2022年7月12日火曜日

直撃インタビュー 鮫島浩・元朝日新聞記者が憂える大メディアの凋落

 日刊ゲンダイが、元朝日新聞記者・鮫島浩氏を「注目の人 直撃インタビュー」しました。
 鮫島氏は調査報道に専従する特別報道部デスク時代に、「手抜き除染」報道新聞協会賞受賞)に続いて14年に福島原発事故を巡る「吉田調書」報道という歴史的スクープ記事を出しました。
 それは東電福島第1原発事務所の吉田所長が事故直後に所員たちに現場に踏みとどまるように待機命令を出したのですが、所員の大半が10キロ離れた第2原発へ退避していたというものした。実際には待機命令が各所員に徹底されておらず、ほぼ全員による意図的な命令拒否とは言い切れないものでした。
 問題は、そうした補足や訂正の報道はその後いくらでもできたのに、不明朗な社内の圧力があってそれが出来ずにいて、4カ月後に「誤報」とされデスクを解任されたのでした。
 鮫島氏は昨年50歳の若さで朝日新聞を退社し、内幕本「朝日新聞政治部」(講談社)を出しました。
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注目の人 直撃インタビュー
鮫島浩氏「番記者制度は廃止を」元・朝日新聞記者が憂える大メディアの凋落
                          日刊ゲンダイ 2022/07/11
 鮫島浩(ジャーナリスト/「朝日新聞政治部」著者)
 朝日新聞元記者が書いた内幕本「朝日新聞政治部」(講談社)が、政治ノンフィクションとしては異例の売れ行きとなっている。新聞協会賞を受賞するなど華々しく活躍するも、一転「捏造記者」のレッテルを貼られ、記者職を外された著者の転落の過程は実名満載で生々しい。ジャーナリズム論、組織論、サラリーマン論などさまざまな読み方ができるが、著者に一番聞きたいのは、「大新聞は権力の監視をやめたのか。なぜ権力に忖度するようになってしまったのか」──。劣化と凋落著しい大メディアの病巣を探った。
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 ──発売1カ月で4万5000部。売れてますね。
 政治やジャーナリズムに関心がある人が中心的読者かなと思ったら、意外とそうでもなくて。企業小説みたいな感じで、一気に読み上げたという感想をいただいています。新聞社の比較的真ん中を歩んできて、前半部分にはちょっと自慢話があるんですけど、読者は「こいつはそのうち転落するんだろう」って読み進める。挫折したり、どん底に突き落とされたりというのは、どこかみんな興味があるのでしょう。

 ──鮫島さんが、記者人生でどん底へ突き落とされたのは「吉田調書問題」(※)でした。当初は大スクープとされたのが、「誤報」として記事は取り消された。会社の判断は間違いで、あの時に「朝日新聞は死んだ」とおっしゃっています。
「吉田調書」という政府が隠してきた文書を入手したのは歴史的スクープで、あの記事がなければ、吉田調書は表に出ることはなかった。私はデスクでしたけど、調書を取ってきた記者2人の大手柄でした。吉田所長が事故直後に所員たちに現場に踏みとどまるように待機命令を出していたことと、所員の大半が10キロ離れた第2原発へ退避していたという事実をつかんだわけです。ただ、大混乱の中で命令が出たことを知らないまま退避した人もいたでしょう。全体を命令違反と断じたのは書きすぎじゃないかという批判を受けたんですね。調査報道ですから、最初から100点満点ではないので、二の矢、三の矢で軌道修正するなり、足りないところがあるなら補うなりしていけば、記事を取り消すという事態にはなりませんでした。

 ──なぜ修正できなかったのですか。
 第一報のわずか1週間後ぐらいには、フォローする紙面を作りましょうということで編集局長の了解まで取ったんですが、当時の木村伊量社長が一報を見て「今年の新聞協会賞は間違いない」と大喜びしちゃったんですね。社長の興奮ぶりを知った「取り巻き」たちが、新聞協会賞申請に水を差すからと、軌道修正を認めてくれなかったんです。

■「トカゲの尻尾切り」の朝日新聞はジャーナリズム失格
 ──ところが、その直後、「慰安婦記事の取り消し」「池上彰氏のコラム掲載拒否」が起き、「吉田調書問題」も再燃。世間から朝日新聞が猛バッシングを受ける。「吉田調書」の記事は誤報とされ、デスクの鮫島さんと記者2人は処分された
 事の本質は第一報の記事の内容ではなく、記事が出てから取り消しに至るまでの4カ月間の会社の危機管理の失敗にあったというのが私の考え。多くの会社が何か失敗を犯した時に、「トカゲの尻尾切り」で下に責任を押し付け、経営者は逃げ切る。一部の官僚に責任を押し付ける政治も同じです。こんなことをやってきたから日本全体がダメになった。そして、トカゲの尻尾切りを追及してきたジャーナリズムのリーダーみたいな顔をしている朝日新聞も自らそういうことをやった。ジャーナリズムとして失格です。本には、2014年に戻ってもう一度総括し、膿を出して欲しいという思いも込めました。

 ──以降、朝日新聞だけでなく、大手メディア全体が権力に対して弱腰になっていませんか。組織の問題なのか、記者個人の問題なのか。
 会社を辞めて思ったんですが、ジャーナリズムと会社やサラリーマンというのは相いれないのかなと。やっぱり組織にいると、社内での待遇や地位、出世や保身って、どうしても気になりますよね。朝日新聞で飲みに行くと、会話の8割以上は人事の話。同期が今どうだとか、あいつは次どうなるとかね。物価高や戦争の行方ではない。マインドが内向きで、完全にサラリーマンになってしまっているんです。

■「客観中立報道」は無難な記事で済ませる建前
 ──政治に対する忖度や萎縮は、組織ジャーナリズムに原因があると?
 ありますね。出世に響くので、なるべく揉め事を起こさない。無難な記事で済ませる。そのための口実が「客観中立報道」という建前なんです。だから、選挙では突っ込んだ報道をしない。どの政党からも文句を言われたくないので、各党の主張を垂れ流すだけになってしまう。その結果、発信量の多い、声の大きい自民党に有利になるのは分かっているのに、一律に横並びで、分かりやすい解説はせず、踏み込まない。これではどんどん新聞離れが進みますよ。

 ──そうした保身というかサラリーマン感覚が、結局、安倍元首相や菅前首相などメディアに圧力をかけるタイプの権力者に利用されてしまった?
 最初の頃は、安倍さんも菅さんも、そこまで傲慢じゃなかった。第1次安倍政権の失敗があったから、脅しやプレッシャーをかけながらも、マスコミと仲良くやっていこうという気はあった。NHKの会長人事に手を突っ込み、次に朝日新聞が吉田調書問題で降参し、そうこうしているうちに、意外とあっけなくマスコミが倒れてた。相手が弱かったという感じじゃないですか。若い頃に鈴木宗男さんにこう言われました。「記者や官僚の扱いは簡単なんですよ。初対面で徹底的に恫喝するんです。それに屈せずに向かってきたやつとだけは人間として付き合うんです」と。ひどい言葉だけど、実はここに本質がある。政治の問題もあるけれど、むしろメディア側に政治と本気で対峙する覚悟がなさすぎる

「上級国民」でいるなら新聞の復活はない
 ──首相や官房長官の記者会見もひどいですよね。再質問できないし、予定調和。記者はあれでいいと思っているんですか?
 かつて菅官房長官会見が話題になりましたけど、番記者からすると、目の前の官房長官に口を利いてもらえないと仕事がなくなってしまうので必死。これが番記者の恐ろしいところで、官房長官には15社ぐらい番記者がついていますが、菅さんに口を利いてもらうための競争みたいになっちゃってて。菅さんはそれをよく分かっているから、利用して、使い分けながら、番記者の自分への忠誠心を高める。一種の政治ゲームを毎日やってるわけですよ。そうなると、なんとなく目の前の政治家に媚びへつらう。私はそこを突破して番記者をやってきたけど、普通の人はまず取り込まれる。みんなに無視されてもいいという覚悟と空気を読まない強さがいるんです。今の状況を見ると、もう番記者制度は廃止したほうがいいと思います。

 ──記者クラブに入って、みんなで一緒に取材してというシステムが時代に合わなくなっている?
 新聞の政治記事はどこも同じだし、どこからどう出てきたか想像のつくような記事ばかり。むしろ、スポーツ紙や夕刊紙、週刊誌の方が面白い視点や参考になる記事がいっぱいある。日刊ゲンダイのように、立場を鮮明にし、覚悟を決めて強い者に切りかかっていくという記事が読者の共感を得る。これからは、そうした能動的主体的なメディアの時代だと思います。私も「SAMEJIMA TIMES」でそれを目指したい。

 ──なるほど。
 朝日新聞はじめ、エリート臭が強くて。本当は外務省に行きたかったとか、政治家になりたかったとか、道を間違えて新聞社に入った人がウジャウジャいる。そういう人たちは、やっぱり「上級国民」の一員でいたいから、学者や政治家や官僚と手をつなぎながら、新聞社を辞めたら大学教授になることが夢っていう人ばかりなんです。でも違うでしょう。上級国民の勝手を許さない、上級国民を大衆のために監視する、そこで石を投げる、というのがジャーナリズムの原点。そこに戻らない限り、新聞の復活はないと思います。
                (聞き手=小塚かおる/日刊ゲンダイ)

吉田調書問題
 2011年に発生した東京電力福島第1原発事故で指揮にあたった吉田昌郎所長(当時)が政府の事故調査・検証委員会の聴取に応じた記録が「吉田調書」。朝日新聞が14年にスクープした。「東電社員の9割が所長命令に違反して撤退した」という内容に対し、激しい批判が起き、朝日は記事を取り消し、社長が辞任を表明した。

鮫島浩(さめじま・ひろし)1971年兵庫県神戸市生まれ。京都大学法学部卒。94年朝日新聞入社。つくば、水戸、浦和の各支局を経て、99年から政治部。菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家を幅広く担当し、2010年に政治部次長(デスク)。12年に調査報道に専従する特別報道部デスクとなり、翌年「手抜き除染」報道で新聞協会賞受賞。14年に福島原発事故を巡る「吉田調書」報道で解任される。21年に退社してウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊、全文を無料公開。ユーチューブでも政治解説を発信している。