2021年3月20日土曜日

2プラス2共同声明の対中威嚇 黙認する左翼リベラル(世に倦む日々)

 「世に倦む日々」氏のブログ記事「2プラス2共同声明の対中威嚇 – 奉祝するマスコミ、黙認する9条左翼リベラル」が出ました。
 同氏は、米国に取って目の上のタンコブである中国がGDPで米国を追い抜くのは数年先(25年ごろ)と言われ、技術開発の速度と能力の違いを考え合わせると中国を崩壊に追い込みたい米国に残された時間は少ないとし、時間が経つほどに米国は戦略有利の条件を失うので一刻も早く中国(の政治体制)を崩壊に追い込む必要があると思っている筈だとしています。
 そんな米国と「2プラス2共同発表文書」のように団結するのは、戦争の地獄に向か動く歩道」に無自覚のまま(静止していると錯覚したまま)乗って移動しているのに等しい(要旨以下同)と見立てていますまことに卓越した比喩です。
 かつて米国の指導者は日本を「不沈空母」と呼びました。それは中ソ等の共産主義勢力の進出・拡大を防止する上でまたとない基地であるという意味でしたが、その状況は今も不変で、米国にとって日本列島は前線基地であり、防御壁であり、米本土を守る堅固な盾に過ぎず、中国への武力攻撃を行う上でも、これ以上はなく便利な国であると述べています。
 米国からすれば、東京が核戦争の戦場になっても、出先の拠点が吹っ飛んで、賢い忠犬だった黄色人種が大量に死ぬという程度であるとも。
 そして事態はそこまで切迫しているのに、日本のマスコミは政府と一体になって、中国を威嚇する共同声明を奉祝しているとして痛烈な違和感を示し、記事の後半では「9条を奉じている筈の左翼リベラルから批判や反発がない」と、共産党を含めた左翼リベラルをこき下ろしています。
追記)
 共産党についてしんぶん赤旗の記事を振り返ると、17日付の1の記事「対中国で同盟を強化 ~ 」では なるほどいわゆる客観報道になっていますが、2面の署名記事「日米2プラス2の狙いは ・・・  米の『対中抑止』に日本動員」では、
・沖繩・尖閣諸島に対する日米安全保障条約第5条の適用を確認したことは日本側にとって“成果″といえるものの、その対価″はきわめて高く、見返りとして、「日本防衛」とはかけ雛れた日本の軍事的な役割分担が求められる危険がある。
・米国は南シナ海での対中国「遠征前進基地作戦」を掲げていて、地上発射型の中距離ミサイルの配備なども求められる可能性がある。
発表文書には「実践的な二国間及び多国間の演習及び訓練」を明記し、インド太平洋地域での日本の対中国 軍事的役割の拡大を求めている。

などとキチンと批判している上に、18日には、「日米2プラス2 軍事対応の強化では事態は解決しない」とする「主張」を出しています。従って「世に倦む日々」氏の指摘は当たっていませんが、同氏から発散される熱量に比べて劣るのは事実です

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2プラス2共同声明の対中威嚇 – 奉祝するマスコミ、黙認する9条左翼リベラル
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16日、日米2プラス2の会合が都内で行われ、日米が中国を名指し批判する共同声明が発表された。共同声明には、米国が「核の傘」を含む中国抑止能力を提供することを表明し、日本が「日米同盟を更に強化するために能力を向上させることを決意した」と明記されている。朝日の記事の中で、外務省幹部が「歴史的な日になった」と言っている。16日夜のテレビ報道、特にNHKのニュースは、この2プラス2の共同声明を前面に出して歓迎し、国民に意義を強調して正当性を刷り込む内容一色だった。朝日の記事も、「同盟国と連携して中国に対抗する米国のアジア外交が動き出した」「米国の積極的な関与を促してきた日本は歓迎する」と書いている。「日本政府は」ではなく「日本は」と書き、歓迎が日本全体の総意であるかのように報じている。昨夜はNHKのニュースを見ながら、真珠湾攻撃を告げる一報をラジオで聞いたときの加藤周一の感想を思い出した。何度もブログで書いてきたことで、新鮮味がなく恐縮だが、否応なしにこの気分に追い立てられる。

日米開戦の報を聞いたとき、医学生だった加藤周一は、即座に、米軍機編隊によって東京が空襲される図を想像し、空爆されて燃える東京で自分も焼け死ぬ最期を覚悟したと語った。共同宣言に書かれている日本の「決意」の中身とは何か。前後の文脈で簡単に理解できるとおり、核武装するという意味である核保有を決意したという示唆だ。前にブログで小谷哲男の発言(リーク)を取り上げ、米国(ハンドラーズ)が沖縄に中距離□ミサイルを配備することを計画し、日本側に実行を求めていることを紹介した。あれほどあけすけに、包み隠さず直截に、小谷哲男がテレビで米国側の軍事戦略のシナリオを伝えているのに、それに対して左翼リベラルは全く不感症の如き無反応で、脱力させられ唖然とさせられた。日米と中国との戦争は現実性を増している。6年前の安保法制の以前は、どちらかと言うと日本の側が積極的だったが、現在は米国の方が前のめりで主導権を握っていて、戦争プログラムが具体的に立案策定されている。全面戦争辞さずの構えで台湾問題の工作が進んでいる。軍事衝突を半ば前提にしたアジア戦略が布石されている。

全面戦争までは時間があるだろう、そこまではまだ距離があるだろうと、普通は誰もが思うかもしれない。東京に核が投下される悪夢に恐怖している者はいないだろう。だが、戦争は始まれば早いのであり、あっと言う間に核ミサイルを発射する段階に進んでおかしくない。戦争を早く終わらせる戦略的な最終手段として選択されて不思議ではない。日米側が先制攻撃に出れば、必ず中国も報復で反撃することになるだろう。台湾問題では中国は妥協も譲歩もできない。特に習近平の性格や思想を考えれば、戦争も辞さずの強硬な態度で臨むのは確実だ。一方の米国の側も引けない理由と動機があり、このまま中国の強大化を放置すると覇権国の地位から転げ落ちてしまう。世界のルールを決める権限と立場を失い、富の源泉である基軸通貨の発行権を失ってしまう。そこらの主要国の一つとなり、中国の秩序に従う国に成り下がってしまう。GDPで中国が米国を追い抜くのは数年後の先であり、技術開発の速度と能力の彼我を考えると米国に残された時間は少ない。時間が経つほどに米国は戦略有利の条件を失う。一刻も早くPRC⇒中華人民共和国を崩壊に追い込む必要がある。

その二つの事情を考えると、米中の軍事衝突は不可避であると見通さざるを得ず、むしろ回避できれば奇跡だと言える。米国は焦って急いでいる。今、間違いなく破局へ向けて時間が進行している。日本人はそのベルトコンベアに乗って前進している。動く歩道の上で静止して全員が移動している。戦争の地獄に向かっている。まさか、自分が加藤周一と同じ感想や認識を持つ身になるとは思わなかった。中国と日米との戦争が具体的にどのような展開になり、帰結がどうなり、戦後の未来図がどうなるかを、今、理性的客観的に思考し考察することは私にはできない。なぜなら、頭上に核が落ちたらそれで終端だからであり、意識が途切れ絶命して終わりだからである。死刑囚みたいなものだ。第三次世界大戦だから、戦争は決して局地戦で終わらず、日本だけの意志で終戦や停戦を迎えることはできない。革命でも起きない限り、単独で離脱することは不可能だろう。米国からすれば、東京が核戦争の戦場になっても、出先の拠点が吹っ飛んで、賢い忠犬だった黄色人種が大量に死ぬという程度である。日本列島は前線基地であり、防御壁であり、米本土を守る便利で堅固な盾にすぎない

先の戦争では、昭和天皇と軍部が国体護持にしがみついて、全土が焦土となり国民が大量に犠牲になる消耗戦が行われたが、今回の国体は米国である。日米同盟が神聖な国体である。米国護持(日米同盟堅持)を目的に、日本人は最後まで総力戦を戦い抜き、大君(米国)の御楯となりて死にゆかばの運命となるだろう。だが、マスコミが2プラス2とクアッド⇒米豪印日連合の奉祝報道で画面と紙面を埋め、まるで日独伊三国同盟が締結されたときのように歓迎し宣伝しているのに、それに対して9条を奉じているはずの左翼リベラルから批判や反発がない。不思議なことだ。官邸に支配されたテレビにそれを求めるのは無理だが、せめて左翼リベラル側のツイッターは、2プラス2の共同声明に対して、戦争を危惧したり懸念するぐらいの最低限の良識的反応を示してもいいだろう。例えば、望月衣塑子、前川喜平、山崎雅弘、室井佑月、清水潔、但馬問屋、異邦人など、左翼リベラルがフォローしているスタンダードな面々が、対中国戦争準備宣言とも言うべき2プラス2の共同声明に何も反応していない。無視している。彼らが話題にしているのは、国会の総務省接待問題とコロナ対策であり、あとはミャンマー問題だ。

志位和夫や小池晃も同じである。政党も知らんぷりしている。というより、日本共産党は少し前に志位和夫が週刊誌のインタビューに登場し、尖閣問題やウィグル問題で習近平と中国共産党を厳しく批判しているから、この2プラス2共同声明に対しても、基本的には静観し翼賛する姿勢なのだろう。反中国が綱領改定で決めた新路線だ。だから、黙っているのである。嘗ての革新護憲勢力の時代なら考えられないことだ。というより、ほんの数年前、オスプレイ配備や秘密保護法であれほど激しく反対運動をした共産党をはじめとする左翼勢力が、核武装して対抗するぞと中国を威嚇している日米共同声明に対して、黙って見ないフリに徹するとはどういうことだろう。政府と米国に忖度して、対中政策で足並みを揃えるとはどういうことか。本当に9条を信奉する政治勢力が日本にいるのだろうか。信じられない。左翼リベラルの論者たちが、この共同声明を受容しているのは、基本的に、日本共産党がその方針だからである。日本共産党の幹部が何らか批判コメントを発していれば、彼らも声明を牽制する発言を右倣えで出しただろう。立憲民主党については、対中国政策は政府自民党と同じで、フルコンパチブルな強硬論である。

立憲民主党は9条護憲ではなく改憲政党であり、日米同盟神聖護持の立場で一貫している。旧民主党結党の時点から変わってない。「野党共闘」ブロックの世界に定住する左翼リベラル論者が、2プラス2共同声明を批判しないのは当然の行動だろう。最近、少しずつ理解できてきたのは、日本共産党はもともと9条平和主義の信念を持った党ではなかったという歴史的事実だ。戦争に唯一反対した政党だというのが日本共産党の金看板で、党の正義を証明する根本的支柱のはずだ。が、9条的な非戦主義・平和主義の思想からあの戦争に反対したのではなく、日本軍国主義による大陸への侵略戦争が、共産党掃討を目的としたものだったから、だから敵味方論の政治的動機で反対したというのが真相なのではないか。この見方は、いわゆる右翼の「コミンテルン史観」と繋がる視角で、したがって反ファシズムの歴史を相対化する、胡乱な印象が漂う歴史認識だけれど、何やら当たらずとも遠からずの感を否めない。日本共産党は、嘗て、戦後、ソ連・中国の核は正しい核だと言って正当化していた経緯があった。今回、どうやらその同じ論理で中国を悪魔視し、日米の対中国戦争準備を許容しているように見える。

20年近く前、志位和夫らが新潟港の埠頭岸壁に並び立ち、拳を突き上げて北朝鮮への敵意を露わにする場面があった。圧力策である経済制裁に同調した。9条を純粋に奉じる政党であれば、どれほど国民多数から憎まれても、石を投げられても、選挙で議席減のリスクがあっても、北朝鮮への経済制裁には反対を貫徹しなければならなかったはずだ。9条は、隣国との紛争案件は話し合いで解決せよと言っている。「武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と原則を立てている。それが日本国の鉄の掟だ。なぜ、その原則から議論が起こらず、何やら政治の業界でメシを食っている者たちのルーティンワークのような、総務省問題やコロナ問題が優先されるのだろう。ただの一人からも、加藤周一と同じ危機感と想像力が発生することがないのだろう。