安倍首相が、拉致被害者救出に向けていまだに無作為を決め込んでいる中、日刊ゲンダイが超党派・日朝国交正常化推進議員連盟会長の衛藤征士郎氏にインタビューしました。
日本にはいまだに「すべての拉致被害者の帰国の実現が期待できる局面で日朝首脳会談を開催するべき」という、意味不明の主張をするグループ(家族会の一部を含む)がいますが、それはいわば「北が折れてくるのを待って交渉せよ」というあり得ない想定に基づくものです。
そもそも彼は「拉致問題の安倍」を標榜して自分を売り込む一方で、この5年半、拉致被害者救出のための行動は何一つ取らず、徹底的な無作為を貫きましたが、最近その理由が五十嵐仁・法大名誉教授によって明らかにされました。
月刊誌FACTA」の最新号に、「北朝鮮を非難して国内の人気を高めるために拉致問題を中途半端な状態にしておくよう、安倍首相が外務省に圧力をかけた」という記述があるということです。 ⇒ (6月29日) 安倍首相のままでは拉致問題は解決しない
拉致被害者とその家族の苦悩などには一切お構いなく、それを自分の虚名のために利用するというもので、言語道断、政治家としては勿論、人間として行ってはならないことです。普通の人間であれば恥ずかしくてとても口にはできないことですが、彼が「普通の人間」でないことが良くわかる話です。そんな人間が道徳教育を口にすること自体が笑止です。
ここではその話はしばらく(姑く)措くとして、衛藤氏は、拉致問題は人命が最優先なので、ポンペオ米国務相が独自に交渉を行って北に抑留されていた米人を解放させたのに倣って、直ちに日朝首脳会談を行い解決に向け努力すべきであると述べました。
まさにそれ以外にはありません。
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注目の人 直撃インタビュー
日朝関係で衛藤征士郎氏「安倍政権も北朝鮮と直接対話を」
日刊ゲンダイ 2018年7月30日
歴史的な米朝首脳会談の実現を受け、国会では超党派の日朝国交正常化推進議員連盟が10年ぶりに再始動した。政府や国会には安易な対話路線にクギを刺す意見もあるが、議連は、国交正常化の議論を先にテーブルに乗せた方が、拉致問題も早く解決できる、という考えのようだ。日朝国交正常化推進議員連盟会長の衛藤征士郎氏(77)に詳しく聞いた。
■拉致問題は人命が最優先
――10年ぶりに議連が動き出しました。
政府間外交、議員外交、民間外交とあるものの、外交は、まずは政府の専管事項ですので、政府の懸命な努力を我々としてはこれまで見守ってきました。しかし、なかなか結果が出ない。拉致というのは、人命の問題であり、人権の問題です。何としても早く解決して差し上げねばならない。そういう思いをずっと持ち続けてきました。
――確かに、小泉訪朝によって拉致被害者5人が帰国してから、ずいぶん経ちました。
議連には、拉致問題は、国家の誇りや威厳といったものを超越した形で、人命と人権を最優先して解決しなければならないという強い意思があります。そんな中、激しく対立していた米朝関係が和解の方向に転じました。和解のメッセージが国際社会に対し劇的に発信されたのが、6月12日のシンガポールでの米朝会談でした。そして、その前段の4月27日の板門店会談。北朝鮮の金正恩委員長と韓国の文在寅大統領の会談において、金正恩委員長は「日本といつでも対話する用意がある」と明言したわけですよ。いよいよ北が国際政治に直接関与する機運が出てきたのだと思う。この機会をしっかり捉えて対応しなければならないと思ったのです。
■米朝の結果にかかわらず日本は主体的に
――この激動の時に、日本が何をするかが問われていると?
そうです。国権の最高機関である国会の責務として、政府に対して速やかな北朝鮮との直接対話を要請する必要があると思うんですね。直接会談の機は熟した。このチャンスに「日朝の首脳会談が実現するよう最善を尽くす」ということを、国会として内外に意思表示する。そうすれば、北朝鮮も「日本の国会が国交正常化に向けて一歩踏み出した」と受け止めるだろうと考えています。
――国交正常化というメッセージ、ですか。
日朝間には平壌宣言がある。この宣言に書かれている文言は、まさに国交正常化の基準なんです。これにのっとって、履行する責務がある。しかし、不幸なことに、両国政府の行き違いがあって、双方がそれぞれの立場を主張して、成果のないまま今日まできた。北朝鮮は「平壌宣言を守らないのは日本だ」と言い、日本は「冗談じゃない。ミサイルを撃ち込んだり、核開発をするから、あなたたちが宣言に違反しているんじゃないか」と反論し、お互いに言い募っているだけで歩み寄りが全くない。このままの状態で誰が犠牲になるのかといえば、拉致被害者やその家族ですよ。本当に申し訳ない。拉致されてからもう40年も経ってしまいました。
――政府は「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」と言ってきましたが……。
極論を言えば、それで40年経ってしまったんです。「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」という道だけではなく、別の選択肢として、もっと大きな交渉のテーブルを、むしろ日本が主導して、主体的に作るべきではないですか。拉致問題だけを小さなテーブルで解決すると言ってきましたが、もっと大きなテーブルに拉致も核もミサイル問題も乗せる。平壌宣言に書いてある日朝間の不幸な過去を清算するための懸案事項も乗せる。さらには、無償資金協力や低金利の長期借款、国際機関を通じた人道主義的支援など、平壌宣言に書いてある国交正常化後の具体的な経済協力もテーブルに乗せる。その中で、拉致問題の解決の確かな糸口を見いだすということだと思います。遺骨収集の問題や特定失踪者の問題も、大きなテーブルならいろいろ話ができるのではないでしょうか。
■今こそアメとムチの使い分けを
――拉致問題が先だと言い続けるだけでは物事は動かない。
5月に米国のポンぺオ国務長官と会った北朝鮮の金英哲副委員長は、日本人拉致問題は解決済みと明言しているんです。このままでは今の状態がずっと続いてしまいかねない。拉致被害者だった曽我ひとみさんが、7月5日に安倍首相に早期の日朝首脳会談の実現を要請しました。そこで首相は「日本が主体的に対応することが求められている」と発言しています。まず拉致問題、ではなく、まずは直接対話です。そして、双方の交渉の窓口を決め、文書に書き留める。米朝は6月12日の会談で、それをやりました。そこから始まるんですよ。日本も同じことをやったらいい。
――2度の小泉訪朝以降、この間、もう少し拉致問題を前に進めることはできなかったのか、と残念です。
何らかの前進的な話し合いや成果を出せなかったのだろうか、ということは誰しもが思っていることだと思います。米国は北朝鮮と国交正常化をしていないのに、ポンぺオ国務長官が3度も北朝鮮を訪問した。日本も同じ条件なのに、それができない。問題はここですね。だからこそ、風穴をあけていかないといけないのです。
――どうも日本は、圧力一辺倒が過ぎたのではないでしょうか。米国もそうですが、世界の外交では、表では強く出ながらも、水面下では交渉している。
そう。アメとムチ、北風と太陽ですね。制裁と対話をうまく駆使して、使い分ける。今こそ、それが大事なんです。日本はこの十数年、ムチだけできた。制裁、それも最高の制裁と最大の圧力。そうすれば北朝鮮は必ず「参った」と降参するだろう、向こうから国交正常化のテーブルに着いてくるだろうというシナリオだったのです。しかし、どっこい北朝鮮は、そんなシナリオに乗ろうとする姿をみじんも見せない。どうしてかというと、密かに隣国の中国が北を支援するし、ロシアもエールを送っている。そうした中で、日本が言うような制裁は実質的には効いていないのです。
■まずは直接対話を
――議連としてはこの後、どう活動していきますか。
国会は北朝鮮に対して、国連安保理に基づく制裁措置の完全履行を求める決議をしています。米朝が新しい動きに踏み出した今、新しい国会の提言なり決議をする努力をしたい。内容は先ほど申し上げたように、「拉致、核、ミサイルなどの諸問題を包括的に解決するため、日朝両首脳の直接対話と直接会談が切に望まれている今、政府に速やかな日朝首脳の直接対話を行うよう要請する」というものになると思います。もちろん単に政府に要請するだけでなく、その実現に向け、我々国会も最善を尽くすということを表明します。
――議連では、議員外交もスタートさせるとしています。
今は制裁決議をしているので、議員が北朝鮮には行けない。しかし、新たな決議をすれば、各議員が北とのパイプを模索しながら、いろいろ動き出しますよ。もちろん、それは日朝首脳の直接対話に貢献する行動でなければいけません。
――ただ、米朝の動きは先行きが見通せない部分もあります。日朝については米朝の動きを見ていくべきなのか、それとも日朝は日朝でやっていくべきなのか?
米朝会談の結果が出なければ日朝会談はやらないという、そういうアプローチではないと私は確信しています。米国は自ら交渉して拉致された3人を取り返したじゃないですか。日本も同じことですよ。主体性を持ってやって欲しい。
――米国や韓国頼みではダメだと。
安倍政権は制裁路線で国際社会に対し強いリーダーシップを取ってきた。そういう経緯があるので、こちらから先に手を差し伸べたりしづらいと思う。しかし、国の誇りやメンツが少々傷ついてもいいじゃないですか。拉致問題の完全解決のために、日朝首脳会談のテーブルに着いてもらいたい。 (聞き手=小塚かおる/日刊ゲンダイ)
▽えとう・せいしろう
自民党衆議院議員(大分2区・12期)。1941年大分県出身。66年早大政経学部卒業。71年全国最年少(29歳)で玖珠町長。73年早大大学院政治学研究科修了(国際政治)。77年参議院議員、83年衆議院議員に初当選。農林水産政務次官、外務副大臣、防衛庁長官、衆議院副議長などを歴任。