2020年1月17日金曜日

森法相の大失言が世界に印象付けた「自白強要文化」

 ノンフィクションライター窪田順生氏が「  森法相の大失言が世界に印象付けた『自白強要文化』」とする記事を出しました。記事は、14日にニューヨークの国連本部で行われた国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ代表の記者会見もカバーしています。

 事実関係については特に新しいものはありませんが、森法相を含めて日本人の多くが無意識のうちに植え付けられている「被疑者は有罪」という誤った固定観念が、間違った発言につながりあるいは発言しないまでもそういう観念が心中にあって思考の方向を定めているのだと指摘しています。
 日本の「自白強要文化」という恐るべき現実を改めて認識させられます。
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ゴーンに惨敗した日本、
森法相の大失言が世界に印象付けた「自白強要文化」
窪田順生 ダイヤモンドオンライン 2020.1.16
ノンフィクションライター
 日本から逃亡してレバノンで記者会見を開いたゴーン氏に対して、森雅子法務大臣が放った一言が、国際社会で「日本の司法制度の欠点を表している」と物議を醸している。この一言で、日本vsゴーンの第1ラウンドは、「日本の惨敗」が決定的となった。(ノンフィクションライター 窪田順生)

森法相の「失言」に
日本の司法の本質が出ている
 世界が注目した日本vsカルロス・ゴーン。その第1ラウンドは完全にこちらの「惨敗」のようだ。
 メディアの注目がマネロン疑惑へ向かわぬよう、日本の司法制度をこれでもかとディスった“ゴーン劇場”。それを受けて、珍しく迅速にカウンターを打った日本政府だったが、森雅子法務大臣がドヤ顔で「ゴーン被告は司法の場で無罪を証明すべきだ」と口走ったことが、国際社会をドン引きさせてしまったのである。
 逃亡を許した途端、大慌てでキャロル夫人を国際手配したことで、全世界に「へえ、やっぱ日本の捜査機関は好きな時に好きな罪状をつくれるんだ」と印象付けたことに続いて、ゴーン氏のジャパンバッシングにも一理あると思わせてしまう「大失言」といえよう。
 実際、森法相が「無罪の主張と言うところを証明と間違えた」と訂正をしたことに対して、ゴーン氏の代理人がこんな皮肉たっぷりな声明を出している。
「有罪を証明するのは検察であり、無罪を証明するのは被告ではない。ただ、あなたの国の司法制度はこうした原則を無視しているのだから、あなたが間違えたのは理解できる」(毎日新聞1月11日)
 つまり、ゴーン陣営が国際世論に対して仕掛けた「日本の司法制度はうさんくさい=ゴーン氏にかけられた疑いもうさんくさい」という印象操作に、まんまと日本側が放った「反論」も一役買ってしまっているのだ。
 と聞くと、「ちょっとした言い間違いで日本を貶めやがって!」と怒りで我を忘れそうな方も多いかもしれないが、ゴーン氏の代理人の指摘はかなり本質をついている。

 ほとんどの日本人は口に出さないが、捜査機関に逮捕された時点で「罪人」とみなす。そして、そのような人が無罪を主張しても、「だったら納得できる証拠を出してみろよ」くらい否定的に受け取る傾向があるのだ。
 森法相も同様で、あの発言は言い間違えではない。もともと弁護士として立派な経歴をお持ちなので当然、「推定無罪の原則」も頭ではわかっている。しかし、世論を伺う政治家という職業を長く続けてきたせいで、大衆が抱くゴーン氏への怒りを忖度し、それをうっかり代弁してしまったのだ。
 なぜそんなことが断言できるのかというと、我々が骨の髄まで「推定有罪の原則」が叩き込まれている証は、日本社会の中に山ほど転がっているからだ。

「被疑者が無罪を証明すべき」
ズレている日本の感覚
 例えば、森法相が生きる政治の世界では2010年、小沢一郎氏にゴーン氏のような「疑惑」がかけられた。マスコミは、起訴もされていない小沢氏周辺のカネの流れを取り上げ、逮捕は秒読みだとか、特捜部の本丸はなんちゃらだとお祭り騒ぎになった。いわゆる陸山会事件だ。
 では当時、日本社会は「疑惑の人」となった小沢氏にどんな言葉をかけていたのか。民主党のさる県連幹事長はこう述べている。
「起訴されれば無罪を証明すべきだ」(朝日新聞2010年4月28日)
 ワイドショーのコメンテーターたちも、渋い顔をして似たようことを述べていた。新橋のガード下のサラリーマンも、井戸端会議の奥様たちも同様で、日本中で「小沢氏は裁判で無罪を証明すべき」のシュプレヒコールをあげていた

 日本人としては認めたくないだろうが、この件に関して国際社会の感覚からズレているのは、ゴーン氏の代理人ではなく、我々の方なのだ。
「図星」であることを指摘されてムキになって正当化することほど見苦しいものはない、というのは世界共通の感覚だ。つまり、「被告人は無罪を証明すべき」という言葉をあれやこれやと取り繕ったり、誤魔化したりすればするほど、「うわっ、必死すぎて引くわ」と国際社会に冷ややかな目で見られ、ゴーン陣営の思うツボになってしまうのである。
「テキトーなことを言うな!世界中から尊敬される日本がそんな嘲笑されるわけないだろ!」という声が聞こえてきそうだが、「愛国」のバイアスがかかった日本のマスコミがあまり報じないだけで、この分野に関してはすでに日本はかなりヤバイ国扱いされているのだ。

 2013年5月、スイス・ジュネーブで、国連の拷問禁止委員会の審査会が開かれた。これは残酷で非人道的な刑罰を禁じる「拷問等禁止条約」が、きちんと守られているかどうかを調べる国際人権機関なのだが、その席上でアフリカのモーリシャスのドマー委員がこんな苦言を呈した。
日本は自白に頼りすぎではないか。これは中世の名残だ
 アフリカの人間に、日本の何がわかると不愉快になる人も多いだろうが、この指摘は非常に的を射ている。足利事件、袴田事件、布川事件などなど、ほとんどの冤罪は、捜査機関の自白強要によって引き起こされている

痛いところを突かれて
逆ギレする
 それは遠い昔のことで今はそんな酷いことはない、とか言い訳をする人もいるが、2012年のPC遠隔操作事件で、無実の罪で逮捕され、後に警察から謝罪された19歳の大学生も、取調室で捜査官から「無罪を証明してみろ」(朝日新聞2012年12月15日)と迫られたと証言している。
 この自白偏重文化が中世の名残であるということは、そこからやや進んだ江戸時代の司法を見れば明らかだ。死罪に値するような重罪の場合、証拠がいかに明白だろうと自白を必要とした、と記録にある。さらに、自白をしない被疑者に対しては「申しあげろ。申しあげろ」とむち打ち、えび責めなどの拷問で強要した、という感じで、罪を告白するまで100日でも自由を奪う「人質司法」のルーツを見ることもできる。
 罪を吐くまで追い込むので当然、現代日本のような冤罪も量産される。名奉行で知られる大岡越前は、徳川吉宗にこれまで何人殺したかと聞かれ、冤罪で2人を死刑にしたと告白している。

 話を戻そう。ゴーン氏の代理人同様に、鋭い指摘をするドマー委員に対して、日本の代表として参加した外務省の上田秀明・人権人道大使は「この分野では、最も先進的な国のひとつだ」と返したが、日本の悪名高い人質司法などは、参加者たちの間では常識となっているので、思わず失笑が漏れた。すると、上田大使はこのようにキレたという。
「Don't Laugh! Why you are laughing? Shut up! Shut up!」(笑うな。なぜ笑っているんだ。黙れ!黙れ!)
 昔から日本は、海外から痛いところを突かれると逆ギレして、とにかく日本は海外とは事情は違うという結論に持っていって、変わることを頑なに拒んできた。
 このままやったら戦争に負けて多くの国民が死にますよ、という指摘があっても、この国は世界の中でも特別な「神の国」だと、頑なに耳を塞いだ結果、凄まじい悲劇を招いた。
 先進国で唯一、20年間も経済成長をしていないのは日本だけなので、異様に低い賃金を引き上げて生産性を向上させていくしかない、と指摘をされても、日本の生産性が低いのは、日本人がよその国よりもサービスや品質にこだわるからだ、ちっとも悪いことではない、などというウルトラC的な自己正当化をしている。
 筆者が生業とするリスクコミュニケーションの世界では、「図星」の指摘に対して、逆ギレ気味に自己正当化に走るというのは、事態を悪化させて新たな「敵」をつくるだけなので、絶対にやってはいけない「悪手」とされる。

国際人権団体も
日本の司法を批判
 しかし、今回も日本はやってしまった。国内的には、森法相や東京地検の反論で溜飲の下がった日本人も少なくないかもしれないが、国際社会ではかなりヘタを打ってしまったと言わざるを得ない。
 それを如実に示すのが、ニューヨークの国連本部で14日に催された、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの記者会見だ。ケネス・ロス代表はゴーン氏が「取り調べに弁護士が立ち会えなかった」と批判していることに対して、以下のように述べた。
「日本の刑事司法制度が容疑者から自白を得るために課した巨大な圧力を物語っている」
司法制度ではなく、自白(強要)制度だ」(時事通信1月15日)
 慰安婦問題や徴用工問題なども然りだが、日本政府は「人権問題」の対応がうまくない。人権という多様な価値観が衝突するテーマであるにも関わらず、「日本は正しい」というところからしか物事を考えることができないので、傲慢かつ独善的な主張や対応になることが多い。そのゴリ押しが裏目に出て、揚げ足を取られ、オウンゴールになってしまっているのだ。
 これは一般社会などでもそうだが、「オレ様は絶対に間違っていない」と自己主張するだけの者は、次第に誰からも相手にされなくなる。その逆に、厳しい指摘や批判にもしっかりと耳を傾けるような真摯な姿勢の人は、周囲から信頼される
 日本の司法制度や懲罰主義は、国際社会から見るとかなりヤバい。――。ゴーン氏側のジャパンバッシングを迎え撃つためにも、まずはこの厳しい現実を受け入れることから始めるべきではないか。の司法制度に批判的な見解を示している。