2017年12月31日日曜日

31- 倉本聰氏が TVは「視聴者の想像力を消している」と

 テレビ朝日系で放送された帯ドラマ「やすらぎの郷」の生みの親である脚本家の倉本聰氏は、「いまのテレビは視聴者の空想力や想像力をことごとく消してしまっている。番組の作り手は分かりやすさを求めるがあまり、あらゆることが説明過多になっている」、と批判しました。
 そういうことを受け入れる社会であれば世論の誘導などはお茶の子さいさいで、それが常に政府側に立ったものであれば目も当てられません。社会の劣化と呼ぶべきものなのでしょう。
 世間の話題を取り上げる場合でも、いまやA~C社は甲サイドの応援団、対してD、E社は乙サイドの擁護者という立ち位置が最初から決まっていて、司会者が絶えずその方向に持っていくというのは見ていて見苦しいものです。

 倉本氏の、過熱する不倫報道への苦言も併せて紹介します。
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倉本聰氏 TVの現状を危惧「視聴者の想像力を消している」
倉本聰 日刊ゲンダイ 2017年12月30日
 春から半年間にわたってテレビ朝日系で放送された帯ドラマ「やすらぎの郷」。俳優や歌手、脚本家などテレビの世界で活躍した人だけが入居できる老人ホームという異色の舞台設定が話題を呼び、多くの視聴者を楽しませた一方、若者向けドラマばかりのテレビ界に一石を投じる作品となった。生みの親である脚本家の倉本聰氏(82)がいまのテレビ界が抱える問題点とともに2017年の世相を振り返り、総括する。
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 この1年はスキャンダルな報道が目立ちましたが、なかでも最も印象的だったのは、豊田真由子前衆院議員についてのテレビ報道ですね。暴行現場の映像は一切映されず、「やめてください、やめてください。……ボコッ」といった音声だけが延々と流れました。多くの視聴者は、あの声を聞くたびに、哀れなオジサン秘書の風貌や表情を想像したのではないでしょうか。

 あの報道は一種のラジオドラマであり、音声を聞いた人の想像力を膨らませ、「像」を結ばせた。多くの観客が情けを乞う声の主に感情移入し、言葉は悪いかもしれないけれど、楽しんでいたはず。図らずもドラマが持つ本来の面白さを表現していたんです。

 翻って、いまのテレビは視聴者の空想力や想像力をことごとく消してしまっています。お客さんはあれこれ想像したいのに、作り手は分かりやすさを求めるがあまり、あらゆることが説明過多になっている。耳から入る情報が頭の中で像を結ばせる楽しみを殺してしまっているような気がします。作り手の思考や思慮のなさが、どんどんテレビをつまらなくしている格好です。

 テレビ黎明期は、ながら族でも分かるようなドラマを作れと指示する一派がいて、向田(邦子)さんや(山田)太一さんや僕はそれに反発した。ながらの手を止めさせる作品を作ってやろうっていう反発心が、当時の僕らのテーマだったような気がします。ところが、ながら志向は年を追うごとに現場に浸透し、いつの間にか「観客はバカだ」という前提まで定着してしまった。

 その結果、どうなったか。テレビはコマーシャルの前後に、同じ内容を執拗に繰り返す手法を多用するようになっています。あれほど視聴者をバカにした話はありません。俺は認知症じゃないぞと言ってやりたくもなるわけです。

 テレビが生まれたとき、大宅壮一氏は一億総白痴化が始まると説きましたが、放送開始から64年がたった今こそ、改めてその意味を皆で問う必要があるのではないでしょうか。


過熱する不倫報道に倉本聰氏が苦言「品がない世界に…」
倉本聰 日刊ゲンダイ 2017年12月30日
 16年1月に発覚したベッキーと「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音の不倫騒動以降、17年も有名人の不倫報道が次から次へと報じられ、この年の瀬には女優・藤吉久美子が“餌食”となった。春から半年間にわたってテレビ朝日系で放送され、大ヒットとなった帯ドラマ「やすらぎの郷」の生みの親である脚本家の倉本聰氏(82)は過熱するマスコミの不倫報道についてこう疑問を呈する。
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 僕らの世代は、人のうわさはするもんじゃない、人の悪口は言うもんじゃないと幼い頃にたたき込まれて育ちました。それなのにいまでは週刊文春や週刊新潮をはじめ、各紙誌が堂々とやるわけでしょう? 男女がくっつくのは当たり前の話。お互いに健康なら、そうなるときにはなっちゃうんです。まして役者ならそういう生き物なんです。

 でも、それはあくまで当人同士の問題。周りは見て見ぬふりをすればいいだけ。なんらかの影響があるのは当事者の家族や配偶者だけです。それなのに部外者が偉そうに他人の不倫をなじるなんてのは恥ずべきことですね。ただののぞき見なのに、シレッとして正義を振りかざして商売にする、部数を伸ばすっていう世の中がとっても嫌ですね。そんな倫理に反する報道こそが“不倫”。下衆の極みだと思います。

 上品も下品も品のうちですが、いまは下品以下の品がない世界になっている気がします。不倫報道は善か悪かではない。スターを引きずり降ろし、天使をヌードにする時代ですが、暴く方の倫理は問われないのか。世の中全体がもう少し大人になって、粋になってほしいですね。そんな不倫報道の記事を面白がって読んでしまう自戒も込めてなのですが。