2018年7月22日日曜日

日本政府に見捨てられた「公安スパイ」

 '13年以降、日本から中国に入国した20人以上が中国当局に身柄を拘束され、続々と有罪判決(懲役刑)が出されています。
 その大半は公安調査庁の協力者で日本人だけでなく、日本に帰化した元中国人在日中国人も含まれています。
 警視庁公安部外事第二課の捜査員に言わせると
「公安調査庁の運用は乱暴すぎる。協力者を金で買って、国外に送り込んでリスクの高いことをやらせる。彼らは単独で行動させるだけで、リスク管理がまるでできていない」
ということです。定めしその通りなのでしょう。
 
 桜坂 拳太朗氏が「現代ビジネス」に「週刊現代」201884日号の概要を紹介しました。懲役囚となれば、壮絶なる獄中生活が待っているということで、その実態も記事の中心部分をなしているようですが、その部分はカットされています。
 しかしそんな風に、「公安スパイ」が政府によって使い捨てにされている実態を知るだけでも十分に衝撃的です。
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日本政府に見捨てられた「公安スパイ」の悲惨すぎる肉声
中国で実刑判決を受けると、どうなるか
桜坂 拳太朗  現代ビジネス 2018年7月20日
「週刊現代」201884日号
「懲役5年」「懲役12年」— 。中国でスパイ罪に問われた日本人に、続々と判決が言い渡されている。日本の政府機関に雇われた協力者=スパイだ。隠蔽される「スパイごっこ」の実態を、本日発売の週刊現代でフリージャーナリストの桜坂拳太朗氏が明らかにしている。
 
妻の極秘面会
2ヵ月に一度、ふたりの男は横浜から神奈川県某所に向かう。彼らにとって憂鬱な日だ。 
用意した部屋に女性がやってくる。沈痛な面持ちの女性を前に、50代の男がメモを見ながら話す。
「旦那さまは特別注文で、食べたいものを食べているそうです。肉や魚、野菜をバランスよく食べて、食事については不自由ないそうです。ビタミン剤も飲んでいます。インスタントコーヒーも飲めるし、バターやジャムも買っているようですよ」
 
ふたりの男は関東公安調査局・横浜公安調査事務所の調査官。相対する女性は2015年5月、中国に拘束されたM氏(57歳)の妻だ。
調査官たちは、在瀋陽日本総領事館が2ヵ月に一度行う「M氏との領事面会」の内容を伝えているのだ。調査官は妻を安心させるため、獄中のM氏の快適な生活を強調するのだが、妻は納得しない。
 
「体調はどうですか?」「精神状態は?」
調査官は、外務省から聞いた真実を妻に話さざるを得なくなった。
「……疲労は溜まっていて、耳鳴りを訴えています。睡眠薬を飲んでいるそうです」
両者の間に沈黙が訪れる。公安調査庁の幹部はこう明かす。
「M氏は横浜(公安調査事務所)が運用していた協力者だから、彼らが家族のケアを担当している。だが我々の対応に、奥さんも息子さんも不満を持っており、連絡担当者も次々と変わっています」
M氏は公安調査庁に雇われた協力者=スパイだった。妻はこう叫ぶ。
「夫は日本のため、拉致被害者を救うために働いていたのです。なぜ助けられないのですか」
M氏は今月13日、遼寧省の丹東市中級人民法院で懲役5年の実刑判決を受けた。同じく、浙江省温州市でスパイ容疑で拘束された愛知県のI氏(54歳)も今月10日、懲役12年の実刑判決を受けている。
この2人以外に、中国では、6人の日本人がスパイ罪や国家機密等窃盗罪で拘束されている。
 
「これは氷山の一角です。'13年以降、日本から中国に入国した20人以上が中国当局に身柄を拘束されています。その大半は公安調査庁のエージェント(協力者)です」(日本政府関係者)
拘束されたのは、日本人だけでなく、日本に帰化した元中国人、在日中国人もいる。その多くが、公安調査庁に協力を依頼されて、情報収集をしていた協力者だというのだ。
 
謝礼は月15万円
M氏は北朝鮮から脱北した日本人だ。M氏の母は在日朝鮮人の夫とともに、帰還事業で北に渡った、いわゆる日本人妻だ。北朝鮮に渡ったとき、M氏はまだ子供だった。
「Mの父親は金日成像の建設工事中に労災死した。その功績で、Mは朝鮮人民軍総政治局傘下の幹部候補に抜擢された」(公安調査庁関係者)
 
だが、やがてM氏は家族で脱北し、日本に戻った。苦労して息子も育て上げ、M氏は脱北者の妻と神奈川県内のマンションで暮らしていた。ようやく掴んだ幸せだった。
だが、北朝鮮との縁は切れなかった。朝鮮語が堪能なため、中朝国境地帯に頻繁に行き、北朝鮮事情を集めては、日本の報道関係者に情報提供するようになった。
そんなM氏に接近したのが、法務省傘下の情報機関である公安調査庁だ。日本を代表するインテリジェンス機関の座を虎視眈々と狙う。
霞が関内部の権力構造では末席に置かれるが、自らをCIAのカウンターパートと名乗り、スパイを使った人的諜報=ヒューミントに力を入れている。
 
「Mは北朝鮮にいた頃、日本出身者としては異例の高位にいて、軍の内情などを知り尽くしていた。瀋陽や丹東など中朝国境地帯に行き、北朝鮮から出てくる軍関係の知り合いと会い、北朝鮮の内部情報をとれる稀有な存在だった」(前出・公安調査庁関係者)
公安調査庁が提示した謝礼は月15万円。命がけの仕事には見合わない額だ。妻の実家がパチンコ関連の仕事をしていて、生活には困らなかったM氏だが、「日本のため」「拉致被害者を救おう」という誘い文句に応じた。
'10年頃から、公安調査庁の運用担当者は対北情報収集のための危険な任務を次々と依頼する。M氏はこれに応じ、たびたび中朝国境地帯に飛んだ。
中朝国境地帯は、対北朝鮮インテリジェンス関係者の間では「ホットスポット」だ。中国の諜報機関・国家安全部だけでなく、北朝鮮の防諜機関・国家保衛省も暗躍する。
 
公安調査庁と犬猿の仲にある警視庁公安部外事第二課の捜査員はこう指摘する。
「公安調査庁の運用は乱暴すぎる。協力者を金で買って、国外に送り込んでリスクの高いことをやらせる。我々ならば協力者を守るために『防衛』(護衛要員)を配置するし、拘束されたときのマニュアルを叩き込む。だが彼らは単独で行動させるだけで、リスク管理がまるでできていない
 
'15年5月、M氏は突如、遼寧省で失踪した。中朝国境地帯で日本製品を販売するビジネスを立ち上げるために現地を訪れていたが、裏では公安調査庁の依頼で、情報源である朝鮮族のブローカーと接触していたと見られている。
中国国家安全部に身柄を拘束されていることが明らかになったのは、しばらくたってからだ。
「M氏は当初、予防拘束のような形で、ホテルで取り調べを受けた。そして、日本政府の協力者であることを自供したところで、正式に逮捕された。身柄は遼寧省丹東の刑事施設に置かれていた」(前出・日本政府関係者)
 
中国でスパイとして拘束された者はいかなる獄中生活を送るのか。これを経験した人物がいる。
残留孤児二世として日本に帰国した田原博氏(仮名)だ。日本政府に協力して中国に送り込まれ、スパイとして拘束、投獄された。田原氏が語る。
「'96年、北京で情報収集して、日本に帰国しようと北京空港に到着したとき、周囲を取り囲まれた。荷物の中から機密書類が出てきたため、安全部の施設に連行されました。4日間、黙秘しました」
週刊現代8月4日発売号では、中国でスパイ拘束された者の、壮絶なる獄中生活の実態が明かされている。