2021年6月19日土曜日

上位互換としての社会主義 – 中国共産党と日本共産党は膝詰めで話し合え

 世に倦む日々氏は、米国が「台湾有事」で中国に軍事的打撃を与える準備として、まず社会主義(国家)の理念・イデオロギーを否定する文書(新大西洋憲章)を準備しているのに対して、中国も自らの存在意義の普遍的妥当性を「確かな言葉」で主張する必要があるとするブログを14日に発表しました。(西洋政治思想史上の用語)

  ⇒(6月17日)中国はソフトパワーを持てるか – 謙虚で先進的な21世紀の社会主義
 今回紹介する同氏の17日付ブログはその延長線上にあるもので、タイトルが示すように、中国共産党と日本共産党は膝詰めで話し合えと呼びかけるものになっています。それは現在両党が断絶状態になっているのを承知の上での提言で、いわば中国側の実践上の優位性と日本側の理論的優秀性の融合を狙ったものとも言えます。

 ブログは、まず、『中央公論』7月号に載った日本共産党志位和夫委員長のインタビュー記事「日本共産党が描く未来図 野党共闘の行方と社会主義の時代」で、志位氏が語った次の言葉を「キーポイントである」として紹介しています。
 私たちのめざす社会主義・共産主義は、資本主義のもとで獲得した価値あるものを全て引き継いで発展させる。後退させるものは何一つないということ。~ 日本国憲法のもとでの自由と民主主義の諸制度も、全て豊かに発展的に引き継いでいく。せっかく社会主義になっても資本主義より窮屈でさみしい社会になったら意味がない
 たしかに実に分かりやすい表現でそれに尽きるという感じがします。

 日中両党間が断絶状態になっているのにはそれなりの理由があり、中国側に多くの誤りや傲慢さがあるのですが、その点でいえば米国の方がもっと大きな誤りや傲慢さを繰り返しています。単に突き放し酷評していればいいというものではなく、米国が中国に対する敵意をむき出しにしてきた現在、世に倦む日々氏が提案したような新たな対応を模索するべきです。
 
追記)タイトルに「上位互換(性)」という聞き慣れない言葉が入っていますが、文中で解説されている通り、上位のOS(オペレーテイング システム)を持ったパソコンは下位のOSで動くソフトはすべて動かせるという原則のことです。
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上位互換としての社会主義 – 中国共産党と日本共産党は膝詰めで話し合え
                           世に倦む日々 2021-06-17
中国はソフトパワーを持てるか。持てるとすればそれは何かという問題を設定し、そのコンセプトは社会主義であるという答えを出した。今、価値観(イデオロギー)の戦いを強いられ、リベラルデモクラシーを推戴する欧米の攻勢を受け、包囲され孤立化している中国は、自己の思想的正当性と普遍性を定立(テーゼ)させ、確信を持って対抗しなければならない。自分たちの理想と目標は何で、どのようなアソシエーション⇒集団・組織をめざしているかを定義し、理論武装し、説得的な言葉で発信して、世界の人々から納得と共感を得る努力をする必要がある。社会主義はどういう意味でリベラルデモクラシーに対抗できるのか。リベラルデモクラシーを相対化し、包摂し、超克し、優越するイデーとなり得るのか。価値観(イデオロギー)の普遍性の競争で勝つことができるのか。対置するアイディアはあるのか。その概念設計と理論的証明を試みようと、肩に力を入れて準備していたら、思わぬところで先に志位和夫が簡単な言葉で説明していた。中央公論の7月号でこう言っている。

私たちのめざす社会主義・共産主義は、資本主義のもとで獲得した価値あるものを全て引き継いで発展させる。後退させるものは何一つないということです。例えば労働時間短縮など暮らしを守るルールは、全部引き継いで発展させる。日本国憲法のもとでの自由と民主主義の諸制度も、全て豊かに発展的に引き継いでいく。せっかく社会主義になっても資本主義より窮屈でさみしい社会になったら意味がないわけです。

この言説がキーポイントである。私の仕事は、この志位和夫の命題にシンボリックな標語を付けることだ。電通のコピーライターの役割をすることである。すなわち、「上位互換としての社会主義」。このフレーズなら分かりやすく、誰もが頷けるコンセプトになるだろう。上位互換という言葉はITの世界で使われてきた概念で、先行して市場に出された下位の機種で動くソフト・ハードの資産が、新しく出された上位の製品でもそのまま利用できるという機能仕様の意味である。64ビット版のOS(Win10)上で、32ビット(Win7)版で開発されたアプリケーションがそのまま動作するとか、USB4.0のインタフェースでUSB3.0以下に規格対応した周辺機器がそのまま接続して使えるとか、そういう意味である。最近あまり耳にする機会が減ったが、ITの汎用製品の世界では昔から重要な技術用語で、市場的にもきわめて重要な要素だった。このIT業界で使われている言葉を、そのまま借用して、価値観(イデオロギー)の世界に導入したい。嘗て丸山真男が、音楽の専門用語である「執拗低音」を思想史の方法概念として援用し、見事に成功させたことがあった。

丸山真男は、「執拗低音」の概念を思想史の方法に使ったことを自ら解説したとき、あのマルクス先生も建築世界の用語を社会科学の方法に援用したではないかと言い、僕も同じことをしたまでだと諧謔的に釈明していた。『経済学批判』の序文で示された 土台・上部構造 の基本概念のことである。私も浅学非才の身ながら、尊敬するマルクス先生と丸山真男先生の態度を見倣って、その方法の極意を模倣したいと思う。アイディアとして「上位互換としての社会主義」というコピーは分かりやすく、社会主義の理念の本来性と普遍性をよく表現する言葉だろう。上位互換だから包摂の契機がある。超克と優越の契機がある。齟齬や断絶はない。互換性が確保されているということは、主要先進国で達成されている自由と民主主義の制度保障の内実が、そのまま社会的に実現して機能しているということだ。志位和夫の簡潔な説明のとおりである。この理想モデルを中国に当て嵌めて、具体的な姿はどうなるかというと、私のイメージでは、胡錦濤時代の一国二制の香港のあり方を、大連や深圳に移植して実験し、続いて天津や広州に移植し、時間をかけて慎重に全土に展開するという図式になる。

マルクスレーニン主義の政治体制、すなわち人民民主主義と呼ばれた政治体制を基礎づけるプロレタリア独裁の原理は、もともと、マルクスの『ゴータ綱領批判』でも過渡的なシステムと位置づけられたものだった。過渡的と言う以上、その先に本来的で理想的な未来があるという時間軸が措定され、現行の政治統治は臨時の仮住まいだという相対化された位置づけになる。が、現在の中国の政治体制は、「中国の特色ある」の側面を強調することで、中国の現体制を固定化し絶対化する方向に導いていて、過渡的というプロ独のいわば神髄が忘れられている。日本は、ノーマンとGHQニューディーラーズが戦後民主革命を遂行してくれたおかげで、志位和夫が言うような「発達した資本主義国」の所与を得、基礎を得て、そこから社会主義の理想をめざす地平に立った。中国は、遅れた半封建的土台を共産党が人民革命し、プロ独権力を握ったものの、そこには欺瞞と暗黒のスターリンモデルの設計図しかなく、指導者毛沢東が無知無教養な英雄フェチだったために、大いなる茨の道を回り道して鄧小平の改革開放に行き着いた。中国には中国の前提があり所与がある。今の政治体制は過渡期のものだ。

論が飛躍して恐縮だが、私は、中国共産党と日本共産党が膝を交えて話し合えばよいと思う。日本共産党が共産党の名を冠している間に、同志としての関係で言葉を共有できる間に、相互に忌憚なく論じ合い、価値観(イデオロギー)の問題を真摯に討論してブレイクスルー⇒障壁突破点を見つけることを提案したい。この二党は長く複雑な歴史経過があり、骨肉の近親憎悪があり、仲直りしたかと思ったらまた反目して、今は絶交同然となっている。最近では、日本共産党は、中国共産党を共産党の名に値しないと全否定している。不幸なことだ。嘗ての中ソの共産党もこんな不信と憎悪の関係だった。互いを異端と決めつけて悪罵し、絶交し、我こそ正統とふんぞり返って威張り、自分の子分になる共産党を近所に探して手を回していた。丸山真男の『闇斎学と闇斎学派』を想起させられる。中国共産党を共産党と認めないという主張は言い過ぎだろう。増長はよくない。社会主義の表象を、絶望的で宿命的な貧困と停滞から脱却させたのは中国の功績である。マルクスが描いた、資本主義を超える生産力の高みという夢へ向けて、現実に挑戦し疾駆しているのは中国だ。中国共産党と鄧小平に対して失礼な言い草である。

中国共産党にとっても日本共産党は重要な存在である。重要すぎるほど重要なパートナーだ。胡錦濤は、自己の政治思想と信条を「科学的社会主義」の語で定義した。これほど決定的な一事はあるまい。日本共産党から学ぶ姿勢を持っていたのであり、鄧小平以下が日本経済から学んで中国経済を再生発展させたように、共産党の指導理論も日本共産党から謙虚に学ぼうとしたのである。画期的なことだ。すなわち、当然、胡錦濤の中に、あの博物館的なマルクスレーニン主義の範疇では今後やっていけないという意識と動機があったことが窺える。胡錦濤の政治が続いていれば、中国と日本の共産党は蜜月が続き、理論面でも交流と好影響の相互循環関係が続いていたものと想像する。残念なことに、中国共産党は先進的な社会主義の模索から離れて、滑稽で空疎で粗悪な毛沢東主義に戻り、日本共産党はマルクス主義を捨てて脱構築主義の政党(しばき隊党)に転身する兆候を見せている。もう一度、胡錦濤と志位和夫が北京で対談した13年前に戻ってもらいたいものだ。お互いに、自分たちが社会主義者であり、東アジアに社会主義の理想を建設しようとする同志である立場を再確認してもらいたい

日本と中国の共産党が胸襟を開いて率直に話し合い、和解し、友好協力し、次の世界をどうデザインするか知恵を出し合うこと。新自由主義を揚棄して地上の人類を解放し、地球の自然環境を保全する運動を決意すること。始祖マルクスの理論を精力的かつ創造的に研究し、また、20世紀の知識人の思惟の所産を発掘し活用して、力を合わせること。そのことが、21世紀の社会主義にコンセプトを与え、展望と活力を与えることに繋がるだろう。今、米国主導の勢力によって中国包囲網が形成されている。西側のマスコミは、これを嘗ての反ファシズム連合軍(大西洋憲章同盟)に擬え、敵である中国をナチスドイツに仕立てて比喩するプロパガンダを敷いている。だが、それは違う。それは巧妙で佞悪なスリ替えの表象工作だ。フェイクだ。真実は、この「民主主義」を看板にした反中包囲網は、日独伊三国防共協定のアナロジーで説明されるべき実体に他ならない。かの防共協定は、ソ連を窒息死させるための国際反共運動の組織化であり、ソ連との戦争準備に入る同盟結成だった。アナロジーのピースを埋めれば、アメリカがヒトラーのドイツであり、英・EUがムッソリーニのイタリアであり、日本が昭和天皇の戦前日本である。

今回の、リベラルデモクラシーの価値観を奉じた反中包囲網の本質は、米E日の反中防共同盟なのだ。過去の防共同盟軍は第2次世界大戦を惹き起こした。新しい防共同盟軍も破滅の戦争を起こすだろう。それを止めなくてはならない