滋賀県日野町で1984年、酒店経営の女性が殺害され金を奪われた「日野町事件」で、最高裁で無期懲役が確定し服役中、2011年に死亡した元受刑者の再審開始を、大津地裁が認める決定を出しました。
受刑者の死亡後に再審開始が認められるケースは、殺人罪で懲役13年が確定した53年の徳島ラジオ商殺し事件に次ぎ二例目です。
日本では刑事事件での有罪率は99・9%で、諸外国が70%と言われているのに比べ異常に高率です。常識的に考えて30%前後が冤罪である可能性があります。それなのに再審が殆ど認められないのは、再審でどんどん冤罪の判決が出ると裁判所の権威が失墜するからでしょう。
今回再審が認められたのは、検察側が裁判所の要求に応じて880点の証拠を開示したことで、原判決の不合理性が明らかになったためです。
日本の裁判制度では、検察が押収した証拠にうち、検察側に有利なものしか提示しないで済む仕組みになっているのも、被告の権利を無視したものでそれが異常な有罪率の原因になっています。誰が考えてもおかしいこの制度がいまだにまかり通っているのは真に異常なことです。
せめて裁判所は検察に対して全ての証拠を提出させるように指揮をとるべきで、検察がそれに応じなければ「無罪にする」ことなどで対応すべきです。
東京新聞の社説と関係記事を紹介します。
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(社説)死後再審決定 鍵はまたも未提出証拠
東京新聞 2018年7月12日
冤罪(えんざい)の疑いが強まったなら、たとえ本人が死亡した後でも救済をためらってはなるまい。日野町事件で大津地裁が異例の死後再審を認めた。抗告審ではなく、直ちに公開法廷で裁判のやり直しを。
三審制の裁判で確定した判決の重みは言うまでもないが、時に、その確定判決に誤りが見つかることも歴史が示す通りである。
冤罪を訴え、再審の扉をこじ開けるまでの道の険しさは「ラクダが針の穴を通るより難しい」と例えられてきた。ましてや死後再審となれば、極めて異例の救済手続きということになる。その死後再審を大津地裁が認めた。
それほど重大な疑義が確定判決に生じた、と裁判所自らが認めたわけである。検察官抗告で高裁での決着に先送りするのではなく、直ちに公開の法廷に舞台を移して裁判をやり直すべきだ。
無期懲役が確定し、服役中に死亡した阪原弘元受刑者を犯人と結び付ける直接証拠はなく、当初から、自白を裏付ける捜査や証拠の正当性が焦点だった。
一審の大津地裁は、自白の信用性は高くないとしながら状況証拠から有罪が認定できるとし、二審の大阪高裁は、逆に、自白の根幹部分が信用できるとして有罪認定を維持していた。
今回の大津地裁決定は、その自白について「殺害態様の点」「金庫発見場所の知情性を中心とする金庫強取の点」など四つの重要部分において信用性が大きく動揺した、と述べている。
例えば金庫については、原審では、阪原元受刑者が発見現場の山中まで捜査員を任意で案内した、とする「引き当て捜査」の調書が有罪の証拠とされていた。
ところが再審請求審では、検察側が新たに開示した手持ち証拠から意外な事実が判明した。
引き当て捜査で撮影した写真のネガフィルムを調べたところ、実際には帰り道で撮影した写真が現場に向かうときのものとして調書に添付されていたことが判明したのである。元受刑者は本当に案内できたのか。証拠捏造(ねつぞう)ではないのか。
法廷には提出されなかった検察側の手持ち証拠の扱いは、これまでの再審請求事件でも再三、問題になってきた。今回もまた、冤罪の疑いが強まる決め手の一つとなった。
教訓を生かす時ではないか。
今のように裁判官の職権、裁量に任せるのではなく、再審請求審のルールとして未提出証拠の全面開示を目指す必要があろう。
強殺で無期、死亡後に請求 「日野町事件」再審決定
東京新聞 2018年7月12日
滋賀県日野町で一九八四年、酒店経営の女性が殺害され、金庫を奪われた「日野町事件」で、大津地裁は十一日、強盗殺人罪で無期懲役が確定し、服役中の二〇一一年に死亡した阪原弘(ひろむ)元受刑者=当時(75)=の再審開始を認める決定を出した。元受刑者を有罪と裏付けた捜査結果の多くに疑義を示し「捜査員の暴行や脅迫を受け、自白した合理的疑いが生じた」と批判した。日弁連の支援事件で、受刑者の死亡後に再審開始が認められるケースは、殺人罪で懲役十三年が確定した五三年の徳島ラジオ商殺し事件に次ぎ二例目。
疑義を示された捜査結果は、元受刑者が自白通りに金庫や遺体の発見現場まで捜査員を案内したとされる「引き当て捜査」のほか、殺害方法や元受刑者のアリバイに関する知人の証言など七点。大阪高裁での二審では状況証拠や自白を裏付ける有力な証拠となっていた。
なかでも金庫の引き当て捜査の調書では、弁護側が請求し検察側が再審請求審で開示したネガフィルムから、元受刑者が現場へ案内する際に撮影したとする証拠写真の中に、本来はあってはならない帰り道の写真が多数交ざっていたことが判明。今井輝幸裁判長は「警察官は元受刑者が金庫発見現場にたどり着けることを強く期待していた」として、元受刑者が(金庫発見場所に)たどり着くことができたのは、警察官が示唆したヒントを頼りにしたためと指摘。「(元受刑者が)正しい知識を有していたとする判断は大きく動揺した」と結論づけた。
殺害方法も、弁護団が提出した法医学者による遺体の写真や解剖記録の鑑定を基に、自白の内容とは異なると判断。元受刑者のアリバイを否定した知人の証言も「警察官の期待する供述をした」と認定した。状況証拠の一つとされた被害者宅の丸鏡から元受刑者の指紋が出たことには「本件とは別の機会に付着した可能性がある」と指摘した。
今回の再審請求は二回目で、遺族四人が二〇一一年三月に病死した元受刑者の遺志を継いで一二年三月に申し立てた。検察側は地裁の勧告などを受け、ネガをはじめ計八百八十点の証拠を開示していた。今回の決定を受け、検察側は十七日までに大阪高裁に即時抗告するかを判断する。
◆上級庁と協議し対応
<大津地方検察庁・高橋和人次席検事の話> 検察の主張が受け入れられず誠に遺憾である。決定の内容を十分に検討し、上級庁とも協議の上、適切に対応したい。
<日野町事件>
滋賀県日野町で1984年、酒店経営の女性=当時(69)=が殺害されて手提げ金庫が盗まれ、88年、店の常連客で殺害を認めた阪原弘元受刑者が強盗殺人容疑で逮捕された。公判では「自白を強要された」と無罪を訴えたが、一審大津地裁、二審大阪高裁ともに無期懲役の判決を言い渡し、2000年に最高裁で確定。元受刑者は01年に再審請求したが、06年に大津地裁が棄却。即時抗告審中の11年、75歳で病死し終結した。翌12年、遺族が第2次再審請求を申し立てた。