今年は、中国北京市近郊で起きた盧溝橋事件をきっかけに始まった日本の中国への全面侵略戦争開始から85年です。
盧溝橋事件は1937年7月7日夜、豊台を不法占拠していた日本の関東軍の中隊が盧溝橋近辺の河原で夜間演習中に実弾を撃ち込まれたのに対して、中隊が所属する第三大隊が翌朝中国軍が駐屯する宛平県城を攻撃した事件で、これを口実にして日本は中国への全面的侵略を始めました
なおその6年前の1931年(昭和6年)9月18日には、関東軍は旧満州の奉天(現在の瀋陽市)近郊で柳条湖事件を起こしています。
それは柳条湖付近で南満州鉄道の線路が爆破されたもので、実際は関東軍が仕組んだ謀略事件だったのですが、それを中国軍による犯行と発表して、日本軍の満州における軍事展開およびその占領の口実として利用しました。
しんぶん赤旗が、盧溝橋近くにある「中国人民抗日戦争記念館」の羅存康館長に事件の教訓や日中友好への思いなどを聞きました。
それとは別に同紙は、名古屋市内で18日、高校生らが平和について学ぴあう「未来に平和を! 高校生大学生が語り継ぐ戦争」を報じましたので、併せて紹介します。
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盧溝橋事件から85年 歴史知れば、未来に向かえる
「中国人民抗日戦争記念館」館長 羅存康さんの思い
しんぶん赤旗 2022年7月19日
今年は、中国北京市近郊で起きた盧溝橋事件(1937年7月7日)をきっかけに始まった日本の中国への全面侵略戦争開始から85年です。盧溝橋近くにある「中国人民抗日戦争記念館」の羅存康館長に事件の教訓や日中友好への思いなどを聞きました。(北京=小林拓也)
羅存康 ら・そんこう 1970年生まれ。1996年から中国人民抗日戦
争記念館に勤務。副館長などを歴任し、2020年に館長に就任
盧溝橋事件で始まった日本による中国への全面的な侵略戦争は、中国人民に深刻な災難と大きな苦痛をもたらしました。中国の推計によれば、3500万人が死傷し、人民の生活は破壊され、多くの人が家を失い、難民となりました。1937年12月には南京大虐殺も起きました。
85年たったいまでも、事件を振り返ることは現実的な意義があります。いまの世界は、平和で安定しているとは言えません。国と国とは平和的に共存すべきで、問題解決のために戦争という手段をとるべきではありません。
世界各国の人民は、当時の歴史から教訓をくみ取り、手を携えて、共に平和的発展の道を歩み、平和な地球をつくりあげるために努力する必要があります。
日本は侵略戦争の教訓をくみ取り、軍国主義の道を再び歩むべきではありません。日本国憲法第9条も堅持してほしい。中国人民は侵略の歴史を否定・歪曲(わいきょく)・美化することに断固反対します。
中日両国の人民は共にアジアの平和を維持していくべきで、この地域で争いが起き、混乱することを許してはなりません。今年の中日国交正常化50周年を契機に、両国間の人的・文化などさまざまな民間交流を強めていきたい。
記念館として、新型コロナウイルス感染が落ちついたら、多くの日本人、とくに若い世代が中国を訪れ、記念館を訪問することを歓迎します。交流し、当時の歴史を理解することで、未来に向かうことができます。われわれと歴史観を異にする日本の方にもぜひ記念館を訪れてほしい。
盧溝橋事件 1937年7月7日、中国・北京近郊の盧溝橋付近に駐屯していた日本軍が、夜間演習中に中国の国民党軍から発砲があったと称して攻撃した事件。31年9月に鉄道を故意に爆破した柳条湖事件を起こし、中国東北部への侵略(満州事変)を開始していた日本は、盧溝橋事件を口実に、中国への全面的侵略を始めました。
未来に平和を! 学び行動しよう 愛知高校生フェス80人参加
しんぶん赤旗 2022年7月19日
名古屋市内で18日、高校生らが平和について学ぴあう「未来に平和を! 高校生大学生が語り継ぐ戦争」が開かれ、約80人が参加しました。主催は愛知県高校生フェスティバル(高フェス)実行委員会のチーム 「 Love & Peace 2021」。
中高大生9人が学習成果を報告しました。
石田実佑さん(南山高校2年)、真未さん(中学2年)姉妹は、日本兵の「被害と加害」を語り続けた不戦兵士・故近藤一さんの証害について、
▽沖縄歌で日本兵が戦場に捨てられた被害だけでなくぐ中国人への。加害も語った
▽リアルな戦場体験や中国蔑視の教育を語った
▽再び戦争する国に向かう危機感を中高生に語った
点が重要だと指糎。「また日本が戦争する国になり、加害者になる教育や、何の感情もなく人を殺すことが当たり前になるかもと思うと本当に怖い。絶対に戦争はしてはいけない」
愛知学院大学1年の澄川惣士さんは、昨年の中国人留学生との交流で、日本の歴史授業は事実の羅列だと気づいたと報告。「考える行為がなく、平和への無関心の要因だと思う」。
東海高校2年の青木政磨さんは、長崎の原爆資料館での衝撃を「原爆はとても悲惨な歴史上の出来事という認識だった。でも実際に目にしたものは、とても生々しく、今にも遺品から叫び声が聞こえてきそうでした」と吐露しました。
ウクライナ戦争を受け3月に反戦パレードを行った、フェス実行委員長の越元宰輔さんは「たくさんの高校生の歩く姿がみんなに希望や勇気を与えた。私たち中高生は無力でも微力でもない。たくさん学び、行動し、世界の人々が安心して暮らせる、希望のある社会に」と発言しました。