2022年7月27日水曜日

霊視商法は潰され霊感商法は生き残った なぜだ?(澤藤統一郎氏)

 澤藤弁護士はかつて東京弁護士会消費者問題対策委員長だった時代に、「本覚寺」の霊視商法被害の救済に関わり、本覚寺側は霊視・祈祷・除霊というサービスに対する対価ではなく、飽くまで喜捨や布施という意味付けであるとして対抗したそうですが、1次~10次に及ぶ訴訟で、請求した返還額の平均96%を回収したということです。

 ところが本覚寺は訴訟が係属している間にも、本拠地を高野山に移し、新たに「明覚寺」という宗教法人を取得することで、収奪を続けましたが、最終的には和歌山地裁は02年1月に解散命令を出しました。明覚寺は最高裁まで争いましたがこの命令が覆ることはありませんでした。
 弁護団は刑事告訴破産申立て及び宗教法人法81条に基づく解散命令の申立てには権力が信教の自由に実力で介入する前例を作りたくはなかったために躊躇したそうですが、霊視商法に対する社会の糾弾の声が高まると、むしろ警察や行政が機敏に動いたということです。
 その点で今の統一教会が権力と癒着して、献金という暴利を貪り続けていることとは決定的な違いがあります。注目すべき記事です。
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霊視商法は潰され、霊感商法は生き残った。なぜだ?
                     澤藤統一郎の憲法日記 2022年7月25日
 安倍晋三は、統一教会の庇護者ないしはシンパと目されて銃撃の標的とされた。そこで、「統一教会とはなんぞや」「その統一教会と安倍晋三との関係はいかなるものであったか」という2点に、国民の注目が集まっている。
 日本の民主主義を大切に思う立場からも、この2点は徹底して追及されなければならない。政権が安倍晋三の死を国葬という形で政治利用しようという今、その解明は急務となっている。

 実はこの2課題、緊密に関連している。関連性のキーワードの一つが「反社会性」である。統一教会が行った悪徳商法の根の深さが、統一教会の側には政権に擦り寄って庇護を求める必要を生じ、政権の側には教会に庇護を与えてその対価としての政治運動への動員や集票という利益を享受するという持ちつ持たれつの関係を深めた
 もう一つのキーワードは、「反共」である。統一教会が本質的にもつ反共思想と体質は、自民党政権、なかんずく岸・安倍には親和性が高かった。他の宗教とは異なり、ほかならぬ統一教会が自民党とりわけ安倍政権に取り入ることができた理由というべきである。
 統一教会の「反社会性」と「反共」を徹底して究明することが、同教会と安倍晋三や安倍政権との結びつきの必然性と構造を解明することになるだろう。

 大活躍の有田芳生が、7月18日のテレビ朝日「モーニングショー」に出演して、こう述べている。
 「1995年の地下鉄サリン事件の後、警察は『オウム真理教の次は旧統一教会の摘発を視野に入れている』と話して準備もしていた。しかし、その後動きがなかったので、10年後に改めて聞いてみると『政治の力』と言われた
 この有田証言は具体的で説得力がある。統一教会を庇護する『政治の力』は確実にあったものと考えられる。ぜひとも、各メディアは取材を徹底していただきたい。

 また、霊感商法問題に長く携わってきた友人弁護士は、こう語っている。
 「統一協会が政界工作を行うのは、そのことよって政治権力の庇護を受ける、お目こぼしを受けるということを目標としており、現実にその成果が獲得されていると考えてよい。安倍内閣は国家公安委員長として、統一教会に近いことで知られる山谷えり子を据えている。これが政権の意思として当然に教会に対する監視は緩くなる。霊感商法や伝道端緒の印鑑商法の摘発などは抑えられる。国税庁が税務調査の対象にしないとか、国外送金の問題を追及しないとか、そういう現実的な効果を獲得している」

 私は、有田芳生の発言も、友人弁護士の話も、真実性の高いものと実感できる。霊視商法被害救済に関わった経験からだ。
 私は、東京弁護士会消費者問題対策委員長だった時代に、「本覚寺」の霊視商法被害の救済に関わった。当時既に統一教会の霊感商法は猖獗を極めていた。これと区別する「霊視商法」のネーミングは私がした。
 霊感商法は、少なくとも形の上では、壺や印鑑や仏具や書籍の売買である。消費者問題としてのアプローチになじみ易く、民事法的な商品売買についての規制法理の適用も利用しやすい。しかし、霊視商法では商品授受の介在なしに、霊視・祈祷・除霊などに対する謝礼として数百万円から数千万円の金銭が動く祈祷や除霊というサービスに対する対価ではなく、飽くまで喜捨や布施という意味付けで。

 これは、常識的には宗教まがい被害だが、本覚寺側は大真面目に信者の宗教心から出た任意の喜捨であるという。「被害者」の家族から東京都消費者センターへの相談が急増したが、寺側は頑としてセンターからの事情聴取に応じることはなく、「行政が宗教に干渉するのか」と居直った。こうして、霊視商法弁護団が結成されて、東京地裁に提訴した。第1次から10次までの訴訟が続いた。原告となった被害者は359名であった
 訴訟の結果は和解で被害金を回収した。当時の資料を見直すと平均回収率96%である。差押え対象財産が十分に見えず、判決を取ることにはリスクがあった。被害回復を優先すればこうならざるを得ない。ところが、「本覚寺」の霊視商法は、訴訟が係属している間にも、拡大した。関東一円の被害は、愛知に飛び、やがて高野山(和歌山県)に本拠地を移した。新たに「明覚寺」という宗教法人を取得して活動を始めた。当然に、各地で同様の民事訴訟が多数提起された。

 弁護団は結成当初から、刑事告訴も、破産申立ても、宗教法人法81条に基づく解散命令の申立ても躊躇しないと表明していたが、実際には躊躇した。権力が信教の自由に実力で介入する前例を作りたくはなかったからである。
 しかし、霊視商法に対する社会の糾弾の声が高まると、むしろ警察や行政が機敏に動いた。まず、愛知県警により明覚寺系列の満願寺(名古屋市)の僧侶らが摘発された。さらに、宗教行政を管轄する文化庁が、和歌山地方裁判所に宗教法人明覚寺に対する解散命令を請求和歌山地裁は2002年1月24日に解散命令を出した。明覚寺は最高裁まで争ったがこの命令が覆ることはなかった。世に注目される宗教法人の解散命令としては、オウム真理教に次ぐ2番目の事例であった。

 あらためて思う。オウムに対しても、明覚寺に対しても、行政は容赦しなかった。社会的に指弾された宗教団体に対して、刑事的な介入も、解散命令にも、躊躇することはなかった。が、統一教会は別なのだ。オウムも明覚寺も、自民党や政権との結びつきをもたなかった。統一教会だけが明らかに、権力の一部に食い込み、権力の中枢とつるんでいた。この違いが大きいのではないか
 世を震撼させたオウムと統一教会とを比較することに抵抗感を覚える人もあるかも知れない。しかし、統一教会の霊感商法被害の規模は、はるかに霊視商法をしのぎ、その時期もはるかに長い。にもかかわらず、いまだに統一教会は生き残って霊感商法を続けている。その差は、権力との距離如何にあるというほかはない