであり、仮に合憲となれば、アメリカの要請を断って日本が集団的自衛権(他衛権)の行使をしないことは、現実には皆無に近くなると述べています。
 
 以下に紹介します。
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  (「解釈改憲」は憲法制定に相当するから許されるわけがない
上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場 2014年5月29日
 
はじめに
(1)集団的自衛権行使や多国籍軍参加により日本(の自衛隊)がそれらの戦争に参戦することについて、安倍晋三首相は、従来違憲であると解釈していた政府解釈を「合憲」に変更しようと目論んでいます。
このように憲法改正手続きさえ経ずに改憲の目的を達成しようという「解釈改憲」が、憲法上許されないことは、自民党が「新憲法草案」(2005年)や「日本国憲法改正草案」(2012年)を作成したことで証明されている、と指摘しました。

   安倍「解釈改憲」が憲法上許されないのは自民党「日本国憲法改正草案」が証明している!

(2)また、その「解釈改憲」は明文改憲が実現できないから強行しようとするものであり、卑怯であることも、指摘しました。

   安倍「解釈改憲」の卑怯さ(”右翼の軍国主義者”のクーデターの企て)

(3)さらに、安倍「解釈改憲」は、アメリカの要求に応えたものであり、それゆえアメリカの戦争に日本が集団的自衛権を行使して参戦することが条約に基づいて義務づけられ、自衛隊員が死傷する可能性が高くなるわけですが、アメリカから少し「独立・自立」して日本が近隣諸国との間で戦争を引き起こせば、自衛隊員だけではなく日本本土の国民も死傷する可能性が高くなることを指摘しました。

    安倍「解釈改憲」は自衛隊員とその家族だけが恐れているわけではない!

(4)今月(2014年5月)15日、安倍首相の私的諮問機関である、憲法の素人集団の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(「安保法制懇」)が報告書を提出し、安倍首相は記者会見しましたので、それらと、自衛隊員や元日本軍兵士の反応報道を紹介しました。

(5)その翌16日、憲法改悪阻止各界連絡会議(憲法会議)が声明「安保法制懇『報告書』をテコに『戦争する国』めざす安倍首相の暴走を糾弾する」を発表したので、それを紹介しまました。

(6)安倍内閣が長年の慣行を破って内閣法制局長官に素人の小松氏を抜擢したので、小松氏が退任しても、「駆けつけ警護」問題や集団的自衛権行使問題で与党が「合憲」としても体を張って違憲解釈を主張するまでは内閣法制局への不信感は払拭されないと指摘しました。


(7)安倍首相は大臣ですから「憲法改正」や「解釈改憲」を主張できないのにそれを公言し憲法尊重擁護義務違反を犯し、日米安保条約などによる集団的自衛権行使義務の遵守を目指していることを指摘して批判しました。

(8)安倍首相が、外国の戦争に参戦することになる集団的自衛権(他衛権)行使を「合憲」と「解釈」する「解釈改憲」を目論んでいることについて、マスメディアの世論調査では、国民の2,3割程度しか支持していないことを確認しました。

   集団的自衛権(他衛権)行使についての安倍「解釈改憲」の支持者は世論調査で2、3割程度

(9)自民党「日本国憲法改正草案」によると、自衛戦争であれ、集団的自衛権行使による参戦であれ、戦争をしていても、自民党政権は「戦争はしていません」と強弁することになることを指摘しました。

(10)ところで、憲法9条がある以上、他国を守るための集団的自衛権(他衛権)行使を「合憲」にする憲法「解釈」が理論的に許されないことは、すでに述べてきましたが、”憲法改正の限界”論との関係でも、そのことは強調されるべきなので、以下、述べておきます。

1.”憲法制定”とは異なる”憲法改正”・・・”憲法改正”には限界がある!
(1)日本国憲法は、憲法改正を許容しています(第96条)が、憲法改正の手続きに基づきさえすれば、如何なる内容にも日本国憲法を変更できるのでしょうか?
憲法学では、このようなことが従来検討されてきました。
(2)そもそも”憲法改正”とは、成文憲法の内容について自ら定める手続きに従って意識的に変更を加えることです。
これは、既存の憲法を前提としている点で「新しい憲法の制定」とは異なります。
また、合法的な憲法の変更である点で暴力革命やクーデターによる「非合法な憲法の変革」とも異なります。
(3)憲法改正が、既存の憲法を前提としている以上、憲法改正には理論的な限界があるのです。
既存の憲法と全く異質の内容のものができてしまえば、それは「新憲法の制定」であって、「改正」とは言えないからです。
つまり、憲法改正の手続きに基づきさえすれば如何なる内容にも憲法を改正できるのかと言えば、そうではないのです。
日本国憲法の改正手続においては、最終的に国民投票で過半数の賛成がなければ憲法改正が成立しないので、「主権者国民が判断するのだから限界はない」等として、憲法改正には限界がないという立場もありますが、「憲法制定」ではなく「憲法改正」であるのですから限界があるとする立場が、通説であり、妥当です。
(4)では、憲法改正手続きを経ても許されない”憲法改正の限界”の中身とは何でしょうか?
まず、実体的限界としては、”日本国憲法の基本原理”があげられます。
基本原理としては、国民主権主義、非軍事平和主義、基本的人権尊重主義の3つがあることには、異論はありません。
そのほかに議会制民主主義と地方自治をあげることもできます。
ですから、
国民主権を君主主権に戻すことは許されません。
また、「戦争」だけではなく「武力の行使」や「武力による威嚇」までも「永久」に「放棄」している以上、再軍備し戦争できる国家に戻ることも許されません。
さらに、基本的人権尊重主義とは言えないくらい、基本的人権の保障を後退させることも許されません。
国会を「国権の最高機関」としている議会制民主主義を否定したり、交代させることも許されません。
言い換えれば、日本国憲法のアイデンティティーを変更することは許されないのです。
次に、憲法改正手続そのものについても、硬性憲法を軟性憲法にすることも許されません。
硬性憲法とは、法律の制定・改廃の手続きよりも厳しい要件を課してしている憲法であり、法律の制定・改廃の手続きとほとんど同じ要件で憲法位改正できる憲法を軟性憲法といいます。
硬性憲法そのものが日本国憲法のアイデンティティーですし、憲法改正手続の要件が緩和されれば日本国憲法の基本原理の「改正」も容易になってしまうからです。
ですから、国民投票なしに国会だけで憲法改正が成立するよう憲法改正手続きを「改正」することは許されません
(5)以上のように、そもそも憲法改正は「全く新しい憲法の制定」とは異なり、既存の憲法の同一性(アイデンティティー)を維持していなければ、憲法改正とはいえません。
アイデンティティーが変わってしまえば、全く別の憲法、「新憲法の制定」になってしまうからです。
したがって、憲法改正には限界があり、その限界を超えたものは憲法違反であり無効なのです
日本国憲法も、前文で「人類普遍の原理」に「反する一切の憲法…を排除する」と定めていますから、日本国憲法の基本原理等を変更する憲法改正は改正の限界を超えており、理論的には無効になります。
(6)国会議員らは憲法尊重擁護義務が課されていますから、憲法改正の限界を超える憲法改正案の原案を国会に提出することや、国会がそのような憲法改正案を国民に発議することも憲法上許されません
万が一そのような憲法改正案が国民投票で承認されたとしても裁判所はそれを無効と判断できますし、無効判断する憲法上の義務があります。

2.平和主義を変質させる「憲法改正」は無効!
(1)日本国憲法の平和主義は、過去の侵略戦争が「政府の行為」によって強行されたことを反省して、政府から戦争する手段(陸海空軍の戦力)を奪い、それによって、戦争だけではなく「武力による威嚇」さえもできないようにし、いわゆる平和的生存権を国民らに保障しています。
これに対し、自民党の「日本国憲法改正草案」は、表向き侵略戦争を肯定していないものの、「国防軍」を装備し、集団的自衛権の行使も「合憲」にし、したがって、実質的には日本国憲法の平和主義とは正反対のものにしようとしています。
(2)国連憲章は、集団的自衛権について、個別的自衛権と同様に国連が「必要な措置をとるまでの間」例外的に認めています(第51条)が、
これは、制定当時、軍事同盟を結成することを目論んでいた大国アメリカが主張し、大国ソ連も賛成して盛り込まれたもので、そもそも「自衛権」の枠を超えるものです。
だから、”他衛権”と表現されているのです。
集団的自衛権(他衛権)は、他国への軍事干渉や侵略戦争に悪用されてきました。
これが歴史的事実です。
集団的自衛権(他衛権)行使を憲法上認めることは、戦争の抑止になるという主張がありますが、これは、机上の空論であることは、歴史が証明しています。
(3)アメリカは、自国の戦争に日本を軍事的に協力させるために、日本に集団的自衛権(他衛権)行使を「合憲」にするよう要求してきたのです。
日本が集団的自衛権(他衛権)行使を「合憲」にすれば、条約に基づく以上、アメリカが日本に要請すれば、日本は集団的自衛権(他衛権)の行使が法的に義務づけられてしまうし、日本はアメリカに従属しているので、実際に日本はアメリカの戦争に参戦することになるのは必至です。
現に、これまでもアメリカの言いなりになって、アメリカの戦争で後方支援してきました。
アメリカの要請を断って日本が集団的自衛権(他衛権)の行使をしないことは、現実には皆無に近いでしょう。
(4)日本が集団的自衛権(他衛権)行使して、アメリカなどの戦争に参戦すれば、自衛隊は組織的に直接殺戮を行い、それを繰り返し、多大な死傷者も出すことでしょう。
平和的生存権が保障されなくなるのは、あまりにも明白です(今でも侵害されているのですが)。
(5)ですから、集団的自衛権(他衛権)の行使は、一切の戦争を放棄した日本国憲法の平和主義とは正反対のものです。
自民党「日本国憲法改正草案」は、「専守防衛」のための再軍備さえ憲法改正の限界を超える立場からすれば、憲法改正の限界を超えることになることは明らかですし、また、たとえ「専守防衛」のための再軍備の範囲内なら憲法改正の限界内であるとの立場になったとしても、集団的自衛権(他衛権)の行使を許容する点で憲法改正の限界を超えることになります。
平和憲法の破壊です。
したがって、憲法改正手続きを経たとしても、このような「改正」は決して許さるものではありません。
違憲であり、無効になります。
(6)憲法改正手続きを経たとしても集団的自衛権(他衛権)の行使を「合憲」にすることが許されないのですから、憲法改正手続きさえ経ることなしに日本国憲法が集団的自衛権(他衛権)の行使を「合憲」にする「解釈」が許されないことは、あまりにも明らかです。
これは、そもそも、憲法解釈ではありません。
「解釈」の名を借りたクーデターです!
(7)なお、自民党の「日本国憲法改正草案」に対する私見、および”憲法改正の限界”論は以下を参照してください。