2019年10月27日日曜日

萩生田文科相が貧乏人は「身の丈に合わせろ」と

「教育立国」という言葉があります。教育が国家の根幹をなすものであるのは昔も今も変わりません。かつて文部大臣には東大総長を経験した天野貞祐氏などが任じられました。肩書や経歴は勿論問題ではないのですが、文科相にはそれなりの人格と識見のある人が就くべきであるのは当然のことで、そうでない人間が就けば教育は大いに歪められます。
 
 (第一次、第二次)安倍政権になってからの文科相は軽量級のオンパレードで、その結果、義務教育から大学教育に至るまで大きく歪められてきました。大学教育も経済界の要求に従っていわば実利中心主義に様変わりしました。
 このところ日本はノーベル賞受賞者が続出して大変喜ばしいことですが、理系の分野では大体20~25年ほど昔の業績が対象になっていると言われるので、逆算すると、この先10数年以降はノーベル賞受賞者が日本からは出なくなるのではないかと危ぶまれています。
 
 首相お気に入りの萩生田文科相が大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験について、家計状況や居住地で不利が生じるとの指摘に対し、「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえればいい」とテレビ番組で述べたことが、教育関係者や高校生の間で「格差を容認するのか」といった反発を招きました。あまりにも心無い発言ですが、それは安倍政権の本音を語ったものと見られています。
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萩生田文科相が大学入試改革の格差助長を当然視、
貧乏人は「身の丈に合わせろ」と暴言! これが安倍政権の本音だ
LITERA 2019.10.26
 センター試験を廃止して導入される「大学入学試共通テスト」(2020年度開始)の不公平性に対し、受験生となる高校2年生をはじめ学校関係者や保護者を中心に見直しと延期を求める声が高まっているが、そんななかで、萩生田光一文科相が経済格差による機会不平等は当然とするような信じがたい暴言を吐き、さらなる批判が巻き起こっている。
 
 まず状況を整理すると、大学入学共通テストでとりわけ批判が強まっているのが、英語民間試験の利用だ。英検やTOEFL、GTECなどの民間で実施されている7種類の資格・検定試験の成績を合否判定などに使用するというが、そもそも目的や基準の違う試験を入試に使用することの問題や、まったく使用しないとする大学は約4割にのぼっていること、その上いまだに試験会場が不確定だったりと不安要素が山積。だが、もっとも大きな問題は、受験生の経済状況や住んでいる地域によって不公平・不平等が生まれることだ。
 受験生は定められた期間内に受けた英語民間試験の2回分が採用されるが、その費用は1回で5800円から2万5000円以上かかる。民間試験の対策として参考書などの教材費や塾代などにも費用はかさみ、受験生の家庭は負担を強いられることになる。しかも、民間試験を全国で実施するようには義務付けられてはおらず、現状では都市部でしかおこなわれない試験もあるため、居住する地域によっては民間試験を受けるために交通費や宿泊費をかけねばならない。さらに受験費用が苦にならない裕福な家庭であれば、練習として何回でも受けることができる。単純に比較しても、裕福な家庭で都市部に暮らす受験生とくらべて家計が厳しく居住地域が地方である受験生は圧倒的に不利で、あまりに不公平な制度となっているのだ。
 
 しかし、こうした批判が当事者から高まっているのに、萩生田光一文科相は一切聞く耳を持たず、11日の衆院予算委員会でも「一つ一つ不安を払拭してきた。来年はこれで行く」と断言。
 そして、24日に生出演した『BSフジLIVE プライムニュース』(BSフジ)で、居住地域や家庭の経済状況によって不公平が生じるという批判が起こっていることについて問われると、こんなことを言い出したのだ。
「あの、そういう議論もね、正直あります。ありますけれど、じゃあそれ言ったら、『あいつ予備校通っててずるいよな』って言うのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭が回数受けて、ウォーミングアップできるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の、あの、私は身の丈に合わせて、2回を選んで、きちんと勝負してがんばってもらえば」
「大学入学共通テスト」は政府の施策であって、入学試験制度そのものである。その不平等性を問われているのに、責任者である文科大臣が、受験準備の選択肢の一つである「予備校通い」と同じレベルの話に矮小化するとは、どういう神経をしているのか。挙げ句「身の丈に合わせろ」と言い放つとは──。
 
 つまり、萩生田文科相は、金のかかる民間試験対策ができる「裕福な家庭」の受験生と、経済的事情でできない家庭の受験生が出てくることを是認して、できない家庭の受験生には「身の丈に合わせろ」と迫っているのだ。よりにもよって文科大臣が、である。
 しかも、萩生田文科相はこうも発言している。
「人生のうち、自分の志で1回や2回は故郷から出てね、試験を受けるとか、そういう緊張感も大事かなと思うんで」
 受験の機会均等を担保もせず、受験生によっては民間試験を受けるために交通費や宿泊費を負担しなければならないという格差を生もうとしている張本人が、「自分の志で故郷から出てみる緊張感も大事」って……。もはや言葉を失うほかないだろう。
 
安倍政権下で進む教育格差 東大学生の家庭は世帯収入950万円以上が一般の倍以上
 無論、この萩生田文科相の「身の丈にあった受験」発言にはネット上で批判が殺到。〈地方に生まれた、経済的に恵まれていない家庭に生まれた子はどれほど優れていても「自分の身の丈はこうだから」と諦めろという意味でしょうか〉〈どんな家庭に生まれ、どのような環境で育てられるかは、子供たちが選んだわけじゃない。そういった種々の条件を、たった一言「身の丈に合った」で済ませろと言ってるんだ。国の教育を司るトップの人間が言っていいことじゃない〉といった意見が溢れた。
 当然の反応としか言いようがないが、しかし問題なのは、この萩生田文科相の「身の丈」発言は、この国の教育政策の実態と軌を一にするものであり、安倍政権の本音でもあるということだ。
 事実、日本は相対的貧困率が15.6%(2016年の厚労省「国民生活基礎調査」)にのぼっており、日本の貧困率は経済協力開発機構(OECD)に加盟する先進国のなかでも高い水準となっている。また、17歳以下の子どもにかんしてはじつに7人に1人が貧困の状態にあると言われている。
 
 こうした貧困は、子どもの学力にも影響をおよぼす。教育統計学者の舞田敏彦氏が2015年に発表した「東京大学生の家庭の年収分布」では、世帯収入950万円以上が一般世帯の倍以上の57%を占め「教育格差は収入格差」と話題になったが、お茶の水大学が調査・発表した「平成25年度全国学力学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究」でも、世帯収入が低い子どもより世帯収入の高い子どものほうが学力テストの正解率が高いことがわかっている。しかも、世帯所得と父母の学歴を合成した指数と学習時間、そして国語の平均正解率を掛け合わせたデータによると、同じ所得層のなかでは長時間勉強する子どものほうが学力は高いが、最高所得層で「全く勉強しない」子どもの正解率は60.5%であるのに対し、最低所得層で「3時間以上勉強する」子どもの正解率は58.9%となっている。この結果は、親の収入と学歴の効果が、勉強時間という努力の効果よりはるかに大きいことを意味している。
 経済的に恵まれない家庭の子どもが勉強しようとも、裕福な家庭でまったく勉強しない子どもに学力が劣る。つまり、日本の教育は子どもの努力などといった精神論ではどうにもならないところまできているのだ。
 
 一体、この状況をどう変えればいいのか。この調査を中心的におこなった一人であるお茶の水大学元副学長の耳塚寛明氏は「中央公論」(中央公論新社)2015年6月号で、「これは教育問題というより社会問題」と指摘し、「自由な競争社会の前提条件を調えるという意味で、教育費負担の軽減と教育の質の向上の両方に投資し、学力格差をなくしていくことが重要だと思います」と述べているが、依然、日本は教育への公的支出が圧倒的に少ないままだ。
 実際、昨年9月にOECDが発表した「図表でみる教育2018年版」では、日本の小学校〜大学の公的支出のGDP比は比較可能な34カ国のなかで最下位。OECDが国ごとの教育制度の構造、財政、成果をまとめた日本のカントリーノートでは〈各家庭に極めて重い経済的負担を強いている〉とまとめられているように、教育への公的支出が少なく家計負担を強いている状況が、親の所得格差が子どもの教育格差につながるという「貧困の連鎖」を生み出しつづけているのだ。
 
 また、萩生田文科相は、前出の番組で「『あいつ予備校通っててずるいよな』って言うのと同じ」などとうそぶいていたが、そもそも実際に予備校に通えるか通えないかも経済格差によるところが大きい。教育費用が公的にまかなわれる割合が低く、予備校や塾・課外活動などによる格差を公教育が解消できていない現状も、重大な教育格差拡大要因のひとつであることを、萩生田文科相はまったく認識できていないということだ。
 
安倍政権の金持ち優遇 幼児教育・保育無償化も約半分が年収640万円以上の世帯に
 しかも、安倍政権にこうした現状を改善しようという姿勢はない。現に、麻生太郎財務相は昨年、福岡市長選の街頭演説で北橋健治・北九州市長を俎上に載せ、「(北橋市長は)学歴はいいよ、人の税金を使って学校へ行ったんだから。東京大学出てるだろ」などと発言、教育への公的支出を批判してみせたことは記憶に新しい。
 だいたい、来年4月からの高等教育無償化も、授業料が事実上無償化される対象は住民税非課税世帯(年収約270万円未満)でしかなく、「高等教育は無償教育の漸進的な導入によってすべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」という国連人権規約からかけ離れている。その上、高等教育無償化の実施によって、国立大ではこれまで授業料減免や減額の対象になっていた中所得世帯が外れるため、学部生の半数以上にあたる2万4000人が支援を受けられなくなる、あるいは支援額が減少することになる。
 
 また、消費税率10%への引き上げと同時に実施された「幼児教育・保育の無償化」にしても、認可保育所では無償化に必要な費用4650億円のうち約半分が年収640万円以上の世帯に使われ、住民税非課税世帯に使われるのはたったの1%程度。つまり、高所得層優遇の政策になっているのだ。
 家庭の経済状況による教育格差を是正するために必要な教育への公的支出もケチる上に、財務大臣が公的支出を公然と批判し、教育への投資としながら高所得層を優遇する──。今回、萩生田文科相が地域格差や経済的格差により著しい差が生まれる入試制度を推進し、経済的に苦しい家庭の受験生に「身の丈にあった受験を」と言い放ったことも、安倍政権の弱者に冷酷な姿勢を考えれば当然の出来事だったのだろう。つまり、年金老後2000万円問題と同じで、「国に頼るな。自助努力・自己責任でどうにかしろ」ということだ。
 
 だが、家庭の経済状況という自分ではどうにもできない問題を高校生に押し付ける無責任な萩生田氏こそ、大臣が「身の丈」に合っていないのだ。菅原一秀氏が経産相を辞任したばかりだが、この暴言によって大臣としての資質がカケラもないことが萩生田氏もはっきりした。萩生田文科相の辞任要求、そして「大学入学共通テスト」の導入を即刻中止させなければいけない。(編集部)