2014年5月31日土曜日

首相は集団的自衛権の最大限行使を目指している

 28日(衆院予算委員会)、29日(参院外交防衛委員会)の国会集中審議で、甲高い声で感情的な発言が多い首相の口から、集団的自衛権の行使に歯止めなどは全くないことが明らかになりました。
 首相は党内の反対派を集団的自衛権は限定的行使するということで納得させたと言われていますが、その「限定的行使」などはもはや机上の空論にすぎません。
 
 先には米艦に乗っっている乳児を抱く母子が描かれたイラストを掲げ、国民に対しては「限定的容認」をにじませましたが、国会では一転して、「日本人が乗っていない船を護衛できないということはあり得ない」「米国の船以外は駄目だと一言もいっていない」と、邦人が乗っていない艦でも、また米艦以外の国艦でも護衛対象に含む考えを新たに示しました。
 
 日本人を守るのは個別的自衛権の範囲で十分対応できるとの見方が専門家の間でも根強いなか、強引に集団的自衛権の際限なき行使に踏み切ろうとしている首相の答弁を聞くと、集団的自衛権の行使容認の目的が、国民の命を守ることより米軍との軍事行動の一体化にあるのであって、一体行動を行う際にできるだけ制約を受けないようにと意図しているものとしか思えません。
 
 東京新聞は、2日間の国会論戦を終え、「外務・防衛の担当閣僚と比べると首相には踏み込んだ内容や感情的な発言が目立ち、閣内でも解釈改憲に突出して熱心な姿勢が鮮明になった」と報じています。
 
 元外交官の孫崎享氏も言うように、集団的自衛権の行使を容認すればたちまち自衛隊は米軍の(無償の)傭兵となって、世界中の戦争に付き合わされることになります。
 米国の政権首脳部やジャパンハンドラーズ(対日工作者)の間でも安倍氏の評価は低いといわれているのに、なぜそんな風に国を売ることに熱心なのでしょうか。
 
 琉球新報と南日本新聞が、集団的自衛権の行使について、首相の説明では歯止めがないとする社説を掲げました。
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(社説)「自衛権」首相説明 歯止め利かない危うさ
琉球新報 2014年5月30日
 集団的自衛権の行使に歯止めなど利かないことが鮮明になってきた。安倍晋三首相が繰り返す限定的な行使」は、もはや机上の空論ではないか。集団的自衛権の行使容認を目指す安倍首相の姿勢をただす本格的な国会論戦が衆参両院で始まった。
 政府が示した行使容認に向けた15事例を超えた新たな事例が早くも増殖し、拡大解釈の懸念が強まっている。国民を守る方法がなぜ集団的自衛権でなければならないのか、首相の説明は説得力が乏しい
 安倍首相は15日の会見で、乳児を抱く母子が描かれたイラストを掲げ、紛争地から退避する日本人が乗る米艦を自衛隊が守る必要性を強調した。最大の同盟国である米艦だけを挙げ、「限定的容認」をにじませる演出を施した。
 
 だが、首相は28日の国会で、「日本人が乗っていない船を護衛できないということはあり得ない」と述べ、邦人が乗らない米艦も護衛対象との考えを示した
 さらに、首相は「一言も米国の船以外は駄目だと言っていない」と述べ、米国以外の船でも護衛対象に含む考えを新たに示した。
 朝令暮改ではないか。論拠に乏しく、強引さが目立つ首相の答弁によって、米艦防護の事例は大幅に範囲が広がり、「限定的容認」の縛りが事実上、骨抜きになった。
 
 首相の答弁を聞くと、集団的自衛権の行使容認の目的は、国民の命を守ることより、米軍との軍事行動の一体化にあるのではないかという疑念が先に立つ。政府内で立憲主義に基づく制約が利かないまま、独走する首相の一存で集団的自衛権の行使事例が際限なく拡大しかねない。極めて危険な政治状況だ。
 
 さらに、首相は年内を目指している防衛協力指針(ガイドライン)の改定前までに行使容認を閣議決定したいとの意向を示した。
 米政府は、ガイドラインに集団的自衛権行使に関する内容を盛り込むには、その前段で、憲法解釈変更の閣議決定が必要と日本側に伝達している。首相が示した日程は米国の意向と重なり、ここにも米国追従の影がくっきりと浮かんでくる。
 
 首相の見解は馬脚を現したと言うしかない。国民の命を守るには、個別的自衛権の範囲で十分対応できるとの見方が専門家の間でも根強い。根本的な議論に立ち返り、徹底的な国会審議を尽くすべきだ。
 
 
(社説)[首相の国会答弁] 歯止めがないも同然だ
南日本新聞 2014年5月30日
 集団的自衛権をめぐる衆参両院の集中審議で、安倍晋三首相は日米同盟を維持していくために必要だとして、行使容認に向けた憲法解釈変更に強い意欲を示した。
 
 憲法が禁じる「他国の武力行使との一体化」の制限緩和を検討していくことも表明。一体化を避けるために設けている「非戦闘地域」の概念見直しに言及し、戦闘地域での自衛隊による支援活動を明確には否定しなかった。
 戦闘地域での活動に実際に乗り出せば、安全保障政策の大転換となる。外国の戦争に加担せず、海外で武力行使をしないという憲法の理念にも反する。
 
 なぜいま集団的自衛権の行使が必要なのか。日本の在り方を根本から変える重要な問題を、憲法解釈変更という手段で進めていいのか。わずか2日間の審議で国民の理解を得るのは難しいだろう。
 国会は、残り1カ月を切った会期にこだわらず、国民に見える形で議論を尽くす必要がある。
 
 首相は15日の記者会見で近隣有事の際に日本人を輸送する米艦防護を例に「この事態でも日本人を守れない。それでいいのか」と集団的自衛権行使の必要性を訴えた。
 ところが、28日の衆院審議では「日本人が乗っていないから駄目だということはあり得ない」と述べ、日本人が乗っていなくても防護対象になると軌道修正した。日本人を輸送する米国以外の船の防護にも積極的な姿勢を示した。
 また、海上交通路に機雷が敷設された場合、除去するために集団的自衛権を行使する必要があるとの認識も示した。輸入原油の多くが通過する中東ホルムズ海峡を念頭に「わが国の船舶が危険に遭う可能性が高い中、機雷掃海できなくていいのか」との論理だ。「憲法解釈の変更が必要と判断されれば閣議決定する」とも述べた。
 ひとたび行使を認めれば、集団的自衛権の範囲が政権の都合で際限なく拡大しそうで心配だ。
 それなのに、首相は「実際に武力行使を行うか否かは高度な政治的判断だ。時の内閣が総合的に判断して、慎重に決断することになる」と述べた。これでは、明確な歯止めはないも同然だ。
 
 首相は、集団的自衛権の行使は「国民の命と暮らしを守るために必要だ」と言う。だが、日本が戦争に加わり、自衛隊員が殺したり殺されたりする可能性があるという本質には触れようとしない。
 国論を二分する大事な問題だからこそ、時間をかけて国民的議論を重ねることが重要だ。