2020年1月10日金曜日

森法相自ら「日本で推定無罪の原則が守られてない(ゴーン氏)」を追認

 8日のゴーン氏の会見について、日本のTVなどは「新しい事実はなかった」、「肝心の脱出劇の詳細に触れなかった」あるいは「政府高官の名前が出なった」などと、やや批判的な報道をしています。
 会見でゴーン氏が強調した「人質司法」については、確かにこれまでも外国のメディアが報じて来たことですが、本人から語られるのは初めてでした。脱出の詳細を語れば協力者に害が及ぶし、日本政府との関係でレバノン政府の立場を不利にする発言も出来ないなどの様々な制約の中での会見でした。

 会見にあたり出された東京地検の次席検事名の公式声明では、「検察は被告人ゴーンの犯行について、有罪判決が得られる高度の蓋然性が認められるだけの証拠を収集し、公訴を提起した」と述べる一方で、ゴーン氏の「保釈指定条件において妻らとの接触が制限されたのは、・・・妻を通じて被告人ゴーンが他の事件関係者に口裏合わせを行うなどの罪証隠滅行為を現に行ってきたことを原因とするもので、被告人ゴーン自身の責任に帰着するものである」としています。
 これについて金岡弁護士は、「有罪判決が得られる高度の蓋然性が認められるだけの証拠を収集したなら、あるべき姿勢は、ゴーン氏が妻と打ち合わせを尽くすなど万全の防御を講じたとしても有罪立証は揺るがないから『どうぞどうぞ』という、被告人の防御に思いを致すことが公益の代表者としての公正なものであろう(要旨)」と述べています。

 法曹資格を得るための司法修習所では、「99人の真犯人を逃すとも1人の無辜を罰してはならない」と教えられると言われています。
 しかしその精神に全く反する「人質司法」が日本では厳然と行われています。
 罪を認めるまでは無期限に拘置所に留め置かれることに耐えられる条件のある人は殆どいません。一家の働き手であれば家族が飢えることになるし、仮にそうでなくても職場を失うことになるので、拘束から解放されるために検察のいうがままに罪を認めることになります。その絶大なる『効果』こそが、日本の検察が国連からどんなに批判されても「人質司法」を止めない理由です。
 ゴーン氏の会見を聞いた西川元日産社長は「あの程度の事柄であれば国内で発言すればいいことだ(要旨)」と述べていましたが、検察がゴーン氏にそんな自由を認めるとでも思っているのでしょうか。
 日本の検察は、被告に有利な証拠を含めてあらゆる証拠を押収し、しかもその内容は公表しません。それだけではなく起訴後も被告には自己を「防御」する活動を認めようとしません。起訴した以上は何が何でも有罪に持ち込むということが彼らの至上命題になるのです。そこには「無辜を罰してはならない」という原理は、もはやクスリにしたくても存在しません。起訴前にふるいを掛けるので、「起訴後の有罪率が99.8%などと異常に高くても不思議ではない」などというのは綺麗ごとに過ぎません。

 ゴーン氏がレバノンで記者会見をした直後の、日本時間の深夜にに法務相が異例の記者会見を行いました。しかしその発言は いまや国民の常識になっている「推定無罪」の原則から明白に逸脱していたということです。
 法相は、「ゴーン被告人に嫌疑が掛かっているこれらの経済犯罪について、潔白だと言うのなら司法の場で正々堂々と無罪を証明すべきである」と述べたのですが、それは「被告人は自らの無実を証明できなくても構わず、あくまで検察官が有罪であることを証明しない限りは無罪になる」という「推定無罪」の原則(有罪を証明する責任は検察側にある)に反するものでした。

 ブログ「深海 BUZZAP」が鋭く指摘しました。以下に紹介します。
 文中の太字強調個所は原文に拠っています。
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「司法の場で無罪証明を」森法相がゴーンの「日本で推定無罪の原則が守られてない」という主張を自ら追認
深海 BUZZAP! 2020年1月9日
近代法の大原則である「推定無罪の原則」が日本では守られていないというゴーン被告の主張をまさかの法務大臣が追認する事態となってしまいました。詳細は以下から。

◆森雅子法相が日本の司法の「推定無罪」の原則を否定
日本時間1月8日22時から行われたカルロス・ゴーン被告の会見を受け、森雅子法務大臣が深夜に異例の臨時会見を行ってゴーン被告を批判しました。
これによって結果的に、ゴーン被告が会見で訴えた推定有罪の原則がはびこっているという主張を自ら証明する形になっています。
当然ですが、日本を含めた先進国の裁判では推定無罪が原則中の大原則であり、これに外れることは日本の司法が前近代的なものであることを自ら認めることになります。森雅子法相は自身も弁護士であり、その原則を知らないことは絶対にあり得ません。

◆推定無罪の原則とは?
日本弁護士連合会によると、「無罪の推定」とは、犯罪を行ったと疑われて捜査の対象となった人(被疑者)や刑事裁判を受ける人(被告人)について、「刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とする近代法の大原則です。
被告人は無罪と推定されるこの原則により、刑事裁判では検察官が被告人の犯罪を証明する必要があります。つまり被告人は自らの無実を証明できなくても構わず、あくまで検察官が有罪であることを証明しない限りは無罪になるということ
この推定無罪の原則は日本も批准する国際人権規約にも明文化されており、B規約第14条2項は刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有するとしています。

こうした原則が近代法の基盤となった理由は、無罪の証明が極めて難しいことにあります。場合によっては「悪魔の証明」のようになるケースもありますし、加えて捜査当局と被疑者・被告人の力関係には大きな差があります。
検察や警察は、組織・人員と、捜索・差押え・取調べなどの強制力をもちいて証拠を集めることができますが、被告人は自分に有利な証拠を集めるための強制力も組織も持っていません。場合によっては自由な行動や連絡を取る自由すらも逮捕拘留などで奪われることもあります。

◆日本の司法の歪みは国連でも批判
日本の司法の歪みについてはゴーン被告の弁護人が刑事裁判を考える:高野隆@ブログ_彼が見たもの」とするブログで批判して大きな反響になりましたが、こうした批判はこれまでも国内外で常に指摘されてきたことです。
2013年には国連の拷問禁止委員会の審査会でアフリカのモーリシャスのドマー委員が、「日本は自白に頼りすぎではないか。これは中世の名残だ」と日本の刑事司法制度を批判。
これに対して外務省の上田秀明・人権人道大使が「日本は、この(刑事司法の)分野では、最も先進的な国の一つだ」と開き直り、会場の苦笑する参加者らに顔を真っ赤にして「Don't Laugh!(笑うな!)」「Shut up!(黙れ!)」と叫んだ事件を覚えている人も多いのではないでしょうか。その際の動画は以下から。
    (動画 URL https://youtu.be/hkoQjIBA_3U )
日本の司法では自白さえあれば証拠がなくとも有罪にできるケースが多々あるため、長期拘留や弁護士の立ち会いなしでの高圧的な取り調べによって「自白」を引き出し、結果的に無罪の人間を犯罪人に仕立て上げることにもなります。
例えば2012年に発生したパソコン遠隔操作事件では単にPCを乗っ取られただけの4人が誤認逮捕され、自白などを強要させた警察のずさんな捜査が大きな問題になりました。
その後も森友学園問題に絡んでは、森友学園の籠池泰典元理事長が妻と共に逮捕されて300日間拘留されるなど、拘置所が代用監獄として、自白強要の装置として使われているという批判は今も続いています。

◆全く笑えない「司法の場で無罪証明を」発言
ゴーン被告の自らの経緯を踏まえた上での批判、これまでの日本の司法の繰り返されてきた問題点、そして「推定無罪の原則」という近代法の大原則の存在を考えれば、森雅子法相のこの発言は日本の司法制度の致命的な問題点を自ら世界中に公表したことになります。
森雅子法相はことの重大さに気付いたのか、1月9日16:32のツイートで「無罪を証明」は「無罪を主張」の言い間違えであると釈明し、訂正。

森まさこ Masako MORI @morimasakosangi
無罪の『主張』と言うところを『証明』と言い違えてしまいました。謹んで訂正致します。記者の皆様に配布したコメント文面には"わが国の法廷において『主張』すればよい"と記載してましたが私が言い違えてしまいました。無罪推定の原則は当然重要な原則であり日本の司法もこの原則を遵守しております。

ですが昨夜の会見後の1:35のツイートでも「無罪を証明」と書いており、こちらはツイ消し後未明の5:16に「無罪を主張」に書き換えたものを再度ツイートしているため単なるその場の「言い間違え」で済む問題ではありません。
また法務省公式サイトの会見全文を見ると「個別事件に関する主張があるのであれば、具体的な証拠と共に、我が国の法定において主張すればよい」としており、無罪を主張するゴーン被告に対して具体的な証拠を提示して争うように求めるなど、やはり推定無罪の原則を理解できていないことが分かります。
繰り返しますが「証明」か「主張」かといった文言の問題以前に、刑事裁判では有罪の具体的な証拠を検察が出さなければなりません。

この文言は英語版でも「If defendant Ghosn has anything to say on his criminal case, he should make his argument at a Japanese court and present concrete evidence」となっており、結果的に世界に日本の司法への不信をこの上なく煽り、ゴーン被告の主張の内容を補強するものとなってしまっています。