いわゆる60年安保闘争時代には「アメリカ帝国主義」はいわば常識語であって、学生も社会人もマスコミもほとんど違和感などは持ちませんでした。勿論当時も米国に従属する「体制側」は否定しましたが、それは事実を偽る米国への気兼ねと多くの人の目には映りました。
「日米安保条約」は一方が廃棄を通告すれば1年後には協定は廃止されるにもかかわらず、その後は何故かそれを提起しようという動きそのものがなくなりました。それどころか憲法に抵触する筈の「日米軍事同盟」という略称が公然と語られるようになりました。
2004年に出版された「拒否できない日本」(関岡英之 文春新書)は、米国の日本に対する「年次改革要求書」の実態を暴露したもので、ブームになりました。しかし新たな動きにつながるものとはなりませんでした。
米国からの毎年の要求項目は実に膨大で、極めて執拗にその実行を迫りました。それは米国の利益を追求するためでしたが、結果としてそれは日本の経済と社会の姿を様々に破壊しました。
米国から干渉を受けるまでは日本は健全財政国家でしたが、「年次改革要求」に屈した結果 急速に赤字財政国家に転落したのでした。
近くは資源国家ウクライナでのクーデターやリチウムの最大埋蔵量を有するベネズエラでの政変、さらにはイラク、アフガニスタンなどへの侵略など、米国の横暴は留まるところを知りません。
それなのになぜか日本では「アメリカ帝国主義」は全く聞かれなくなっただけでなく、「CIA」云々を口にするだけで「陰謀論」などとの批判が、左翼を名乗る一部から出るということです。驚くべき偏向です。
ブログ「世に倦む日々」の記事を紹介します。
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左翼から消えた「アメリカ帝国主義」の語
- 関岡英之の『拒否できない日本』
世に倦む日々 2020-01-27
中東や世界の各地で何か謀略事件が起きたとき、あるいは、反米勢力の側が不利になる怪しい情報工作が行われたとき、これはCIAの仕業ではないかと疑って声を上げると、途端に「陰謀論だあ」という拒絶と反論が返ってくる。特に左翼方面から、待ってましたとばかり反陰謀論ヒステリーが始まり、「陰謀論者」のレッテルを貼られて袋叩きの目に遭う。日本の政治空間ではそれが常態になった。反陰謀論キャンペーンを煽る主力はしばき隊左翼であり、きわめて凶暴に、有無を言わさず「陰謀論者」の決めつけを乱発、連呼と絶叫でTLを埋めて固めてしまう。しばき隊にとって、CIAの工作という言説は条件反射的に陰謀論という記号と結びついていて、その武器の放射で撃退しなければならない天敵のようだ。左翼を名乗るしばき隊が、何故にここまでCIAの暗躍と罪科を擁護し、米国を正当化するのか不思議で、その政治現象に注目していたが、解明の糸口になると思われる関連事実を発見した。
アメリカ帝国主義という言葉が消えている。批判語である「アメリカ帝国主義」が消え、その言説がこの国の政治思想環境から蒸発していて、しばき隊左翼の脳内に概念の痕跡がないのである。これは、ある意味で世代の問題でもあり、日本の左翼全体の転向と変節の問題でもある。われわれが学生の頃は、今から45年程前だが、大学構内の立て看には独特の書体で「米帝」の文字が踊っていて、それは主として新左翼(極左)の文化様式だったが、「米帝」を糾弾する標語や檄文が書かれていた。例えば、京都の百万遍交差点を歩くと、南東角に必ずその単語と政治主張のオブジェを目撃することができた。そうした情景が消え、言葉も消滅し、言葉と共に言説が死に絶え、批判対象としての実体が左翼の意識から消えている。CIAはまさにアメリカ帝国主義の活動実体であり、謀略装置そのものだから、アメリカ帝国主義という概念がなくなれば、CIAに対する警戒や嫌忌がなくなり、監視の意識が途絶えるのも当然だ。
CIAが何をしてきたのか、今さらしばき隊に説教するつもりはないので、オリバー・ストーンとピーター・カズニックの『もうひとつのアメリカ史』全3冊を再読することを勧めたい。湾岸戦争時のナイラ証言の嘘やイラク戦争での大量破壊兵器の嘘は、われわれにとって現代史というより昨日の出来事である。CIAは嘘ばかり。ナイラ証言の陰謀工作を知りながら、シリアでのホワイトヘルメットの策動を無条件に正義だと信じ込み、一方的に擁護し加担するのはあまりにナイーブで不見識と言えるだろう。同じことはベネズエラ情勢の判断でも言える。米国が敵として認定し排除を決めた者が、例えば、イラクのフセインやパレスチナのアラファトやリビアのカダフィが、いかに狡猾に悪魔表象化され、テロリストにされ、国際社会の敵とされ、強引に殺処分されたか。それは、冷戦時代の米国とCIAが中南米・アジア・アフリカで行ってきた手口と同じであり、ベトナムやチリやニカラグアの延長線が続いているのであって、本質と実体は何も変わらない。
話を別方向に変えよう。今から16年前の2004年、関岡英之の『拒否できない日本』という新書が出版されてブームになった。2006年の『奪われる日本』も話題となった。米国の日本に対する「年次改革要求書」について暴露し、保守反米の立場から批判した本であり、当時、大きな反響を呼んで脚光を浴びた。2008年に小沢一郎率いる民主党が参院選で圧勝し、翌2009年の衆院選で政権交代を実現するが、その積極的な原動力となった一つが、関岡英之の著書だったのではないかと私は考える。これによって、保守世論でも竹中改革の売国政策に対する反発が広がった。書名を聞けば、誰もが何らかの感慨を持つはずだ。米国による徹底した日本改造。1997年の持株会社解禁は「年次改革要望書」によるものだった。1998年の大店法制定も「年次改革要望書」によるものだった。1999年の労働者派遣法改正による人材派遣業の自由化もそうだった。2002年の健康保険制度における3割負担導入もそうなのだ。2003年の郵政民営化もそうだ。
そして、2004年の製造業への派遣解禁。2005年の道路公団民営化。これらはすべて米国からの年次改革要望書の政策を国内で法制化したもので、その後の2010年のTPP協定交渉、2012年の第3次アーミテージレポートと続き、現在は日米FTA交渉で属国化の総仕上げの段階に入っている。年次改革要望書は、1993年の宮沢・クリントン会談が最初と言われているが、そこからとめどない従属化と植民地化の過程が始まり、怒濤の勢いとなって推進され、歯止めがかからないまま現在も続いている。関岡英之の頃は、それに対する反発や反感の意識が国内にあった。私はその点を指摘したいのだ。今では、属米化することが日本人の幸福のように言われ、左翼までが競って米国従属の動きを先導している。2012年からのしばき隊の活動がそうであり、ANTIFAのコピーやヘイトスピーチ法の移植がそうだ。LGBTを始めとする多様性主義のムーブメントもそうだろう。環境問題も、本来、日本発の提起だったのに、今では欧州の粗製偶像を崇める疎外と倒錯の劇となった。
日本の左翼からアメリカ帝国主義の概念が消え、自分たちがアメリカ帝国主義に支配されているとか、収奪と洗脳が強められているという意識が欠落してしまった。日本共産党の綱領には、今でも反アメリカ帝国主義の規定があり、二段階革命論の路線が保持されているのだけれど、その規定と認識が徐々に後退し、アメリカ帝国主義と対決する姿勢が弱くなっている。私見では、この問題はレーニン評価と直結していて、レーニン否定の空気がこの20年ほど左翼全般を覆うようになったため、帝国主義論の概念や理論の説得力が薄れ、こうした思想的結果を招いたのだと察しをつけている。レーニンが全面否定され、帝国主義論もゴミ箱行きの処理がされたため、アメリカ帝国主義に対する批判的視座が崩れてしまい、米国の対外政策を無条件に肯定する帰結に至ったのだろう。関岡英之の持論だった反米憂国の視角は、日本の左翼からは微塵もなくなってしまっている。その変化と傾向と並行して、左翼の中で反中国・反ロシアの気分が旺盛になり、しばき隊が反中反ロの言説を宣伝する前衛になって敵愾心を煽っている。
恰も、しばき隊がCIAの手先となり、左におけるプロパガンダ機関となったかの如き奇怪な印象だ。基本的には、彼らの無知と流行追っかけの浮薄な態度が誤謬を媒介していると言える。関岡英之は昨年病死していた。関岡英之は『マネー敗戦』の吉川元忠の影響を受けている。二人とも死んだ。おそらく、その系譜と脈絡の上に、バリエーションを伴いつつ、三橋貴明や中野剛志がいるのだろう。