ゴーン氏の会見を受けて9日未明に行った緊急会見で森まさこ法相は、「潔白だというのなら、司法の場で正々堂々と無罪を証明すべきである」と述べ、ツイッターでも同じことを流しました。それは、ゴーン氏が日本の「人質司法」や検察本位で人権侵害的な保釈条件によって味わされた苦難を完全に捨象する冷淡な物言いでしたが、それだけでなく、「刑事裁判では被告人が有罪であることを検察が証明する必要があり、被告人側が無実であることを証明する責任はない。検察側が有罪を証明できない限り被告人は無罪となる」とする「推定無罪」の原則に反するもので、それについての認識の希薄さを示すものでした。
⇒ 森法相自ら「日本で推定無罪の原則が守られてない(ゴーン氏)」を追認
⇒ 森法相自ら「日本で推定無罪の原則が守られてない(ゴーン氏)」を追認
ネット(SNS)界では弁護士らのそうした指摘が大いに注目され流布されていますが、例によってマスコミは完全に無視しています。マスコミの、検察=法務省には絶対に逆らわないという「特性」がここでも発揮されているわけです。
こうした事例は枚挙にいとまがなく、その典型的な例がかつての小沢一郎氏の大バッシングでした。
鳩山首相が退任した後に小沢氏が就くことを怖れた検察の主導のもとで、いわば国内のマスコミ(政党機関紙も含めて)は「小沢氏悪人説」報道の一色に染まりました。その時もネット界では小沢氏には何の犯罪性もないことが理路整然と説かれていて、実際に無罪の判決が下されました。そのときマスコミは一斉に「限りなく黒に近い白」という驚くべき表現を用いて自らを取り繕ったのでした。
今回もTV界は一斉にゴーン氏の会見に対して冷淡な扱い方をしました。要するに批判の目が全く検察に向かわないような報じ方をしているということで、その点はTV以外のメディアも共通していると思われます。
これによって検察は安泰のまま、従来の「人質司法」あるいは海外から指摘される「中世の名残り」のやり方を続けられるという訳です。戦後の長い期間を通じて日本のマスコミは検察に飼い慣らされ、ここまで劣化しました。
LITERAは、中世並みとも評される非人道的な司法制度や不当な国策捜査を温存させているのは、このように権力の監視役という責務を放棄し当局の言い分を垂れ流すマスコミの責任が大きいと述べています。
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ゴーン会見で問われた日本マスコミの姿勢! 安藤優子は仏メディアの質問に「ゴーンは私たちを検察の代弁者だと考えている」
LITERA 2020.01.10
世界的に注目を集めた日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏の会見。欧米マスコミのなかには、ゴーン氏が訴えた人権軽視の日本司法の問題点や、自身にかけられた嫌疑に正面から反論する姿を好意的に伝えるメディアもあったが、打って変わって日本のマスコミは批判一色だ。
とりわけテレビのワイドショーでは、MCやコメンテーター、タレントたちが寄ってたかって、「有罪になるから逃げただけ」「全然大したことを言っていない、ただのすり替え」「日本司法を批判する資格などない」といった大バッシングを展開した。
9日放送の『グッとラック!』(TBS)では立川志らくが、ゴーン氏の日本司法批判に対して「ただ開き直って自分の主張だけを言ってるだけ」「法律を破ったやつが何を言ってるんだ」などと説教をかまし、『ひるおび!』(TBS)では八代英輝弁護士が「盗人猛猛しい」とまで発言。『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ)では、会見の地ベイルートを訪れたが会見に参加できなかった安藤優子が「ゴーン被告にとって都合のいい部分だけを主張する場」「当事国である日本のメディアを締め出した」などと厳しく批判し、コメンテーターの田崎史郎氏は「レバノンは金とコネで成り立ってる社会のように見える」などとヘイトまがいのことを口にしたうえ、「所詮逃げた人、放っておけばいい」などと切って捨てた。
とにもかくにも、取り調べに弁護士の同席すら認めない人権感覚の後進性を訴えたゴーン氏に対し、日本のテレビでは「日本司法批判は自分の罪を逃れるためのすり替えだ」なるバッシングを繰り広げているのだが、いやはや、ちゃんちゃら可笑しいではないか。
そもそも、ゴーン氏の逮捕は明らかに無理筋であり、このまま裁判が始まっても有罪になるかどうかすら怪しいものだ。2018年11月、ゴーン氏はプライベートジェットで日本入りしたところを検察に待ち伏せされ、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の容疑で逮捕された。これは、報酬を約50億円過少申告した疑いにかけられたわけだが、しかし、蓋を開けてみれば、「報酬を得ていたにも関わらず不記載」とされたはずの約50億円が、実際には、ゴーン氏が退任後に日産から報酬を受け取る約束を交わしていただけで、そんな大金をもらってすらいなかった。
当然、そんな「絵に描いた餅」を有価証券報告書に記載する義務があるとは思えず、ようするに、ゴーン氏の逮捕はハナから強引に行われたのである。しかも、その後に追起訴された特別背任の容疑についても、法律の専門家からも検察が本当に有罪に持ち込めるのか強い疑義が呈されている。
まだある。会見で「自分を追い出そうと企てた人物」のひとりとして名指しされた西川廣人・前社長は、ゴーン氏退任後の報酬支払いに関する書面に署名していたにもかかわらず、立件を免れている。さらに西川氏には、株価に連動する役員報酬制度をめぐり、社内規定に違反して不当に数千万円を上乗せして受領していたことが表沙汰になっている。西川氏はこの報酬制度に関わる権利行使日を株価上昇に合わせて一週間ずらすことで、本来より多い額を得ており、これは明らかな不正だが、この件も日産の社内調査と西川氏の社長退任だけで終わってしまい、刑事事件にはならなかった。
ようするに、ゴーン氏だけが狙い撃ちされたように強引に逮捕・起訴されたのだ。周知のように、日本当局はゴーン氏を長期拘束したあげく、家族にも捜査の名目でプレッシャーを強め、会見前には妻のキャロル・ナハス氏に偽証容疑で異例の逮捕状まで取った。保釈中の身だったゴーン氏はキャロル氏との面会が禁止されていることを非難していたが、東京地検特捜部の市川宏副部長は「非人道的との批判は一方的で誤解があり、是正する必要がある」と述べており、明らかに「見せしめ」の逮捕状取得としか言いようがない。
検察リークに丸乗りしてゴーンバッシングに血道をあげる日本マスコミの異常
会見でゴーン氏はこうした状況を正面から批判したのだ。
「私は裁判官や検察官に無罪の弁解をしたが、手錠と腰ひもを掛けられた。保釈の試みに何度か失敗し、独房で拘束された。代理人が目を通した手紙を除いては、家族にも数週間も会えなかった。弁護士の立ち会いもなく、毎日何時間も尋問を受け、自白するよう迫られた。自白しなければ事態は悪くなるだけだと、検事に繰り返し言われた」
「私は正義から逃げたわけではない。不正義から逃げたのだ。自分自身を守るほか選択肢はなかった。公平な裁判が不可能であることに観念し、唯一選べる道だった。難しい決断だった」
「支払いがされていない報酬についての容疑での逮捕だと知り、衝撃を受けた。逮捕される理由はなく、法律違反ではない。日産と日本の検察がぐるになっていた。それを分かっていないのはおそらく日本の人だけだ」(朝日新聞デジタルより)
ところが前述のように、テレビのMCやコメンテーターたちは、以上のような日本の司法制度やゴーン氏がいかに無理筋な逮捕・拘禁の憂き目にあったかをほとんど無視して、一方的に「何を言ってるんだ」「盗人猛猛しい」などと叩き、あたかも有罪が確定しているかのように犯罪人扱いして「司法批判はすり替え」などと得意げな顔で言い放っている。いったい、すり替えているのはどちらかといった話だろう。
しかも、日本のマスコミやテレビコメンテーターたちが恐ろしいのは、検察による不当逮捕の可能性をまったく考慮せず、ひたすら検察のリークに丸乗りして、ゴーンバッシングを繰り広げていることだ。
そもそも、空港での逮捕時から、その場にいるはずがない朝日新聞が逮捕の瞬間を「スクープ」していたように、この間のゴーン事件で、検察側はマスコミへリークで世論を形成しようとしてきた。これは、起訴にもっていけるかわからないときに検察が世論を味方につけるため、よく使う手だが、マスコミ側は自覚の有無にかかわらず、この世論誘導の企みにまんまと乗ったのである。この状況は、ゴーン氏の会見前後も同じだ。事実、ここ数日も、テレビでは捜査権がなければ入手できないはずの街頭の防犯カメラに映るゴーン氏の姿が放送されている。明らかに捜査当局が流したものだろう。
ゴーン氏は会見での質疑応答で、「検察が10件の違反をして誰も批判しない。検察は情報をリークしてはならないのにリークをしている。私の法律違反が問題なら、検察が10件の不正をして良いのか?」と話していたが、実際、国内マスコミは検察がつくりあげた「悪人ゴーン」は徹底して批判するのに、この間、検察の強引な捜査や不適切な情報漏洩を問題視する声は皆無だった。
安藤優子はフランスメディアの取材に「ゴーンは私たちを検察の代弁者だと考えている」
しかし、それも当然かもしれない。なぜならほとんどの国内マスコミは、その検察の違法なリークに丸乗りして、検察に都合のいいストーリーを、まるで事実かのように垂れ流す共犯者だからだ。
たとえばこの日の『グッディ』では、ベイルートの会見場の外で安藤優子がフランスメディアから取材される姿が放送されたのだが、「なぜ会見場から排除されたと思うか?」と質問されたのに対し、安藤はこう答えていた。
「ゴーンは、私たちのことを『検察の代弁者』(speaker of Japanese prosecutor)だと考えている」
続けて「それは事実じゃない」「検察の代弁者ではない」「私たちはフェア」などと否定したのだが、いちおう安藤は少なくともそう批判されているという自覚はあるようだ。
自覚の有無にかかわらず日本マスコミが「検察の代弁者」というのはまぎれもない事実だが、しかし、日本メディアが「検察の代弁者」になっているという問題について、そのあとスタジオで議論されることはなかった。もちろんこれは『グッディ』に限った話ではない。ゴーン氏は会見で、日本の司法制度や検察を批判するのと同時に、検察のリークに丸乗りして検察に都合のいいストーリーを垂れ流す日本メディアを「検察のプロパガンダ」と批判していた。しかし当のマスコミは、自覚的なのか無自覚なのかわからないが、検察のリーク(とそれを垂れ流すメディア)問題についてまったく議論すらしようとしない。
日本の司法制度の非人権性については、ゴーン氏の会見以前から海外メディアに強く批判されている。にもかかわらず、この国のテレビマスコミは、会見でゴーン氏が司法批判を展開すると、逆ギレするかたちで「この犯罪者!」と罵る。ただ検察が垂れ流している情報を鵜呑みにして、「悪人ゴーンに法の鉄槌を」と吠えるだけで、検察による不当逮捕や国策捜査の可能性と危険性への視点がまったくないのだ。
それは、このゴーン事件にかかわらず、日本のマスコミがいかに捜査当局にとって都合の良い存在かを意味している。当局のほうは、政権の意向を背景にして、大企業と手を取り合い、マスコミを動かせば、そんな無理筋でも“白”を“黒”にできると本気で思っているのだろう。一方、マスコミの使命は本来、こうした公権力の暴走を食い止める監視役であるはずだが、ゴーン氏関連の報じ方を見ていると、まったくそんな気概は感じられない。
ゴーン事件によって日本司法の後進性と非人権性が国際社会に広く知れ渡った。森雅子法務大臣は、ゴーン氏の会見を受けて「潔白と言うのならば司法の場で堂々と無罪を証明すべき」と言い放ったが、実際には刑事裁判で立証責任を負うのは検察であり、被告が無罪を証明する必要はない。そんな当たり前のこともわかっていない人を法務大臣にしてしまう安倍政権のレベルには言葉を失うが、低レベルなのはマスコミも同じだ。
中世並みとも評される非人道的な司法制度や不当な国策捜査を温存させているのは、このように権力の監視役という責務を放棄し当局の言い分を垂れ流すマスコミの責任が大きいことを、あらためて指摘しておきたい。 (編集部)