2018年7月15日日曜日

人命救助における行政の不作為の実態(「世に倦む日々」より)

 安倍政権は登場の際に災害対策である国土強靭化を謳っておきながら、他のスローガンと同様に何一つ実行しませんでした。倉敷市真備町の大惨事の原因となった小田川の氾濫は、1970年以降大きなものだけでも5回も繰り返され、国交省はその対策として、高梁川と小田川の合流地点を下流に移し、洪水時の小田川の水位を低下させる事業を計画していたのですが、それが実施されないうちに今回の大事故が起きてしまいました。
 
 外遊で数十兆円をバラまき、その挙句、防衛費の倍増(5兆円→10兆円)まで決めた安倍政権に、財源不足を云々する資格は勿論ありません。
 
 そうした災害対策の不作為はもはや言い逃れは出来ませんが、今度の西日本大豪雨災害において、人命救助における行政の不作為も顕著でした。
「世に倦む日々」氏が、政府の文書を綿密に調べ上げて、自衛隊も消防も警察も人命救助に動いていなかったのは行政側の不作為にあったことを明らかにしました。厳しい視点に基づいた労作です。
 今後、行政は本来どうあらねばならなかったのかをキチンと総括する上で貴重な資料になります。
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自衛隊だけでなく消防も警察も動いてない - 「人命救助」の二重思考 
世に倦む日々 2018年7月13日
必要だったのは、人命救助の出動命令だったのである。政府の初動の報告書にあったように、少なくとも7日午前の時点では2万1000人の陸自隊員に待機命令が出ていて、救助活動への即応態勢がとられていた。だが、これだけの人員が待機しながら、7日中に被災現場で実働した自衛隊員の数はわずか600人しかいなかったのだ。最も被害が大きく、多くの犠牲者を出した真備町の洪水現場には一人も入っていない。その前日の6日13時59分、内閣官房長官から「関係省庁が連携して情報収集に努め、先手先手で対策を講じること」という指示が出され、それを受けて各省庁に情報対策室が設置され、6日15時30分には関係省庁災害対策会議が開かれていた。その後、6日夕刻から深夜にかけて気象庁が西日本の8府県に大雨特別警報を出し、テレビ報道を通じて「命を守る行動」を呼びかけた。この夜、広島をはじめ各地で土砂崩れが発生し、人命の被害が急拡大することになる。小田川が氾濫したのは7日午前0時半だった。このとき、岡山県の小田川と広島県の沼田川の2本の河川が氾濫した。 
 
国交省岡山河川事務所が小田川の堤防決壊を最初に確認したのは7日午前1時34分で、もう一つの決壊箇所を確認したのが午前6時52分、主たる浸水現場となった小田川の北側地域に倉敷市長が避難指示を出したのは午前1時30分である。大洪水となり、7日の午後にかけて水嵩が増して行った。息子と電話で最期まで連絡を取りながら水死した母親の例から推定すると、水嵩のピークは午後1時頃だったと考えられる。真備町の4分の1が水没し、約4600戸が浸水被害を受け、8日午後5時時点で3513人が4箇所の避難所に避難していた。8日午後6時までに救出した人数は1850人。小田川が破堤するとどういう水害が起きるかということについては、住民は必ずしも無知で無警戒だったわけではない。昨夜(12日)のNHKのニュースでは、地元で防災活動する女性リーダーが登場し、小田川の堤防の標高を小中学校の校舎や鉄道の高架にオレンジラインで標示している映像が紹介された。彼女は、真備町に避難勧告が出た6日午後10時から20軒を回り、避難するよう呼びかけていた。ハザードマップも完璧に作成されていた
 
真備町の刻々の情報は、自治体と警察を通じ、自衛隊や消防庁にリアルタイムに上がっていたはずである。内閣府にも、官邸にも。岡山県庁の危機管理課には自衛隊の連絡要員が詰めていたはずで、災害派遣要請の調整を担当したに違いない。実際、6日午後11時11分には、中国5県を守備範囲とする陸自第13旅団(司令部は海田町)に、岡山県知事から高梁市で孤立者が出たので救助してくれという派遣要請が出され、第13特科隊(日本原)の30人が救助に出動して未明に作業を行っていた。だが、不思議なことに、7日に自衛隊は真備町で活動してないのである。防衛省・自衛隊の記録には、7日に岡山県知事から新たな派遣要請があったという記述もない。記載されている情報では、7日に自衛隊に派遣要請したのは京都府と広島県と愛媛県の3県の知事だけである。岡山県知事は7日午前に何をしていたのだろう。倉敷市長、岡山県知事、警察、自衛隊、7日午前にこの間でどういうやりとりがされていたのか検証が必要である。明確なのは、安倍晋三は朝は公邸で寝ていて、イヤイヤながら官邸に行って15分間だけ関係閣僚会議をやり、午前中に私邸に戻ったという事実だ。
 
今回、自衛隊の影が薄いことが目立ったが、自衛隊だけでなく消防の動きも鈍く小さかった。小田川が破堤して、あの雨量であれば、ハザードマップどおりに浸水して大規模が被害が出るのは確実だったし、現に7日朝の段階で救助を求める電話(119番)が消防に殺到していて、屋根の上から多くの住民が救助を求める姿が新聞社や警察のヘリで捕捉されていた。あれほどの規模の水害救助を、倉敷市消防局の能力と態勢で遂行できるはずがない。当然、総務省消防庁が機動的に動かくてはいけない案件で、どれだけの人員と装備と時間が必要で、どうすれば救助が可能かは、プロなら即断できただろう。が、政府の資料を読むと、消防庁の対応がきわめて遅く緩慢で小規模なのである。今回、自衛隊以上に消防の不作為が甚だしいのだ。消防庁が広島県知事からの要請を受け、西日本各府県からの緊急消防援助隊を広島県に送りこみ始めたのが、6日午後8時から深夜にかけてだった。が、なぜか分からないが、岡山県知事から消防庁長官に援助隊の要請があったのが、7日午前8時半で、小田川の堤防決壊が国交省岡山河川事務所によって確認され、倉敷市長からの避難指示が出て7時間も経った後になっている。
 
7日未明からの岡山県知事の行動も不審だが、それを言う前に、災害救助の専門機関で責任当局である消防庁が、真備町に対して7日の未明から早朝にかけて何も手を打たなかった不作為は異常に過ぎる。岡山県知事からの派遣要請を受け、広島県に向かっていた愛知県大隊が、途中で出動先を真備町に変更したのが午前8時50分、現地に到着して活動を始めたのは午後1時30分だった。家屋一階に取り残された足の不自由な高齢者たちが、溺れて息絶えていた時間帯である。午後にかけて、岡山県、奈良県、大分県の防災ヘリが上空で活動し、屋根の上に避難していた住民19名を救出したことが報告されている。わずか19名。どうしてこれほど消防による人命救助が薄く遅かったのだろう。警察庁も酷くて、何もしてなかったからか、政府の報告書に何も具体的な行動を記載していない。真備町だけでなく7日の救助活動の実績がない。自衛隊だけが不作為で動かなかっただけでなく、消防と警察がまともに動いてない。救助当局が様子見を決め込んでいた。なぜそうしたかというと、トップの安倍晋三が無関心で、人命救助の意思がなかったからだ。
 
7日朝の関係閣僚会議で、安倍晋三は「人命第一の方針」「救命救助に全力」「先手先手で」と言っている。このキーワードは官房長官会見でも並べられ、NHKのニュースが7日に何度も復唱したし、今もリフレインする報道が続いている。が、どうやらこれらの言葉は、オーウェルの言う二重思考(Doublethink)の政治言語だと気づく。小説「1984年」に登場するところの、真理省などの意味と語法と同じだ。オーウェルは政治学の財産を残してくれた。オーウェルから分析方法を学んで眼前の政治を本質化すれば、すなわち、「人命第一の方針」とは、災害弱者は自己責任で見殺しにするから救助するなという方針の意味であり、「救命救助に全力」とは、救助するフリをしてサボれ、テレビに撮らせてアリバイを作れという意味に他ならない。「先手先手で」とは、まさしく救助は後手後手にやれという指示であり、急いでやるなという示唆であり、遺体捜索活動の絵を長々とNHKに流させろという意味である。安倍晋三の「人命救助」とは「遺体捜索」の意味なのだ。嘗て、霞ヶ関用語なる政治言語の範疇と体系が存在したが、現在は安倍晋三の二重思考言語が日本の行政機構とマスコミを支配している
 
今回、防災大臣の小此木八郎の記者会見というのがない。テレビのニュースや新聞の記事で話題にならない。防災行政を担当する責任者ではないか。結局、250人以上が死亡不明という未曾有の大災害となったが、この男は6日と7日に何をしていたのだろう。救助の初動の遅れが言われているこの災害対策で、この男は関係機関(消防・警察・自衛隊)からどういう報告を受け、どういう指示を出し、官邸(安倍晋三と菅義偉)にどういう指示を仰ぎ、緊急救命行動の調整と決定をしていたのか。防衛大臣(自衛隊)の小野寺五典、総務大臣(消防庁・自治体)の野田聖子、国交大臣(気象庁・地方整備局)の石井啓一、この閣僚たちは何をしていたのか。マスコミは、どうしてこの面々に直撃取材して責任追及をしないのか。各省の事務次官に質問しないのか。そして、岡山県知事と愛媛県知事にカメラを向けないのか。私は分からない。昔はこんなことはなかった。大きな災害が起きれば、県知事が災害対策本部長としてテレビの前に出た。責任者として登場した。今は行政の責任者が隠れ、代わりに災害専門家なる御用学者が出て来て、避難しろ、避難しろ、避難しないのは自己責任だ、日頃の意識が薄すぎるのだとワンパターンの説教三昧に明け暮れる。
 
避難したくてもできない、足の悪い要介護の高齢者はどうすればよいかは、一言も言わない。地域で助け合えと言いたいらしく、地域責任にしたいのか、コミュニティという言葉を乱発して煙に巻く。四国整備局がダムを放流して犠牲が増えた件は言わない。自衛隊と消防が初動の人命救助に遅れた問題には蓋をする。昔は、浜田幸一とか亀井静香のような政治家がいて、救助当局の幹部に「何やってるんだ」と電話で一喝すれば、それですぐに上から組織機構が動き始めたものだ。続いて社会党代議士が電話を入れ、「国会で質問するぞ」と脅せば、役人や六本木の背広が縮み上がり、それなりに国民が納得する災害対策行政が進行した。中選挙区の政治家たちが、秘書団と県議市議団を引き連れ、われ先に長靴と帽子と防災服で現地に入り、災害対策の先頭に立つ競争を演じた。それが国民と政府の前提的な観念で、いわば災害安全保障のセーフティネットだったと言える。国家の救済が担保されていた。それ以前に、マスコミが、今のような不作為や欺瞞を放置しなかった。そうした民主主義の環境下で、憲法違反の日陰者の身ながら、無法松のようなプライドと使命感で、危険な現場に突入して、不断不休のシャベルで人命救助する自衛隊の姿があった。
 
思い出して懐かしい。今は、不作為とエクスキューズの詭弁と自己責任だけ。腹立たしくて涙が出る。