真正右翼を自称する小林よしのり氏が、天皇誕生日の記者会見に触れたブログを書いています。
ブログの中に「天皇陛下 記者会見の全文」が載っています。
遅くなりましたが紹介します。
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天皇陛下の記者会見を読んで
小林よしのりオフィシャルwebサイト 2017年12月23日
天皇陛下、誕生日、おめでとうございます。
天皇誕生日の記者会見の全文を読んで、いろいろ感じるところがあった。
インドシナ独立戦争に触れておられるところが嬉しかった。
アジア解放を信じる日本兵は終戦後も、帰国せず、現地に残り、ベトナムの独立戦争に参加して、フランス軍と戦ったのだ。
ベトナムのために戦死した日本兵もいる。
沖ノ島は女人禁制なので、世界遺産登録は危険だと思っていたが、陛下が喜ばしいとされるなら、まあいいかと納得した。
高麗神社に触れておられるのは、朝鮮半島との歴史的つながりを意識されているのだなあと、わし自身の思想形成にも関わることだった。
譲位について、多くの人々が考え、努力したことを感謝しますと仰られているが、これを妨害しようとしたのは、安倍政権と、「ロボット天皇論」に立つエセ保守論者と、極左学者・評論家である。
極右と極左が妨害しようとしたのである。
皇室典範の附則改正と特例法の論点整理を出したのは、高森明勅・山尾志桜里・倉持麟太郎であり、当時、野田佳彦氏をはじめとする民進党の議員たちが、活躍してくれた。
及ばずながらわしや「ゴー宣道場」の師範も、陛下の願いを叶えるために全力を尽くした。
そして常識ある庶民がそれを支えてくれたのだ。
そのことはあえて主張しておきたい。
今後は12月23日を平日にするという。
それは安倍政権が今の天皇陛下に反感を持っているからで、23日が休日のままだと
「二重権威の恐れ」などとあり得ない屁理屈を主張している。
奴らは「昭和の日」を復活させ、「明治の日」の復活運動をしているが、
「平成の日」は望まぬだけのことだ。
逆賊・安倍政権という評価は歴史教科書に載せねばならない。
天皇陛下 記者会見の全文
NHK NEWS WEB 2017年12月23日
天皇陛下が84歳の誕生日を迎えられるのを前に行われた記者会見の全文です。
(宮内記者会の代表質問)
この1年、天皇陛下はベトナムへの公式訪問や九州北部豪雨の被災地お見舞い、鹿児島県の離島3島訪問など、国内外でさまざまなお務めを果たされました。6月には「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し、9月には初孫の眞子さまのご婚約が内定しました。
この1年を振り返りながら、退位の日までのお過ごしについてのお考えをお聞かせください。
(天皇陛下)
ことし2月末から3月初旬にかけて、皇后と共にベトナムを訪問しました。
わが国とベトナムとの関係は、近年急速に進み、国家主席始め多くのベトナムの要人がわが国を訪れていますが、私たちがベトナムを訪問するのは、初めてのことでした。
ベトナムでは、現在の国家主席御夫妻を始め、4人の指導者に丁重に迎えられ、また、多くのベトナム国民から温かい歓迎を受けました。両国間の緊密な関係に深く思いを致しました。
ハノイにおいて、先の大戦の終了後もベトナムに残り、ベトナム人と共にフランスからの独立戦争を戦った、かなりの数の日本兵が現地で生活を営んだ家族の人たちに会う機会もありました。
こうした日本兵たちは、ベトナムの独立後、勧告により帰国を余儀なくされ、残されたベトナム人の家族は、幾多の苦労を重ねました。
そうした中、これらベトナム人の家族と、帰国した元残留日本兵たちが、その後日本で築いた幾組かの家族との間に、理解ある交流が長く続いてきていることを聞き、深く感慨を覚えました。
ハノイ訪問ののちに古都であるフエを訪問しましたが、ベトナム独立運動の先駆者で、日本の支援を求めてわが国に滞在した時期もあるファン・ボイ・チャウの記念館も訪れました。ここでも日本とベトナムとのさまざまな交流の歴史に触れることとなりました。今後とも両国の友好関係が一層進展していくことを願っています。
ベトナム訪問ののちにタイを訪問し、昨年10月に崩御になったプミポン国王との長い交流の日々を懐かしく思い出しながら、最後のお別れをいたしました。
ことしも残念なことに、いくつもの自然災害が起こりました。特に7月には九州北部がまれに見る豪雨に見舞われ、多くの人命が失われるなど、大きな被害を受けました。10月に福岡県朝倉市と大分県日田市をお見舞いに訪れましたが、朝倉市に向かう車中から見た災害の大きさは、自然の力の恐ろしさを改めて感じさせるものでした。被害に遭った人々が深い悲しみの中にありながら、皆で協力して懸命に復興に取り組んでいることを、心強く思いました。
また、11月には鹿児島県屋久島を訪れ、その西方12キロに浮かぶ口永良部島で、2年半余り前に起きた火山噴火によって屋久島への全島避難を余儀なくされた人々をお見舞いしました。噴火に先立ち避難訓練を行っていたこともあって、幸い速やかに全島民が無事に屋久島に避難したと聞きました。屋久島の人々の助けを得て避難生活を送り、今は多くの人が口永良部島に戻り、復興に取り組みながら元の生活に戻りつつあることを、うれしく思います。
わが国は豊かな自然に恵まれていますが、同時に自然災害の脅威に晒されており、こうした事態に備え、また、不幸にして災害が起こった時、人々が助け合うことがどれほど重要かということに、思いを深くしました。
この11月の屋久島訪問に続けて、沖永良部島と与論島を初めて訪問しました。これは、平成24年2月に一度計画されながら、私の心臓バイパス手術のために見送られたものです。島の美しい自然に触れるとともに、島の人々が、それぞれの伝統を育み、その自然をいかして生活を送っている姿を、頼もしく思いました。
ことし、宗像・沖ノ島と関連遺産群がユネスコの世界遺産に登録されたことは、喜ばしいことでした。10月に福岡県で行われた「全国豊かな海づくり大会」に出席する機会に宗像大社を参拝し、4世紀から9世紀にかけて沖ノ島に奉献された宝物を見ました。沖ノ島は、わが国と朝鮮半島との間に位置し、航海の安全と交流の成就を祈る祭祀がそこで行われ、これらの宝物は、その際に奉献されたとのことでした。
また、それに先立つ9月に埼玉県日高市にある高麗神社を参拝しました。今から約1300年前に、高句麗からの渡来人がこの地に住み、建てられた神社です。多くの人に迎えられ、わが国と東アジアとの長い交流の歴史に思いを致しました。
私たちの初孫である、秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が9月に内定し、来年11月に結婚いたします。大変喜ばしく、二人の幸せを願っています。
このたび、再来年4月末に期日が決定した私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。
残された日々、象徴としての務めを果たしながら、次の時代への継承に向けた準備を、関係する人々と共に行っていきたいと思います。
ことしも残すところわずかとなりましたが、来る年が国民皆にとって良い年となるよう願っています。
天皇陛下お誕生日に際し(平成29年) 宮内庁