2020年1月9日木曜日

「桜を見る会」は「憲法違反」「平等、知る権利阻害」 木村草太氏指摘

 安倍首相の「桜を見る会」問題について、毎日新聞が憲法学者の木村草太・首都大学東京教授に、憲法の観点からどのような問題があるのかを聞きました。
 いつもながら明快に極めて分かりやすく説明されています。
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「桜を見る会」考
「桜を見る会」は「憲法違反」 木村草太氏指摘 「平等、知る権利阻害」
毎日新聞 2020年1月5日
 安倍晋三首相の「桜を見る会」には「公的行事の私物化」「公選法違反ではないか」など、多岐にわたる批判が相次いでいる。憲法学者の木村草太・首都大学東京教授は「法の下の平等や、国民の知る権利を阻害しており、憲法違反の疑いがあります」と訴える。その真意を尋ねた。【江畑佳明/統合デジタル取材センター】

招待のあり方は「国民を二分し不平等」

 ――憲法の観点からは何が問題でしょうか。
 ◆まず、桜を見る会に誰をどう招待したか、について考えたいと思います。憲法14条1項はこう定めています。
 「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において差別されない」
 桜を見る会に招待されるのは「功績、功労があった人」だというのが政府のこれまでの説明です。しかし、実際にはこの説明にそぐわないような、安倍事務所の後援会の人たちを数多く招待したとみられています。もし、それが事実なら、政府が国民を「功績と関係なく招待された人」と「招待されない人」に二分したことになります。これは、政府が合理的な理由がないままに、国民を不平等に扱い、差別した事案です。平等権侵害の典型例でしょう。仮に、招待されなかった人が「平等権の侵害だ」と訴訟を提起したら、政府は、どのような根拠で「平等だった」と反論すればよいのか。訴訟の担当者は、困ってしまうでしょう。

 ――政府が訴えられたら、勝訴できますか?
 ◆政府が負けてしまうと、(差別を受けた)被害者数も被害額も膨大になるので、裁判所は、なんとか政府が勝訴するような知恵をひねり出すでしょう。例えば、「招待されなかったからといって、賠償を求めることができるほどの損害は受けていない」などと言うのではないでしょうか。ただ、これは、政府の招待者の選抜が妥当だったという内容ではありません。そもそも、招待者の名簿や選抜の具体的基準や議事録がないわけで、裁判所としても「招待客の選抜に何ら問題はなかった」という判決は書きようがないでしょう。

参加者氏名「公開しても違憲・違法ではない」

 ――政府は招待者の氏名について、「個人情報だから非公開」という説明をしていますが、違和感を覚えます。
 ◆招待はされたけれども当日出席しなかった人まで氏名を公表するのは問題です。というのは、時々、叙勲を受章しない人がいるように、一般には名誉だと思われることでも、本人が不名誉に感じる場合があります。出席しなかった人は招待されたことを快く思っていないかもしれない。招待された事実を公にしたくない人の氏名は、公開すべきではありません。

 これに対し、当日出席した人は、政府に称賛されたことを受け入れた人ですよね。だから氏名はプライバシー権で保護される情報には当たらないと考えるのが一般です。当日出席した人たちの氏名は、公開しても違憲・違法ではないでしょう。そもそも、当日の様子は報道機関のカメラが入って、官邸のホームページでも様子を公開しています。もし政府の主張通り、出席者が誰かということが、プライバシー権で守らなければならない個人情報であるならば、カメラなど入れてはいけないわけです。例えば、DV被害者を守るためのシェルターに報道機関がカメラを使って取材をしようと思ったら、利用者が誰かわからないように顔が見えないようにするなどの配慮をしますよね。政府は桜を見る会の出席者の情報を、シェルターの利用者と同じように扱っていることになります。これは明らかにおかしい。桜を見る会の会場は、報道のカメラが入るなど半ば公の場となっているため、参加者の氏名は当然公開されていい情報です。参加者は会場に来た時点で氏名の公開に同意した、とみなしていいと思います。

名簿の廃棄で「政府の信用が詐欺に使われても事実確認できない」

 ――「プライバシー権」と「個人情報」はよく似ているように思いますが、違いはあるのでしょうか。
 ◆はい。プライバシー権は、「個人情報コントロール権」であり、これには自らの個人情報をみだりに公表されない権利が含まれているとされます。ただし、①公共の利害に関する真実である場合と、②本人が同意した場合には、個人情報の公開も許されるとされます。
 政府が誰の功績・功労を認めたのかは、公共利害に関連する事実です。また、桜を見る会への出席は、出席の事実を公に知られてもよいという同意だと理解できるでしょう。ですから、桜を見る会の出席者名簿は、①②いずれにも当たります。

 ――内閣府は招待者名簿を「保存期間1年未満の文書」として廃棄したと説明しています。
 ◆これも大きな問題だと考えます。マルチ商法などで多くの被害が出た「ジャパンライフ」の元会長が招待されていたのではと報道されていますが、なにもこれは「ジャパンライフ」に限った話ではないはずです。他にも「ウチの社長は桜を見る会に招待されたんですよ」と宣伝する会社があってもおかしくありません。その会社と商談を進めたり契約を検討したりしている場合、この情報の正誤を確認する必要が出てきます。ですが政府が名簿を廃棄したとなると、事実確認のしようがない。政府の信用が詐欺に使われる可能性があり、名簿の廃棄はこの点でも大きな問題点をはらんでいます。

「当然公開されるべき事実を隠したことは国民への裏切り」

 ――政府は2020年の「桜を見る会」の中止を決めましたが、名簿などが廃棄されてしまえば検証や改善のしようがないですね。
 ◆その通りです。この見る会の最大の問題は、国民の政府を評価する権利と、その前提になる「知る権利」が侵害されている点です。当然公開されるべき事実を隠したことは、国民への裏切りです。今回、私たち国民は「主権者は国民であり、政府を評価するのは自分たちだ」という考えをもっと強く持つべきだと思うのです。

 ――菅義偉官房長官は記者会見でよく「適切に処理しています」と言っています。
 ◆政府の行為が「適切かどうか」を判断するのは国民です。しかし、国民の評価を受ける立場の政府が、勝手に自己評価して「適切だ」と言っているわけです。これは、国民主権の原理の否定です。私たちの憲法の根幹にある価値を否定しているのです。国民をバカにしているといってもいい。

 例えば、試験の際に答案用紙を提出しなかったら、自動的に「0点」で不合格になりますよね。提出すれば、むちゃくちゃな内容でも、10点とか20点はつくかもしれない。答案を提出しないことは、むちゃくちゃな答案を出すよりもひどいことなのです。今の政府もこれと同じです。招待者の情報を出したくない事情があるのかもしれませんが、全く出さなければ国民は0点と評価すべきです。「実はこういう中身でした」と公開(答案を提出)すれば、国民の評価(試験の点数)は、不合格かもしれないけど、もしかしたらぎりぎりセーフの評価をしてもらえる可能性も残されています。とにかく、きちんと公開して、国民の審判を仰がねばなりません。だから政府は「データの復元などの手を尽くしました。内容や結果を判断するのは国民のみなさんです」というメッセージを出すべきです。

 ――ツイッターなどでは「もっとほかに議論すべきことがある」という批判もあります。
 ◆今、政府が出している情報だけでは、これが大問題なのか、取るに足らない問題なのかも判断できません。そういう批判をする人は、「名簿の中身がどんな内容でも安倍政権を支持する」という方々なのでしょう。それはそれで一つの政治的立場ですが、であるなら、「どんな内容でも支持する。だから公開すべきだ」と主張するのが筋ではないでしょうか。

 それから、招待者は「功績、功労のあった人」ということですが、じゃあどんな功績を判断するために何を基準にしているのか、さらにどういう選定手続きを踏んだのか、の公開も必要です。もし内閣府が「安倍後援会の希望者全員」という基準で選んだのなら、そういう基準でしたと、明らかにすべきだと思います。それをどう評価するか。判断するのは国民です。

きむら・そうた 首都大東京教授
 1980年生まれ。東京大法卒。同大助手、首都大東京准教授を経て、現職。専門は憲法。著書は「憲法の条件」(NHK出版新書)、「自衛隊と憲法」(晶文社)など多数。毎日小学生新聞にコラム「ほとんど憲法」を連載中。趣味は将棋観戦。