2019年10月29日火曜日

[核廃絶決議案]被爆国の理念は一層骨抜きに

 日本政府今月、国連総会第1委員会(軍縮)に核廃絶決議案提出しました。その内容を見ると、昨年よりさらに「後ずさり」したものになっているということです。沖縄タイムスが社説で明らかにしました。
 それによると、昨年までは「核使用による壊滅的な人道上の結末への深い懸念」との表現がありましたが、今年は決議案から「深い懸念」という核心的な言葉を削りました。核保有国を意識してということです。
 核保有国が非保有国核攻撃しないことを約束する「消極的安全保障」に関する表現も削除されました。
 そして「どこにも核削減の言葉は見当たらない」ということです。
 
 ここで「核保有国」と言っているのはとはズバリ「米国」に他なりません。
 昨年2月に 参院の国際経済・外交に関する調査会に招聘されたICANの川崎哲氏は、米国の「核抑止力」を根幹とする安全保障政策を再検討するよう日本政府に求めましたが、外務省は米国の「核の傘」に入っている以上「核兵器禁止条約」には賛成できないとして、「核の傘」の有効性を主張して譲らなかったそうです。
 
 そうした判断を含めて核廃絶決議案を作成する部署が外務省であることには違和感を覚えますが、職務分掌的にはそうなってしまうのでしょうか。そうであれば外務省はそれこそ安倍首相と並んで米国第一主義なので、核兵器禁止条約に取り組む姿勢は今後も後退する一方と思われます。
 
 併せてサーロー節子さんが都内の講演会で核兵器廃絶を訴えた記事を紹介します。
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社説 [核廃絶決議案]被爆国の理念、骨抜きに
沖縄タイムス 2019年10月27日
 核大国の軍拡と核の拡散・不安定化が同時に進行する厳しい国際環境の中で、日本の非核政策が、ずるずる「後ずさり」し始めている。
 日本政府が今月、国連総会第1委員会(軍縮)に提出した核廃絶決議案の内容が明らかになった。
 
 核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任する日本政府は1994年以来、毎年、その時々の核軍縮に関する課題を織り込んだ決議案を国連総会に提出してきた。
 決議案が幅広い支持を得て採択されてきたのは確かだ。問題はその中身である。
 昨年までは「核使用による壊滅的な人道上の結末への深い懸念」との表現があったが、今年は決議案から「深い懸念」という文言が削られた
 「深い懸念」は被爆体験に根差した核心的な表現である。そのような被爆者の思いが世界の人々に共有され、核兵器禁止条約の採択につながった。
 
 ところが、今年は核兵器禁止条約に反対する核保有国を意識して「深い懸念」との表現を削ったのだという。
 核保有国が非保有国に核攻撃しないことを約束する「消極的安全保障」に関する表現も削除された
 決議案の「どこにも核削減の言葉は見当たらない」(阿部信泰元国連事務次長)。これでは被爆国としての非核理念が骨抜きにされかねない。
 核を巡る米ロ中の利害の対立が表面化し、それぞれの国が軍拡の動きを加速させている。核のリスクが高まりつつある危険な状況だからこそ、日本は核軍縮に向け、もっと存在感を示すべきだ。
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 米国と旧ソ連の間で結ばれた中距離核戦力(INF)廃棄条約が8月に失効した。核軍拡の歯止めを一つ失ったのである。
 米ロの新戦略兵器削減条約(新START)は2021年2月、期限切れを迎える。米国はロシアとの条約延長に消極的で、トランプ政権は条約を延長するか否か、まだ態度を決めていない。
 その背景にあるのは中国の核軍拡である。だが、中国は米ロに比べ核弾頭数が圧倒的に少ないことを理由に、核軍縮には消極的だ。
 米ロ中がせめぎ合い、北朝鮮が核開発を継続する中で、米国は「使いやすい核兵器」の開発に乗り出した
 核以外の攻撃に対しても核による報復を排除しない政策を取り始めたともいわれる。
 「核のない世界」をめざしたオバマ前政権とは真逆の、核使用のハードルを低くするような政策に転換したのである。
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 中国の中距離ミサイルの開発によって在日米軍が攻撃の対象となり、抑止力が弱体化するのを恐れる米軍は、日本への新型ミサイルの配備を検討し始めた
 地上発射型中距離ミサイルの配備先候補に伊江島補助飛行場も含まれているというから驚きだ。
 ただでさえ基地の過重負担に苦しむ沖縄を復帰前のような状態に逆戻りさせてはならない。
 軍拡にストップをかける新たな取り組みが必要だ。
 
 
核「子ども 老人 女性 無差別に殺す」 サーローさん 都内で講演
東京新聞 2019年10月28日
 二〇一七年のノーベル平和賞授賞式で被爆者として初めて演説したカナダ在住のサーロー節子さん(87)が、東京都内で講演し、核兵器は「子どもも老人も女性も、武装していない人たちも無差別に殺す」として、改めて廃絶を訴えた。
 
 講演会は絵本の専門店「クレヨンハウス」(東京)が主催。サーローさんは十三歳の時に広島市で被爆した体験を証言した。建物の下敷きとなり「光へ向かって、はって出ろ」という声に突き動かされて脱出したが、親族九人が犠牲になった。「姉と四歳のおいは焼けただれた肉という形で命を失った。あんなことが二度と人間に起きてはいけない」と力を込めた。
 核兵器がどういうことを人間にもたらすか、自分の目で見た。なかったことにはできない」と強調。一七年にノーベル平和賞を受賞した非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が国連での採択に尽力した核兵器禁止条約に、米国の「核の傘」に依存する日本政府は参加しておらず、サーローさんは「裏切られた、見捨てられたという思いでいっぱいだ」と批判した。サーローさんは二十二日、天皇陛下が即位を内外に宣言する「即位礼正殿の儀」にも参列した。