2021年6月17日木曜日

中国はソフトパワーを持てるか – 謙虚で先進的な21世紀の社会主義(世に倦む日々)

 米英の両首脳はG7に先立って「新大西洋憲章」なる共同文書を発表しました。どのような文書なのかは分かりませんが、米国の目下の最大の狙いは経済発展の著しい中国を「台湾有事」にかこつけて軍事的に叩くことなので、そのことを正当化するための基本的文書であろうと思われます。
 世に倦む日々氏は、米国が画策している「台湾有事」の意味を明らかにした同氏の3部作において、こうした文書が出されることを予測していました。それが見事に的中したことで同氏は11日付で下記のブログを発表しました。
  ⇒(6月14日)予想どおり「新大西洋憲章」が出現 – 中国はソフトパワーを持てるか
 今回紹介する新しいブログ記事はその続編で、米国が中国をイデオロギー的に否定しようとしていることに対して、中国が自らの存在意義の普遍的妥当性をどこまで確かな言葉で主張できるかと問う内容になっていますが、それは決して突き放した立ち位置からではありません。
 空前の戦争国家であり他国の政権を転覆させることなど朝飯前の米国は、西側の主要なメディアにCIAを潜入させて言論を支配していますが、それでも自らの不当性を覆い隠すことは出来ていないだけでなく、国内においてもその正体は明らかになりつつあります。
 米国では経済格差が広がり国民の多くはより貧しくなりました。若者を対象にした世論調査で「社会主義に好意的」と答えた者が51資本主義を選んだのは45達したということです。
 日本も含めて世界はいま新自由主義の矛盾と弊害に悲鳴を上げていますが、その経済社会システムを支えその支配領域をさらに広め強めようとする政治思想が、米国EUが奉じるリベラルデモクラシーであり、その世界支配は米国の覇権と軍事力に支えられているとして、そうしたなかでリベラリズムとは原理的に対立する観念としてソシアリズムを措定すれば、資本主義が生き続け、構造的矛盾を膨らませ続けるかぎり、対立観念としての社会主義は死なず永久に滅びることはないとしています
 そして人が資本主義の矛盾を考察し、それを抜本的に解決しようとするときは、必ずマルクスから学ぶところとなり、マルクスの資本主義の分析と批判を学ばないといけないと述べ、それは哲学する者がまずソクラテスに学びそこから出発しなければならないのと同様であると述べています。資本主義を批判的に研究する者はマルクスの理論を虚心坦懐に学び取る必要があり、それは社会主義を考えようとする者に知恵と示唆と展望と情熱を与え続けるとも

 「新大西洋憲章」 要するにリベラルデモクラシーの優位性を謳い中国を否定しようとするものであるならば、中国ソフトパワーを持つ上で、それを包摂し超克する価値観イデオロギーを提示するためには(孔子学院や中華思想などでなく)、謙虚に誠実に西洋政治思想史上の学術用語を使うことが重要であると結論付け、さらにもう少し具体的なアイディア次稿で述べたいとしています
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中国はソフトパワーを持てるか – 謙虚で先進的な21世紀の社会主義
                          世に倦む日日 2021-06-14
今、中国は正念場に来ている。自分たちの国家や社会が拠って立つ思想は何か。それを世界の前で胸張って言えるか、自分たちのレゾンデートル⇒存在意義は何か、その普遍的妥当性をどこまで確かな言葉で主張できるか、世界の人々に納得してもらえるか、という問題に直面している。中国人にとっては初めての経験であり、思想的試練の到来だろう。これまで中国と中国人は、その課題と責任を巧みに回避してきたし、世界から問われて答えなければならない立場に立たされることはなかった。「中国の特色ある社会主義」という言い回しで逃げてきたし、自己を先進国ではなく途上国と位置づけることで、その責務から論理的に回避できるポジションに隠れてきた。今、そのいわば楽ちんな境遇から追い出されようとしている。欧米側の今回のG7の取り組みは、中国をイデオロギー的にデカップリング⇒切り離すする策であり、世界をリベラルデモクラシーの標準世界とそうではない異端世界に分ける企てだ。異端側に置かれた中国は、初めて、正面から価値観の戦いを挑まれる局面に立った。自らの思想的正当性を確認し定立して揚言する必要に迫られている。

これは中国(PRC)にとって初めての思想的な外圧と国難で、重く大きな課題だが、この戦いに勝たないと中国は生き延びることができない。自分たちの価値観がリベラルデモクラシーでないなら、それは何なのか。中国にはどのような普遍的価値観があるのか、持ち得るのか。その存在意義を世界に納得してもらい、積極的に認めてもらうことが必要で、中国はそれを打ち立て、正面から打ち出さないといけない。欧米側のイデオロギー攻勢に対抗し、それを迎撃し攻略しないといけない。その戦略を構築しないといけない。その際、まず最初に、今の中国の国家・社会を成り立たせている公式の価値観は何かというところから直視しないといけないが、その言葉はPRCの憲法に書かれている。PRCの憲法に明記されているのは、マルクスレーニン主義の社会主義の基本原理であり、共産党独裁を正当化する錆びた教条である。この原理原則が、今の世界で普遍的な価値観として通用しないことは当然のことで、中国の政府と国民は、その現実を(心の中で)素直に認めるところから出発しないといけない。こんな博物館的遺物では通用しない、これでは負けるという競争の基本認識から始める必要がある。

イデオロギーの面で中国に立場がなかったのは、ソ連崩壊後の30年間ずっとそうである。中国は、イデオロギーの問題を敢えて意識下に隠し、中国共産党の指導で経済が成功したことを内外に示すことによって、経済的実力と実績で、このイデオロギー的に不利な立場を保たせてきた。そして、「中国の特色ある」の部分を前面に出し、孔子学院のエバンジェリズム(⇒福音伝道)事業に見られるように、中国の伝統思想・中華思想の方に自己の拠って立つ基盤を据え直す方向に注力、旋回してきた。習近平の「中国の夢」路線がまさしくそれである。ユニバーサルな思想性ではなく、ナショナリズムの思想に依拠することによって、民衆の共産党政権への正統性承認を確保し、国民意識の求心力を調達してきた。その副作用として、周辺少数民族の文化を軽侮し否定する態度の噴出という弊害が表れている。今日、思想の問題は中国ではとても大きく、「中国の夢」の驀進の一方で、格差と絶望の社会病理の中で仏教やキリスト教が民衆の間で流行し、疎外と鬱屈に苦しむ人々の内面を救済していると聞く。「中国の夢」では前へ進めないし、マルクスレーニン主義は使い物にならない。リベラルデモクラシーに攻められて精神的に陥落する。

中国は価値観・イデオロギーの問題をどうすべきか。ブレイクスルー⇒突破の方向をどこに見い出せるか。どうやってリベラルデモクラシー十字軍の包囲を突破するか。私の結論と提案は、謙虚な21世紀の社会主義である。欧米側の価値観攻勢に対置すべきコンセプトは社会主義だ。無論、それは20世紀のマルクスレーニン主義ではない。スターリン思想や毛沢東思想ではない。今、アメリカでは社会主義を志向し関心を持つ若者が増えている。NHKの現地報道によれば、若者を対象にした世論調査で、「社会主義に好意的」と答えた者が51%に上り、資本主義を選んだ45%を上回る結果となった。サンダースは自らを民主社会主義者と呼び、過去2回の大統領選で旋風を巻き起こした。何と言っても衝撃的で象徴的だったのは、2011年に起きて世界を震撼させたオキュパイ運動である。"We are 99%"を標語とするこの運動は、まぎれもなく社会主義運動の性格を持つもので、圧倒的群衆の力でウォール街を占拠し、金融市場の資本回転を麻痺停止させようとした抗議行動は、まさに21世紀の社会主義革命の挑戦だったと言える。資本主義の矛盾に対して市民が蜂起し、ラディカルな意志と要求をぶつけた一揆だった。

世界は新自由主義の矛盾と弊害に悲鳴を上げている。世界の人々は新自由主義によって殺されようとしている。斎藤幸平が説くように、地球の自然も新自由主義によって暴力的に破壊され、人の住めない気候環境に変えられつつある。日本人も新自由主義によって死滅に向かっている。若者は生きる場がなくなり、自殺に追い込まれ、日本の人口は減少の一途にある。新自由主義による収奪は、日本の経済社会を骨と皮だけにした。その新自由主義の経済社会システムを支え、正当化し、その支配領域をさらに広め強めようとする政治思想が、アメリカとEUが奉じるリベラルデモクラシーに他ならない。新自由主義の世界支配はアメリカの覇権と軍事力に支えられている。ソシアリズム(社会中心主義)はリベラリズム(個人中心主義)とは原理的に対立するイデーである。丸山真男はそう整理し総括した上で、自分は社会中心主義の側に立つとコミットした。21世紀の人々が、人間らしい生き方を取り戻し、99%に富が分配されるためには、新自由主義を破砕する必要があるし、それを支える価値観であるリベラルデモクラシーを相対化し改造する必要がある。ソシアルな契機を入れて刷新しなくてはいけない。

社会主義については、原点に立ち返って定義を考え直す必要があり、概念のリニューアルで蘇生できる可能性がある。エレメンタリー⇒基本的にに、それを、資本主義の矛盾と弊害を克服する運動および理念として措定すれば、社会主義は終わったという安易な帰結にはなるまい。資本主義が生き続け、構造的矛盾を膨らませ、人類に貧困と厄災を押しつけ続けるかぎり、アンチテーゼとしての社会主義は死なず永久に滅びることはない。その真実と道理は小学生にも頷いてもらえそうである。そして、人が資本主義の矛盾を深思し、それを抜本解決した理想的地平を求めようとするときは、必ずマルクスから学ぶところとなる。マルクスの資本主義の分析と批判を学ばないといけない。マルクスを超える脱資本主義の思想家は出ていないからだ。哲学する者が、まず2400年前のソクラテスに学び、ソクラテスの弟子として出発しなければならないように、資本主義を批判的に研究する者はマルクスの理論を虚心坦懐に学び取る必要がある。われわれ現代人はマルクスから自由になれない。知識する者、社会科学する者はマルクスの門徒たらざるを得ない。ソクラテスが不滅であるようにマルクスは不滅であり、社会主義を考えようとする者に知恵と示唆と展望と情熱を与え続ける。

最初の、中国はソフトパワーを持てるかという問題に立ち戻って、中国に若干のアドバイスをしたい。無名の日本人が中国のアカデミーやイデオローグに助言など僭越と不遜もいいところだが、急所の視点だと思われるので論じたい。リベラルデモクラシーに対抗し、それを包摂し超克する価値観・イデオロギーを確立させようとするのなら、やはり謙虚に誠実に、西洋政治思想史の学的所産から学ぶことであり、西洋政治思想史の言葉を使うことである。西洋政治思想史の学問を学び尽くし、その基礎と流れの上に立って範疇の開発を模索することである。孔子学院など論外だ。20世紀前半の、留学生として海外に渡った中国の青年知識人の態度と作法に従うことであり、中国を遅れた国として捉え、先進国に追いつくにはどうすればよいか悩んだ彼らと思念のベースを同期させることである。中華思想は脇に置くことであり、中華思想の脳で考えないことだ。そのためにこそ、学問の自由は中国で必須なのだと訴えたい。もう少し具体的なアイディアがあるので次稿で述べたい。