2021年3月8日月曜日

08- 平均賃金が韓国以下になった日本 - 劣化と萎縮と衰退~(世に倦む日々)

 勿論、韓国国民の平均賃金が日本を上回っても何も悪くありません。

 世界における韓国人の大学教授の数はずっと以前から日本を上回っていて、韓国人の方が優秀だと言われていました。
 15年のTOE IC(英語力の試験)の平均点は、日本が513点だったのに対して韓国は670点で圧倒的な差だったということです。
 「世に倦む日々」が取り上げました。
 同氏は、平均賃金の差は、韓国の労働者の方が日本の労働者よりも平均的に優秀有能で、同じ仕事をさせれば高い成果を出すという意味だと端的に述べています。
 少なくとも2000年以降、日本ではロクな政治が行われてきませんでした。そうした中で資格試験を目指す人たちなどの一部の人たちを除くと、勉学に勤しむ学生は少なくなりました。学生たちの知的レベルが、中国は言うに及ばず韓国にも敵わないのは当然です。
 約30年来、米国からの強制(年次改革要望書など)に屈してきた日本の姿勢が、中・韓両国と全く違っていたことの反映でしょう。いま米国から猛烈な圧力を受けている中国が、決してそれに屈しないのはさすがです。

 日本がどんな風にスポイル(台なし)されてきたのかを含めて「世に倦む日々」は説き起こしています。

 なお、記事の冒頭で触れている加谷珪一の記事には下記からアクセスできます。
 ⇒ 平均賃金は韓国以下「貧しい国」になった日本が生き残るための“新常識” 現状を悲観せず、外に機会を求めよ 
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平均賃金が韓国以下になった日本 - 劣化と萎縮と衰退と観光ダンピングの選択
                          世に倦む日々 2021-03-06
「平均賃金は韓国以下」と題した加谷珪一の記事(文春オンライン)が話題になった。OECDの2019年の調査で、日本人の平均賃金(年収)が3万8617ドルだったのに対して韓国は4万2285ドルになっている。この問題についてネットであれこれ反応や議論が出ていたが、貧しい国となった日本の現実を突きつけられ、あらためて衝撃を受け動揺を覚えたというのが共通の感想だろう。この統計データをサポートする別の経済指標として、同じくOECDが発表した2018年の国民1人当たりGDPの数字がある。日本が4万1501ドル、韓国が4万2135ドルとなっていて、韓国が日本を追い抜いた事実を野口悠紀雄が嘆きながら紹介している。もっとも、IMFの報告による2019年の1人当たり名目GDPのランキングを確認すると、日本が25位、韓国が30位となっていて、未だ逆転は起きておらず、各国際機関の統計にばらつきがあることが分かる。以前、1人当たりGDP値で日本を追い越すことが韓国にとっての「坂の上の雲」であると、そうブログで書いた記憶があるが、いよいよ坂の上の地平に到達して雲をつかむ段階に来た。

この問題をどう論じるべきか、頭の中がまだよく整理できず、説明と表現に逡巡を覚えるけれど、私の観点は、日本の労働力の劣化という経済的事実に関心を向けて行くものだ。そうした角度での問題提起や問題意識が少ないように見える。この数字が何を意味しているかというと、韓国人の平均的な労働者の方が、日本人の平均的な労働者よりも、同一労働時間内でより多くの価値を生産するという実態の提示である。よりプロダクティブでエクセレントであるという客観的な事実だ。資本主義のグローバル化によって均質化と標準化が進む世界の労働市場において、韓国の労働者の方が日本の労働者よりも平均的に優秀有能で、同じ仕事をさせれば高い成果を出すという意味だ。労働力商品としてイーブンに比較したとき、品質が上で、高い生産性を持っていて、評価が上だということだ。そのことを証明する具体的な事実材料として、例えば英語力のスキルの問題がある。2015年のTOEICの平均スコアで、日本は513点で韓国は670点という結果が紹介されている。かなり大きな差だ。平均670点は高い。言語力が弱いと労働の成果が出せない。パフォーマンスが悪い。

ITスキルについては明示的な比較データの資料がないが、おそらく、平均的な韓国人労働者の方が日本人労働者よりも上だろう。日本はようやくプログラミング教育を必修化させたが、韓国では学校教育へのITの導入が日本より早く進んでいて、ICT教育の先進国と言われている。1997年の通貨危機が韓国を変え、生き残りのために、カルヴァンの「選びの教義」的な強迫心理に突き動かされて、韓国人は英語とITを勉強してスキルを身につけることとなった。日本でも、国際化と情報化というスローガンは1980年代から言われ、国民的な目標として運動化されていた時期があり、NHKやNECが音頭をとり旗を振っていた時代があった。国谷裕子などはそのシンボル的な人格像だった。日本もその方向に主体的に変化(改造・上達)する取り組みをしていたはずだが、森喜朗の「イット革命」のあたりから様子がおかしくなり、2000年代以降、ネオリベ全盛の格差社会になってからは、もうどうでもいい話になってしまった。国民的産業であった製造業を自滅的に崩壊させ、日本企業が国際市場から駆逐され、日本人労働者が国際的に活躍する場を失ったからである。

90年代以降、日本人はずっと劣化を続けている。劣化することを自己目的的に、全体主義的に追求していると言ってもいい。私にはそう見える。劣化に対して抵抗する部分を攻略し、異端化し、無化し、劣化を標準的な方向性に針路設定し、劣化のアクセルを強力に踏む展開を続けてきた。ゆとり教育がそうだし、お笑い文化がそうだし、左翼とアカデミーの脱構築主義化がそうだ。ひたすら、日本人は前頭葉を萎縮させ、知性を低劣化させる営みを続けてきた。言葉は少なくなり、言語が空疎化し、あの『1984年』のニュースピークの辞書のように日本語は薄く軽くなった。テレビはお笑い芸人ばかりが出演し、どこぞの美味いモノを食ってお笑い芸人がぎゃあぎゃあ騒ぎ喚く番組ばかりになった。NHKまでお笑い芸人が占領するようになった。お笑いとグルメと外国人。これには経済的な真相があり意味がある。これはロールモデルだ。日本経済は、インバウンドを柱として稼ぐ経済に編成替えされており、日本の労働者の一般的平均像は、この経済と産業で活躍する人格こそ「期待される国民像」なのである。外国から押し寄せる観光客に、食い物を売り、おもてなしのサービスをし、笑わせ、楽しませ、満足の評価を得て商売繁盛する日本経済。

それが想定されていて、テレビは国民に教育をしている。これこそが劣化の内実であり、現代の日本人の土台(下部構造)を含めた三次元の立体モデルだ。こういう生き方しかできないのであり、将来にわたって日本人がこの列島の地べたで食っていくために、日本人は劣化しているのだ。まさに土台が上部構造を規定している。他の生き方ができないのだ。お笑い芸人のような、知性の意義を否定した範疇になり、尊厳を捨て、外国人観光客にサービスの提供と奉仕をして、お代を稼ぐ生き方しかないのだ。議論が飛んで恐縮だが、先回りして言えば、何で日本人がこういう生き方を選んだかと言うと、アメリカの要請に従って自己改造したからである。日本の製造業とそれに支えられた日本経済は、当時のアメリカにとって脅威であり、つまり現在の中国経済と同じ位置づけの敵だったから、アメリカとしては国家防衛のためにこれを潰すしかなかった。そして上手に、戦略的に、日米構造協議と年次改革要望書を使って、時間をかけて調略した。日本改造に成功した。そこに、ソ連崩壊と「政治改革」が重なり、インターネット技術の普及と資本主義のグローバル化が重なったことは言うまでもない。

さらに、そこに左翼リベラルの脱構築主義のイデオロギーが重なって、日本人は80年代までの成功体験を自ら否定するようになり、その資産を放棄する行動に向かい、戦後日本システム(中産階級の王国)を自己嫌悪し、遂に蛇蝎のように憎み呪うようになった。左翼の脱構築主義への旋回と改宗は、新自由主義の制覇にとって障害物を取っ払う役割を果たし、今もそれが惰性の延長で続いている。日本の失敗と自滅を観察している中国が、簡単にアメリカの要求に応じず、自国のシステムをリベラリズム型の純欧米仕様に改造しないのは当然のことだ。その誘いに乗って譲歩すれば、日本の辿った衰弱と隷従の道を歩み、やがてイロクォイ族と同じ滅亡の運命になってしまう。中国は挑戦と競争の道を選び、中高生に1日16時間の猛勉強を強いている。6年間、週6日1日16時間も勉強して、大学に入っても勉強し続ければ、普通の学生なら英語もTOEIC700点の成績にはなるだろう。製造業を棄てず、テクノロジーの主導権をめざす覚悟と方針で国家を経営すれば、教育は自ずとそのような中身と分量になる。世界が一つの市場になり、食うか食われるかの厳しい環境になっている以上、生存競争に勝つためにはそれしかない。

鶴見良行が、何かの著書の中で、ある社会集団が生存を維持するために、敢えて退化の道を選び、経済的技術的進歩とは逆の生き方を選択すると、そう書いていたのを覚えている。フィリピンのどこかの時代のどこかの地域での出来事を分析した議論だっただろうか。人類はすべての地域すべての社会で単線的な歴史発展を遂げるのではなく、すなわち、マルクスやウェーバーの方法視角とは矛盾する生き方をする場合もあるのだと強調していた。今、日本はそれをやっていると思う。生きるために知能を劣化させ、人格を矮小化させている。何のためか。それは、観光商品を売って稼いで生き抜くためだ。観光という巨大な世界市場の中で競争力優位を維持するためだ。安価で品質のいいサービスをダンピングするためだ。外国人観光客に選んでもらうためには、特別に安くないといけない。サービス商品を安く売るためには、労働者が国際的に低賃金でなければならない。人件費が安くないといけない。一国の(日本の)社会的平均的賃金水準(=労働力再生産費用)を安く抑えなくてはならず、それに見合った人格水準が標準モデルとなる。古典を精力的に読んで知識と教養を高めたり、文化芸術を愛好してすぐれた想像力を養う必要はなく、むしろそれは労働力コストにとって邪魔物となる。

月収20万円の非正規労働者の生活レベル、そこに生涯閉じ込められた限界的な人間性。