2022年7月7日木曜日

07- ウクライナ戦争 外交努力で回避することは出来なかったのか(高野孟氏)

 戦争は一度始まってしまうと途中で止めるのは極めて困難です。そもそも双方が自分たちこそが正義だと確信するので、たとえ双方にどんなに膨大な人的・物的損害が生じようとも、逆に人的損害が大きければ大きいほど中途半端では止められないという自己規制が生じます。強大な力をもつ仲介者が存在すれば停戦協定が成り立つ可能性はなくはないのですが、残念ながらそういう資格者はいません。

 いずれにしても戦争を始めないようにすることが何よりも肝心で、外交努力によって戦争を回避することに最大限の努力をすべきです。
 高野猛氏が、ウクライナ戦争について外交努力で回避することはできなかったのかとする記事を出しました。その結論は明白で「ゼレンスキーには3年間の時間があった」のに・・・です。
 周囲も当事者も本心では停戦を望んでいるのではないかと思うのですが、この戦争を誘導しウクライナ側に武器を供給する主体となっている米国には全くその意思がなく、英国と共にウクライナにひたすら戦争の継続を促しています。
 先行きはどうなるのでしょうか。
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永田町の裏を読む
外交努力で戦争を回避することはできないのか…ゼレンスキーには3年間の時間があった
                      高野孟 日刊ゲンダイ 2022/07/07
 毎日新聞6月29日付「記者の目」欄で同紙カイロ支局の真野森作記者が、先輩である伊藤智永専門編集委員の4日付の論考「ゼレンスキー氏は英雄か」に噛み付いているが、私の見立てでは真野が、伊藤がである。
 伊藤は、ゼレンスキーが戦争を止める外交努力を怠り、それゆえにこれだけの戦争被害を出したことへの政治責任を免れないと指摘した。それに対して真野は「露政府はだまし討ちで全面侵攻を始めた。最後通告のない奇襲を外交でどう止められただろうか」と反論しているが、これは事実を知らぬ者の妄言である。
 2013年11月にキーウで始まった市民デモは、米国官民の公然たる支援でたちまち武装反乱に発展、14年2月親露派の大統領が追放され、5月に親米派のポロシェンコ大統領が就いた。この急激な展開で、ウクライナが一気にNATO加盟にまで突き進むのではないかと恐れたロシアは、元々はロシア領であり露黒海艦隊の母港セバストーポリをも抱えるクリミアについては即刻、露領に編入した。この時、ウクライナ東部のロシア系市民の比重の大きいドネツクとルガンスクの2州でもロシアへの併合を求める動きが高まったが、プーチンはそれを許さず、あくまでもウクライナ国家の内で一定の自治を実現すべきとして、14年9月にウクライナ、ロシア、両州の4者による「ミンスク議定書」を結び、さらに翌年には仏独も入った「ミンスク議定書2」を結んだ

 しかし、ポロシェンコも19年に登場したゼレンスキーも、両州に適切な自治を与える制度を作り出すことができなかった
 それでも、戦争を回避するにはその道しかないことを知るマクロン仏大統領とショルツ独首相は、今年2月7日から15日にかけてモスクワとキーウをシャトルし最後の外交工作を展開した。が、ゼレンスキーは応ぜず、だからプーチンは2月24日の開戦宣言演説で「8年間、終わりの見えない長い8年もの間、私たちは、事態が平和的・政治的手段によって解決されるよう、あらゆる手を尽くしてきた。すべては徒労に帰した」と言ったのである。
 だからといって戦争を始めていいことにはならないが、少なくともゼレンスキーには就任以来の3年間、外交努力で戦争を回避するための時間があったことは事実として踏まえておきたい。

高野孟 ジャーナリスト
1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。