日刊ゲンダイが拉致問題で蓮池薫氏にインタビューしました。
02年に帰国出来た5人の拉致被害者の一人 蓮池薫氏は、現在 新潟産業大准教授として教壇に立っています。
インタビューで蓮池氏は極めて抑制的な表現をしていますが、やはり当事者として誰よりも拉致問題について深く考えているということが伝わります。
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注目の人 直撃インタビュー
拉致問題で蓮池薫氏 「安倍首相は言葉だけでなく結果を」
日刊ゲンダイ 2018年7月2日
史上初の米朝首脳会談を受け、安倍首相も金正恩朝鮮労働党委員長とのトップ会談に意欲を見せている。2004年の小泉再訪朝以降、1ミリも進展しない拉致問題は解決に向かうのか。北朝鮮事情を肌で知る、拉致被害者で新潟産業大准教授の蓮池薫氏に聞いた。
■融和で非核化は進まざるを得なくなる
――米朝会談では両トップが「朝鮮半島における完全な非核化に向けてともに努力する」とした共同声明に署名。しかし、CVID(完全で検証可能かつ不可逆的な廃棄)まで踏み込まず、ICBM(大陸間弾道ミサイル)をはじめとするミサイルに触れなかったことなどから、評価が分かれています。
判断は時期尚早だと思います。完全な非核化に向け、ある程度の形をつくるには時間を要するでしょうし、1回や2回の協議では終わらないでしょう。「完全な」という文言が入っただけでも、スタートラインに立てたとはいえる。私は北に連れて行かれ、長いこと向こうで暮らしましたが、米朝対立は非常に根が深い。今日明日で変えられるようなものではない。家族や親戚を含めれば、朝鮮戦争(1950~53年)で被害を受けていない人は南北双方ほとんどおらず、70年近くにわたってだまし合い、陥れるような状態が続いてきた。長く続いた不信の時代を経ての非核化ですから、信頼感が醸成され、「今回は大丈夫だろう」という手応えがあって進む部分が大きいと思います。
――北朝鮮国内ではどう受け止められているのでしょうか。
米朝会談はおおむね事実に基づいて報じられ、米国に対する批判的な内容はほとんどありません。約40分の記録映画を見て、信じられない思いでした。トランプ大統領にも敬称をつけ、「おふたりは何々をされた」と敬語を用いて紹介していた。国民は今までとは随分違うという印象を持ったと思います。戦争の対立構図の象徴だった米国と北の国旗が色鮮やかに並び、友好や平和のシンボルとして描き出されていた。対米イメージを国民レベルからも変えていく。これも今後の交渉ではプラスになるでしょう。この融和的環境は、北が逆に非核化で進まざるを得なくする要素にもなる、という思いを抱きました。
――北朝鮮の軟化は口先だけではないと。
北が望む体制保証、米朝国交正常化、経済制裁の解除と支援が実現するメドが立てば、非核化を進めると思います。完全な非核化には技術的な検証などさまざまな段階を踏む必要があり、その過程で摩擦が生じることも当然あるでしょうが、北は非核化の意思がないまま交渉入りしたわけではないとみています。
――安倍首相も日朝首脳会談の実現を模索しています。
日本はかなり積極的で、金正恩委員長も否定的ではないという感触がある。ただ、日本にとって問題なのは拉致問題が進展し、日本が望むレベルの回答を得られるかどうか。北の出方を見極め、水面下の交渉を進めて解決の確約をほぼ得た上で、首脳会談で決着をつける形が望ましいと思います。
――北朝鮮は党機関紙や国営メディアを通じて「拉致問題は解決済み」と繰り返しています。
4月末の南北首脳会談以降、党機関紙「労働新聞」の論評などで「既に解決された問題を騒ぐ前に過去の罪悪を謝罪し、賠償するのが筋だ」という趣旨の主張をしていますが、これは微妙な言い回しです。彼らが言いたいのは、「拉致問題を持ち出す前」に「戦後賠償をやれ」ということ。拉致問題は過去の清算を済ませてから、という論調なのです。拉致問題の交渉を否定しているわけではありません。論評はすべて個人名の署名記事で、のちのち問題になったら「個人的な見解だ」と言い逃れができる余地がある。安倍首相が日朝首脳会談に意欲を見せて間もなく、国営ラジオの平壌放送も「日本は既に解決された拉致問題を引き続き持ち出し、自分たちの利益を得ようと画策している」と主張しましたが、平壌放送は国内では流れない。対外向けの放送です。拘束力のある外務省談話、外務省声明のような形式では一切言及していません。
――国家として拉致問題の交渉を拒んでいるわけではない。
日朝対話が始まれば、拉致問題は必ず話し合われます。間違いない。北は交渉に応じてきます。問題は北がどういう形で回答を出し、どのレベルで解決しようとするか。あるいはごまかそうとするか。安倍首相は国会で「何をもって拉致問題を解決したと言うのかという問いが度々ある」「誰を拉致したかを知っているのは北朝鮮だ」「知っていることを全て話し、全ての拉致被害者を帰国させてほしい」と答弁していました。何人を拉致し、誰がどこにいるのかを北は把握しているのだから、被害者全員の情報を出してくるだろうというニュアンスで話をされた。北の情報を日本が検証し、「正直に出してきた」となれば解決に至るのだと私は受け止めました。ただし、その判断には日本独自の情報力が必要です。
政府は確証ある生存者情報を持っている
――日本政府の情報収集力を疑問視する声があります。
拉致問題対策本部が09年に設立されて以来、情報収集のための国家予算がそれなりに計上されています。民主党政権時代の拉致問題担当相が退任後、(北朝鮮に拉致された可能性のある)特定失踪者に関する複数の生存者情報を出したこともあった。おそらく、政府が情報収集した結果でしょう。安倍首相は米朝会談を前にしたトランプ大統領に対し、金正恩委員長が「拉致問題は解決済み」と主張しても、受け入れないよう要請したと報じられている。国家のトップがあやふやな情報をもとに、他国のトップに掛け合うとは思えない。確証のある生存者情報があってのことでしょう。そうした状況からいって、政府はかなりの生存者情報を把握しているのではないか。北が誠意を持って対応せず、出し渋るようだったら、日本独自の情報を活用して前に進めなければなりません。
――14年のストックホルム合意に基づく再調査は頓挫したままですが、展望は開けるのでしょうか。
当時とは状況が違います。あの時も北は外交的に追い込まれてはいました。韓国と中国が接近し、朴槿恵大統領に訪中で先を越され、習近平国家主席も慣例を破って北朝鮮の頭越しに訪韓した。日本に少し近づけば、孤立状態を緩和できると考えたと聞きます。北が特別調査委員会を立ち上げ、活動を始めると宣言し、日本は独自制裁の一部を解除した。北は初期段階の成果は得ましたが、本来の目的である日朝平壌宣言に基づく国交正常化と、1兆円ともいわれる戦後賠償にはたどり着けそうになかった。国際社会が求める核・ミサイル問題を棚上げしたまま拉致問題を解決しても、日本から経済協力を得られる状況になかったからです。だから、拉致カードは使わなかったのです。
■これまでは局面打開の努力が足りなかった
――核・ミサイル問題解決の道筋が見え、国際社会による経済支援が現実味を帯び、日本に拉致カードを切る可能性が高まった。
拉致問題の解決を前提に、安倍首相も平壌宣言の実現に言及しています。日本が経済協力として提示するのは中国や韓国によるものとは異なり、北にとって有利な内容だと強調する必要があると思います。対中貿易が9割を占める北は、中国の経済的属国になりかねないという危機感を強めている。経済的にバランスを取ろうとすれば、支援に積極的な韓国が浮上しますが、政治的変動が起こり得ます。文在寅大統領を支える革新政権から保守政権に交代すればギャップが大きく、先が見通せなくなる。その点、日本の経済協力は「過去の清算」という性格のものなので、北の求めに応じる形にならざるを得ない。これは北にとって非常に使い勝手がいいものになるでしょう。
――第2次安倍政権発足以降の5年半、拉致問題は進展しませんでした。安倍首相の本気度を疑う声も上がっています。
北が核・ミサイル開発を進め、日本に打つ手がほとんどない中でも、何とかして局面を打開し、北をその気にさせてやろうという努力は足りなかったように思う。安倍首相もそうですし、加藤拉致問題担当相にも言えます。しかし、核・ミサイル問題が動く可能性が出てきた。内政での政治的目的もあるかもしれませんが、結果さえ出してくれればいいと思う。「やります」という言葉で世論を誘導するだけではなく、これだけ環境が整ってきているのですから、今回は本気で取り組んで結果を出してほしい。安倍首相も「今度こそ」という思いを強く持っていると信じたいです。 (聞き手=本紙・坂本千晶)
▽はすいけ・かおる 1957年、新潟県柏崎市生まれ。中大法学部在学中の78年、郷里の海岸で北朝鮮工作員に拉致される。02年に帰国後、中大に復学して卒業。05年、初の翻訳書「孤将」(金薫著)を刊行、執筆や翻訳に携わる。09年、「半島へ、ふたたび」で新潮ドキュメント賞受賞。新潟産業大准教授として教壇に立つ。専門は韓国語、朝鮮・韓国文化。